瓢鮎図(2)
「瓢鮎図」は足利義持が絵師の如拙に命じて描かせたものですが、足利氏をいろいろ調べていますと、京都市北区の等持院にある義満の木像を見つけました。ふくよかな面貌といい、黒い体色や髭といい、まるで「ナマズ」のようでもあります。
この髭は「フレンチフォーク」と言いますが、義光の髭は先が3つにわかれており、正真正銘の「フォーク」です。恐るべし足利氏です。いや、「あしかが」だから「アシカ」かも???
■ニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus) かつて日本に棲息していた鰭脚頬(ききゃくるい)の一種。環境庁のレッドデータブックでは、ニホンカワウソなどと同様、絶滅危惧IA類(CR)に分類されている。中世には、人魚と間違われることもあった。平成十一年六月、秋田県で人面の人魚を描いた杉板が発掘され新聞各紙で報道されたのは記憶に新しいが、これもニホンアシカを人魚と見たものであろう。(鯰河義満著「海獣妖異考」民明書房刊)
■『閑田耕筆』(寛政10年成立)江戸時代の国学者・伴蒿蹊の随筆集より
○章魚(たこ)の内に或は蛇の化するもの有りといふ。ある人の話に、越前にて大巌にふれて尾を裂きたるが、遂に脚に成りたり、其間時をうつせしといへりし。又使ひし僕(しもべ)も彼国の者にて、是は山より小蛇あまた下り来て水際に漬(ひた)り小石にふれ、漸々(やうやう)に化して水に入りたりと言ひき。彼辺にては折々有る事ならし。
○やまのいもの半(なかば)鰻に化したるが、彼やまのいもの分(わかれ)折れたれば、生気出でずやみたる物をまさしく見たりといふ人ありき。谷川の岸の自然生(じねんじょう)の芋水に漬(ひた)りて化するとぞ。笹魚とて鮎のごとき魚も、竹の水にひたりて化すといふ、同じ類なり。
【現代語訳】
○蛸のなかには、蛇が変化して蛸になったものがあるという。ある人が、「越前で、蛇が大岩に触れて尾が裂けたのが、やがて蛸の足になった。そうなるまでに、しばらく時間がかかった。」と、言っていた。また、私が下僕として使っていた者も越前の者で、その者が、「山から小蛇がたくさん下りて来て、水辺に浸り、小石に触れて、だんだんと蛸に変わって水に入っていった」と言った。越前のあたりでは、そのようなことが時々見られるようである。
○「山芋が半ば鰻に変わったが、その山芋が途中で折れたので、生気が出ないで止まってしまったものを見た」という人がいた。谷川の岸の自然薯(じねんじょ)が、水につかって鰻に変化するという。笹魚という鮎のような魚も、竹が水につかって変化したものという。これも同じ類である。
■これを読むと、江戸時代には、ヘビがタコに変化したり、山芋がウナギに変化したり、竹が笹魚という魚に変化したり、こういった現象が頻繁に起きていたようです。江戸時代ですらこのようなことが起きていたのですから、それよりもはるか鎌倉や室町時代に、アシカがナマズに変化していたとしてもなんの不思議もありません。「どじょう」と「なまず」と「うなぎ」と「あゆ」、そしてさらに「あしか」までつながってくきた。えらいこっちゃ。
頭がパンクしそうなので・・・ここらで一服。
■『瓢鮎菓子』 外がパリッとしていて中がふわっとしている味わいがあります。楽石はお進物のお菓子として昔からありますが、それに京菓子の技術で生菓子に近いものにしてあり、中が柔らかいのです。京菓子の材料である、生のあずき、丹波の栗の風味を生かして、瓢鮎図の水墨画にある黒と白のコントラストを表現できるよう工夫してあります。昭和35年頃、京都では名石庭、庭園に対して世間の注目が集まっていました。お店の楽と表面に押してある楽石のお菓子を退蔵院さんが見られ、これを生でできないかという話になり、この菓子が生まれたそうです。






