蛇と龍の関係を考える上で、ちょっと気になるものがある。
《キトラ古墳》
奈良県高市郡明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1に所在する二段築成の円墳。直径は、上段が9.4m、テラス状下段が約14mで、高さ約3.3m。1986年(S55)に行われたファイバースコープによる探査で墳丘内の石槨奥壁に「玄武」の壁画が確認された。五行思想では北方は「黒」を表し、それすなわち「玄」である。また、甲良を背負う姿は防御に優れているとされ、これを「武」という。玄武は星の名前でもあり、二十八宿のうち北の北斗七星を指す。
《四神思想》
国の政治をつかさどった平安時代の平安京は、四神相応の地形であると云われている。すなわち、東に流水のあるのを青竜(青)、西に大道のあるのを白虎(白)、南に窪地のあるのを朱雀(朱)、北に丘陵のあるのを玄武(黒)として最も貴い地相であるといわれ、まさに「京都」がこれに適合しているとみられたことから遷都されたといわれている。この「四神思想」の原典は「礼記」にあり、平城京・平安京の建設に於いてこの思想は大きな影響を与えている。
《玄武神社》
「玄武」の名が示すとおり、京都の北方に位置し、平安京北面の鎮護神としての役割を果たしてきた神社。玄武の図柄は亀に蛇が絡むもので、「亀」は長寿に「蛇」は商売繁盛にたっとばれている。
《黄龍》
黄龍は、四神の中心的存在。四神が東西南北の守護獣なのに対し、中央を守るとされる。五行説で黄は土行であり、土行に割り当てられた方角は中央である。中国では瑞獣の出現を記念して改元を行うことがあるが、黄龍が出現したというので「黄龍」と改元されたこともあった。日本でも黄龍はめでたい獣とされ、宇多天皇(887年即位)のときに黄龍が出現したといわれている。後に麒麟が中央を守るとする説も出てきた。
《麒麟》
中国の想像上の動物。鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる。形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつとも言われる。背毛は五色に彩られ、毛は黄色い。頭に肉に包まれた角があり、本来は1本角であることから(ただし2本角で描かれる例もある)、西洋のユニコーンと比較されることもある。性質はとても穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。神聖な幻の動物と考えられており、千年を生き、その鳴声は音階に一致し、歩いた跡は正確な円になり、曲がる時は直角に曲がるという。また、動物を捕らえるためのわなにかけることはできない。麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされる。また、礼記によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物(=瑞獣)で、鳳凰、亀、龍と共に四霊と総称されている。オスの麒麟を麒、メスの麒麟を麟と呼ぶ。 ただし資料によっては逆である。 勝海舟の幼名、麟太郎や、同じく幕末・明治のころに活躍したフランス学者・箕作麟祥の名は、いずれも麟をオスと解したものである。幼少から秀でた才を示す子どものことを、「麒麟児」「天上の石麒麟」などと称する。麒麟のように足の速い馬のこともキリンというが、この場合、文字で書くときは偏を鹿から馬に変えて用いる。
《鶴と亀》
「白虎」が「麒麟」であるという説もある。とするなら「四神思想」における白虎も朱雀も青龍も想像上の生物であって、「玄武」だけが実在の動物である。しかも、単体ではなく「亀」に「蛇」が絡み付いているという違和感のある表現になっている。この「玄武」は日本に移入されて「亀」だけになり、「朱雀」は「鶴」に変化して、「鶴亀」というめでたい象徴になったという話もある。