こんにちは。

MANA ライフクリエイターの、玉置 仁美です。

 

昨日は、
私の一番最初に出会うはずだった

子供の命日でした。

 

もう、28年も前のことなんだと、

改めて数えてビックリします。

 

 

 

 

当時はまだ、看護学生で。

 

当時同棲していた彼との間にできた妊娠で、

 

産めるのか、突っ走らないほうがいいのか。

何が自分にとっても、相手にとっても、ベビちゃんにとっても、

一番幸せなのか. . . 。

 

一気にいくつも、

円脱ができたほどに、

必死で必死で悩みました。

 

でも、刻々と、そのタイムリミットも近づいてきて。

 

体温も上がり、体もしんどくなり、

ちゃんと教科書に書いてある「妊娠時の反応」が、

自分の身にも起こってることに、気づくのです。

 

 

ブラックリストにのってる借金まみれの彼と、

学生の自分との間に"今"生まれてくるこの子の幸せは

どうにも見出せないのに、

ここにきてくれた命に会いたい気持ちも確かに芽生えてしまっており、

 

生まれてきて、幸せなのか。

幸せにしてあげられるのか。

どうやったって、不幸にしてしまうのか. . . 。

 

 

かたや、

学生だったとはいえ、命を救う身でありながら、

自分の都合で、小さな命を殺めてしまうということは、

どうにも自分が許せないように思えて。

 

産むなら、患者様の命を扱う、そんな神聖なお仕事に携わるわけにはいかない、

看護師になるのはやめよう、と、

そんな風にも考えていました。

 

 

今なら、

どんな命も、それそのものがパーフェクトで、

そもそもが幸せの存在だと分かるし、

 

自身が決めてきたテーマのために

"自ら"、最適な親を選び、環境を整え、

生まれてくることも分かるのだけど、、

 

当時は、全くそんな風に考えられる余地もなく。。

 

泣く泣く. . . 
本当に、泣く泣く、お別れすることに決めました。

 

 

 

親にも相談せず(できず、したくなく)、

でも、他は誰を頼れば良いのかもわからず、

とりあえず、手術費用をかき集め、

 

病院は、どこにお願いすれば良いのか、そんな見当もつかなかったから、

当時、直接しゃべったこともなかったけど、

自分の学校に産科を教えにきてくれていた女医さんの病院を調べて、門を叩かせてもらいました。

 

 

 

狭く、フラットなベッド。

麻酔がかかる前の、金属が触れ合う音。

 

命が誕生するその場で、

自分はその真逆のことをしていて。。。

 

涙が頬を伝いながら10を数えて、いつの間にか眠り、

 

目が覚めて、病院の外を出て、

 

駅まで歩くときの、

ちょっとひんやりとした風、秋の空、

 

一日、実習を休んだ理由を話すために、

大人として唯一打ち明けた、実習の先生の、

何も言わずに、ただ抱きしめてくれたぬくもり。。

 

 

その一瞬一瞬に感じた思い、同時に見た光景、感覚が、

今もなお、はっきり思い出されます。

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

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