くりっ(27) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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スタードーム(2)


■夢庵

堺市でまちづくりの活動をしている大小路界隈『夢』倶楽部が2004年4月24日、山之口商店街の一角に「夢庵」をオープンさせました。10年間使用されていなかった木造の空店舗。ここを大小路界隈『夢』倶楽部が自力で改装しました。設計はアーティストでありプロデューサーの坂本和之さん。坂本さんをはじめ会員のみなさんが「ペンキを塗ったり木を切ったりして楽しみながら作った」という手作りギャラリーです。カラフルでポップな看板の下、目に飛び込んでくるのが美しい床柱。軽快なリズムを刻むように並べられた竹。中に入るとふわっと包まれる杉の香り。さりげない仕掛が訪れる人の五感を刺激します。ここに使われている杉や竹は、坂本さんのアトリエがある奈良県東吉野村から運ばれてきたものです。「日本が世界に誇る精神文化を大切にしたい」という坂本さんの思想が「夢庵」全体から伝わってきます。ギャラリーは学生や一般の人に手頃な料金で提供。作品を発表する場として、文化的な交流の場として、フリースペース的な使い方ができます。ギャラリーの奥にあるのはカウンターキッチン付きの部屋。「昔の寺子屋のようなイメージで、気軽に立ち寄って情報交換や懇親の場に使ってもらいたい」とのこと。一番奥の和室は庭に面しており、お茶会、香道、趣味の習い事の会などに使用される予定です。同倶楽部の高木代表幹事と奥野事務局長は「ここに来ればいつも誰かがいて何かをやっている、そんな非日常的でワクワクするような場です。たくさんの人に来ていただくことで、堺に新しい人の流れ、情報の流れができ、さらに山之口商店街も賑わえばうれしいです。」と期待を語っておられます。


■大小路界隈『夢』倶楽部

http://www.eonet.ne.jp/~yume-club/

http://www.eonet.ne.jp/~yume-club/page4.html

http://www.eonet.ne.jp/~yume-club/page6.html

http://www8.ocn.ne.jp/~g-hill/newpage11.htm

■第12回堺市景観賞(平成19年)景観活動部門「大小路界隈『夢』倶楽部」

大小路筋は、堺市のシンボルロードであり、関西を代表する街路なので、「夢」倶楽部の行うまちづくり活動は、極めて重要である。平成14年の設立以来年末のイルミネーションなど多方面の取り組みにより景観形成に貢献している。最近は、専門家の参加でより充実した活動になりつつあると聞いている。魅力的なまちには、その地域の充実した暮らしぶりが感じられるものであるが、暮らしの質の向上を基本とする「夢」倶楽部の方針は、正しい。国土交通省の支援により行ったにぎわい社会実験も、このまちづくりの弾みとなっていると思う。景観賞として文句のない景観形成活動であると評価されました。


・・・「夢庵」。


不思議なものです。教え子たちと「すくらんぶる」を結成して、いろいろな打ち合わせで集まったレストランが「夢庵」でした。その店がつぶれて、次に集まった場所が「夢々苑」という焼肉店です。「SAV」をオープンしたのも、その「夢」つながりであったわけです。


ただ、「夢」を現実にするためには、やはり様々な困難を乗り越えていかなければならないのは・・・今も昔も同じです。


とにもかくにも「夢」を捨てないこと、あきらめないことが大切ですね。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ1

今回の陶芸メンバー個展の案内状にある作品を最初に見た時、私は「百万塔」を思い浮かべました。

■百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)

日本の奈良時代に、鎮護国家と滅罪を祈願するために、100万の小塔に陀羅尼を納めて、仏教寺院に奉納された陀羅尼である。塔は百万塔と呼ぶ。天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱を平定した称徳天皇は、戦死した将兵の菩提を弔うと共に、鎮護国家を祈念するために、6年の歳月を掛けて宝亀元年(770年)に『無垢浄光大陀羅尼経』に基づいて、陀羅尼を100万巻印刷し、小型の塔に納めて10万基ずつ大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・西大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺・川原寺・崇福寺の10大寺に奉納した。これらの塔はそのほとんどが火災で焼失、あるいは散逸し、2005年現在、法隆寺に4万数千基が残っているほかは、博物館や個人に数基所蔵されているのみである。陀羅尼を納める塔は、小さな三重の塔で、中国より伝来したロクロを使用した木製で、白い染料が塗布されている。



陶芸メンバーも「百万塔」について調べたようです。


■陶芸メンバーのブログ

http://tdurden.exblog.jp/m2010-12-01/


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ2

●陀羅尼 (だらに)

仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指した。やがてこれが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった。本来、陀羅尼は暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。「能遮」という意訳は雑念妄想を「能く遮る」という意味である。陀羅尼の本文が意味希薄な言葉なのは、これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、あまり具体的な意味のある言葉だと日常的な連想が働いて却って雑念を呼び起こしてしまうからである。しかしそのあまりに神秘的な響きから、やがてこれを唱えたり書写したり、また暗記する事で様々な霊験が現れるという信仰が生まれた。


●大悲心陀羅尼

千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼

南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉謹墀。醯唎摩訶。醯唎摩訶皤沙咩。薩婆阿他豆輸朋。阿逝孕。薩婆薩那摩婆薩。那摩婆伽。摩罰特豆。怛姪他。唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯唎馱孕。盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。婆囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。那囉謹墀。地利瑟尼那。婆夜摩那。娑婆訶。悉陀夜。娑婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀藝。室皤囉夜。娑婆訶。那囉謹墀。娑婆訶。摩囉那囉。娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆摩訶阿悉陀夜。娑婆訶。者吉囉阿悉陀夜。娑婆訶。波陀摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀皤伽囉耶。娑婆訶。摩婆唎勝羯囉耶。娑婆訶。南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧吉帝。爍皤囉耶。娑婆訶。悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶。


・・・わけらわからないのが神秘的。だとするなら、芸術も同じかも?


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ3

個展の案内状は、教え子の同級生がデザインしてくれたらしい。背景に用いられている建物は・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ4

■タージ・マハル(英語: Taj Mahal)

インド北部アーグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ5

それぞれが自由にイメージを抱く。そして、自分なりの「夢」を描き、その追求・追及・追究の方法も様々である。そこで、さらに私は・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ゆめ6

■がいし(碍子、がい子)

電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具。一般には電柱・鉄塔などに装着される電力用または電信用のものを指すが、点火プラグや電熱器などにおいて電線を絶縁する器具を指すこともある。磁器製のがいしは、一般に以下の方法で製造される。原料としては陶石、長石、珪石、粘土などが用いられる。天草陶石を用いると高い強度のものが得られ、九州のみならず東海地方の製造業者もこれを取り寄せて原料としている。高い性能を求められる用途には精製された酸化アルミニウムが加えられることもある。原料を粉砕して粉末にし、水を加えて泥状にする。円筒形のものは押出成形と切削法、懸垂碍子は丸鏝成形によって所定の形状に整える。プレス成形や鋳込み成形などの手法を用いることもある。これを十分に乾燥した後、釉薬を塗布し1300-1350℃で焼成し焼結させて磁器とする。初期の碍子は木製あるいはガラス製であったが、後に絶縁性能や強度の高い磁器製品が使われるようになった。1890年代、アメリカ合衆国内やヨーロッパに電力網が普及する際には主として磁器製のピン碍子が使用された。1900年代には66,000ボルトに対応する製品も開発されたものの大型で高価であった。これに代わるものとしてLOCKE社により懸垂碍子が考案され1920年代から使われるようになった。