友人が書いた修士論文を読み終えた。
その中で、とても印象的な文章が
引用されていたので、紹介しておきたい。
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私たちは、今や分かれ道にいる。
だが、ロバート・フロストの
有名な詩とは違って、
どちらの道をえらぶべきか、
いまさら迷うまでもない。
長いあいだ、旅をしてきた道は、
素晴らしいハイウェイで、
すごいスピードに酔うこともできるが、
私たちは瞞されているのだ。
そのゆきつく先は、禍であり、破壊だ。
もう一つの道はあまり《人も行かぬ》が、
この道を行くときにこそ、
私たちは自分たちの棲家の安全を守れる。
そして、それはまた、
私たちが身の安全を守ろうと思うならば、
最後の、唯一のチャンスといえよう。
とにかく、私たちはどちらの道をとるか、
決めなければならない。
長いあいだ我慢したあげく、
とにかく《知る権利》がみんなにも
あることを認めさせ、
人類が意味のない怖るべき危険に
のりだしていることが分かったからには、
一刻もぐずぐずすべきではない。
毒のある化学薬品をいたるところに
撒かなければならない、
などという人たちの言葉に
耳をかしてはいけない。
目を見開き、どういうべつの道があるのか、
を探さなければならない。
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これは、レイチェル・カーソンの
有名な『沈黙の春』(原著1962年)
の最終章のくだりであるという。
まるできのう書かれたような文章である。
僕たちはこれまで、
どんな選択をしてきただろうか。
そしてこれから、
どんな選択をするのだろうか。
「どちらの道をえらぶべきか、
いまさら迷うまでもない。」
50年という時間を経て、
あまりに大きな代償を払い、
僕たちはようやくその場所に
たどりつこうとしているのかもしれない。