■日航機墜落26年、慰霊登山「体力が続く限り」
乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から26年を迎えた12日、今年も64家族約240人の遺族が墜落現場の群馬県上野村の御巣鷹の尾根に慰霊登山した。高齢化が進む中、体調不良をおして登山を続ける遺族がいる一方、四半世紀となった昨年を節目として、次世代に慰霊を託して登山をやめる遺族も増えている。慰霊登山は12日の夜明けから始まり、遺族は約2キロの急な山道のあちこちに立つ墓標に手を合わせながら登り続けた。妹(当時41歳)を亡くした愛知県刈谷市の男性(76)は、登山前に腰痛の痛み止め3錠を飲み、一歩一歩踏みしめるように山道を上がっていた。腰の持病が悪化し、今年は4月の山開きに合わせて例年行ってきた慰霊登山を初めて取りやめた。今回もあきらめかけたが、駅の階段で足腰を鍛えて12日に備えた。男性は「いつまで登れるか分からないが、体力が続く限り来るよ」と墓標に語りかけた。
■日航機墜落事故から26年 御巣鷹山で遺族ら慰霊登山「娘を近くに感じる」
520人が犠牲になった昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から26年を迎えた12日、遺族らが墜落現場の御巣鷹(おすたか)の尾根(群馬県上野村)を目指し、早朝から慰霊登山を行った。今年は「空の安全」に加えて、東日本大震災で亡くなった人々の鎮魂も願われた。木々の切れ間から強い日差しが照りつけるなか、遺族らは山道を一歩一歩踏みしめながら登り、標高1565メートルの尾根の各所に散らばる墓標に献花した。事故で長女、淳子さん(20)を失った泉谷明造さん(77)=大阪府河内長野市=は、この日が69回目の慰霊登山。毎年、春の山開きと秋の閉山時にも欠かさず訪れている。午前6時台から妻と長男とともに登り始めた泉谷さんは「26年たっても寂しさは変わらないが、この場所に来るたび、娘を近くに感じる」と静かに話し、墓標に手を合わせた。震災についても「事故と災害は違うが、突然愛する人を奪われたという点ではわれわれと同じ。犠牲者の冥福を祈りたい」と思いをはせた。尾根の頂上付近にある「昇魂の碑」の前では午前10時半、遺族らが集まり黙祷が捧げられ、シャボン玉が飛ばされた。日本航空によると、この日は遺族や関係者ら約350人が慰霊登山を行う予定。午後には大西賢・日航社長が登り、献花する。夕方からは尾根のふもとの「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれ、稲森和夫会長らが出席する。
■「御巣鷹の尾根」でシャボン玉
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から26年。群馬県上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」では12日、慰霊登山に訪れた遺族らが「安全の鐘」を突き、亡くなった子どもたちをしのんでシャボン玉を飛ばした。
■灯籠に原発被災者もメッセージ
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故は12日で発生から26年。現場の群馬県上野村で11日夜に行われる灯籠(とうろう)流しに使う灯籠に、今年は東京電力福島第1原発事故で避難している福島県南相馬市の被災者10人がメッセージを書き込んだ。墜落事故と東日本大震災の犠牲者の冥福を祈る。墜落事故の遺族で作る「8・12連絡会」の美谷島邦子事務局長によると、墜落事故と原発事故はともに「絶対起きない」という安全神話で共通している。家族を失うなど多大な犠牲を伴っていることから、群馬県高崎市の避難所で暮らす被災者に、メッセージの書き込みを呼び掛けた。長男の妻の両親ら3人を津波で失った原敬子さん(60)は避難中なので、まだ仏壇に線香を供えることができていない。「安らかにお眠りください」とのメッセージを書き込んだ原さんは「ずっと心苦しかったが、心が少し落ち着いた」と語った。墜落事故と原発事故を重ね「願いは一つ、安全第一」とのメッセージを寄せた被災者もいた。灯籠流しは「御巣鷹の尾根」のふもとを流れる神流(かんな)川で行われる。連絡会の美谷島事務局長は「犠牲者への鎮魂の思いや安全な社会を願う気持ちは同じ。被災者の方たちに少しでも平穏な日々が来ることを願っている」と話した。
■被災者も参加/追悼の「灯籠流し」日航機墜落事故
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から12日で26年を迎えるのを前に、墜落現場となった御巣鷹の尾根(群馬県上野村)のふもとを流れる神流川で11日夜、恒例の「灯籠流し」が行われた。発生から5カ月を迎えた東日本大震災の被災者も参加した。事故で亡くなった歌手・坂本九さんの「上を向いて歩こう」の演奏などが流れるなか、墜落時刻の午後6時56分が近付くと、遺族らは肉親へのメッセージなどを書き込んだ大小灯籠約300個を川面に浮かべ、静かに手を合わせた。日航機事故の遺族らの呼びかけで福島第1原発事故により群馬県内で避難生活を送っている福島県南相馬市の被災者9人も参加。津波で叔母を失った石井文子さん(63)は「放射能のこともありこれから不安だが、こういう場を設けてもらい感謝している」と口にした。
■日航機事故のため43歳で亡くなった歌手の坂本九さん(本名大島九=おおしま・ひさし)の命日である12日、妻で女優の柏木由紀子(63)が電話取材に応じた。事故から26年。毎年欠かさない墓参りは、今年は長女で歌手の大島花子(37)とその長男で2歳になる孫とともに行う予定。女優で次女の舞坂ゆき子(34)は、日航機が墜落した群馬県にある御巣鷹の尾根に向かっているという。柏木は、娘たちと東日本大震災被災地を慰問したが「(坂本さんが)生きていたら現地へ行って励ましていたと思うから代わりに」と熱い思い。復興への願いから前向きな歌詞の「上を向いて歩こう」など坂本さんの名曲が再び注目を集め、「(歌で)皆が少しでも前向きになってくれれば。今年は生きていたら70歳なんです。12月のお誕生日コンサートは特別なものにしたい」と新たな思いを語った。坂本さんの墓には、数日うちに誰かが捧げたと思われる生花が飾られていた。
持ち主がわからないまま・・・26年。




