魚影(5)
古池の鯉の魚影をなにげなく眺めていると・・・
美しい日本の伝統文化である「漆」のことを思った。この作品は・・・
寺西松太さんの蒔絵箱「魚映」である。しっとりした色合いに心なごむ。
漆とは、ウルシ科のウルシノキ(漆の木)やブラックツリーから採取される樹液を加工したもの。塗料とし、漆塗などに利用されるほか、接着剤としても利用される。うるしの語源は「麗し(うるわし)」とも「潤し(うるおし)」ともいわれている。
漆に対応する英単語はjapan(もしくはjapanese lacquer)であり、漆器(japan ware)は日本を象徴する工芸品となっている。 一方、室瀬和美の『漆の文化―受け継がれる日本の美』(角川選書、2002年)によると、海外で漆を「japan」と表現して意味が通じた経験はないという。辞書には書いてあるが、生きた表現ではないらしい。
中国でも福建省など、漆工芸が盛んな地域もあり、同じく「漆」(チー qī)という漢字を使っている。しかし、現在の中国語では「漆」の字は、塗料全般を指す事が多く、アクリル樹脂やウレタン樹脂など、石油化学製品の方が多いのが実態である。ウルシ科の植物から取るものは「大漆ダーチー dàqī」と呼んで区別する必要がある。塗料としての「漆」には、水性のエマルジョン塗料を「乳膠漆」(rǔjiāoqī)と言い、スプレーで吹き付けることを「噴漆」(pēnqī)と言い、粉体塗料などの焼き付けを「烤漆」(kǎoqī)というなど、多くの用例がある。主成分は漆樹によって異なり、主として日本・中国・韓国産漆樹はウルシオール(urushiol)、台湾・ベトナム産漆樹はラッコール(laccol)、タイ・ミャンマー産漆樹はチチオール(thitsiol)を主成分とする。空気中の酸素を用い、生漆に含まれる酵素の触媒作用で常温で重合する。
漆の歴史は古く、石器時代の木刀にも漆が使われていたとも言われています。1971年、福井県三方郡三方町の縄文時代前期(約5,500年前)の遺跡の「鳥浜貝塚」で多くの漆器具が発見されています。特に赤色漆塗櫛(あかいろうるしぬりくし)は漆が塗られた遺品としては日本最古のものとして有名でした。近年、島根県松江市の夫手遺跡からは6,800年前の漆液容器が発見されたり、新潟県でも1997年に三島郡和島村の大武遺跡の縄文時代の地層から発見されたひも状の漆製品が「炭素14年代測定法」によって、6,600年前のものであることが判明しました。表面には赤色顔料を加えたベンガラ漆を塗布してあったそうです。古墳時代に入ると柩の内側に漆を塗り埋葬したり、武士が登場してくると鎧や刀の鞘にも漆が使われていました。木と木の接着に漆と小麦粉を混ぜて使っていましたから、漆は生活の中でかかせないものだったわけです。
11月13日は「漆の日」です。文徳天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が、京都嵐山法輪寺に参篭(さんろう・こもって祈る事)され、本尊虚空菩薩より、ご伝授、ご教示を受けて「うるしの製法」、「漆器の製造法」を完成し、日本国中に広めたものといわれており、塗りをする場合に使う継ぎ漆を[コクソ]というのは、虚空蔵から転化したものだといわれております。親王が参篭された満願の日である11月13日に報恩講(漆祭り・火焚祭)を設けて、供養するのが慣わしとなっております。
「漆黒」という表現がありますが、美しい日本の黒髪にふさわしい櫛や簪にも「漆塗り」が施されてきました。蒔絵による金銀の煌き、螺鈿の輝きなど、様々な技術が駆使されてきました。







