前回の記事(父の死:心からの感謝と共に①)は、こちら↓↓
ホント言うと. . 、
心のどこかで、
次に日本に帰るのは、
父の葬儀の時までないかもなぁ、、と思ってる節もありました。
アメリカに住んでいることもあり、
ここのところ、
子供らの用事などを言い訳に、どこか足が遠のいていたのも事実で、
随分と両親との関係は戻っていたけれども、
それでもどこか、父(や母)の事を思うと、
どこか、キュッとなる部分を持っていたようにも思います。
でも、
ちょうどこの頃の私は、
ここのところの食欲不振や、急激な体重の減少、消化器症状などが重なっていたことから、
あらあら、"また"、癌とかだったりして〜?なんて考え始めたら、妄想が膨らみ、、
(結局、それはただの一過性な症状で、大丈夫だったんですけどね)
ふと、もし私が、
(今の父のように)残り僅かな命になったら、
今の自分は、どうしてたいかな?と考えてみたのだけど. . . 、
もし、そうなっても、
それでも、
それは、あんまり今と、変わらないかな。
子供たちがそばにいて、
旦那が笑顔で支えてくれていて。
今日の出来事とか、体操のことクラリネットのこと、彼のことetc..
彼女らが思い、夢中になってること、考えてることを聞かせてもらったりしては、
ウキウキ、キャッキャ!と聞くのが、まさに今の私の栄養で
。
うん、それでいい。
そんなが、いい. . って思ったんですよね。
10年前に卵巣癌を患った時とは違い、
別に何か、急ぎやらなきゃいけないこととか、変えなきゃいけないこと、
こうしとけば良かったな.. という後悔等は全く思いつかず、
もし、余命を宣告されたとしても、
私は、そのまんま、今のままでいい。
それって、
本当に、自分の望みを生きてるんだなぁ、
本当に幸せな時間を生きられてるんだな〜**と改めて感じ、嬉しく思えたりもしたのでした。
ガンを克服し、
もう一度命を与えてもらってからの、この10年の歩みの中で、
自分にとって大切なことを、ちゃんと優先順位高く当てはめる生き方に修正できてきたし、
ちゃんと、”魂が望む生き方”を、
自分にさせてあげられてるね♪って、
自分を褒めてあげたいようでもあり。
でも、
そんな想像して遊んでいた時に、
ふと、思ったんですよね。
あ、でも. . . 、
私にとって、もし今が生涯の締めくくりだったとしたら、
そこに子供らがいないなんてことは、
全く考えられなくって。
そうならそれは、あり得ないほどに、めちゃくちゃ寂しいなーーっ. . て
思ったんです。
私が"親"として、"子"を見た時に、
彼女らは、私の幸せな生き方の青写真には不可欠で、
私にとって子供らは、
命かけて愛せる、そんな存在。
でも、
私が"子"として、"親"を見た時に、
同じほどに愛しているか、というと、そこは全く違っていて、
親と子なんて、
もっと薄っぺらいもののように思っていたのだけど. . . 、
そうか、
親にとっての子供は、
これほどまでに愛おしいんだった、という気づき。
なら、
もしかしたら、
父や母にとっての私という存在も、
そうなのかもしれない. . と、
ハッとしたのでした。
これまで、
どんなであれ育ててくれて、
きっと愛情もたくさんたくさん注いでくれてただろうに、
たくさん、償いの意味も含めて、
全身全霊で向き合ってくれていただろうに、
私がそれをリジェクトして、
愛をないものとして、
ずっと被害者づらして、
逆に私は、
親からの愛は受け取って"やらない"、、と
どこか敢えて突っぱねて、外して、ないものとして、
感謝すらも感じないようにして、
自分でそこを、薄っぺらいものとして、
生きてきたのかもな. . とも。
数週間前に、父の具合が少し悪いと聞いて、
一度帰ろうか?と母に聞いた時、
「いや、帰って来なくっていい。」と、
言われたことがありました。
そっか、じゃーいいやー、と単純に思ったのだけど、
でも、
もしかしたら、それは、
ただ、愛する表現の仕方が、違ってるだけで、
来なくて良い ≠ 別にこなくっても平気(ではなく)、
その奥の思いは、
(愛する)娘に、
迷惑かけたくない。
自分たちのことで、困らせたくない。
自分たちのせいで、
孫らにアメリカで子供らだけで留守番させて、
不自由な思いをさせては悪い。
私たちは大丈夫だから。
という、
もっと深い部分での、愛だったんだろう。
どこかで一瞬、そこも見えたし、
弱っていく父を間近で見る母の不安を思うと、
一度帰ったほうがいいんだろうとも思ったのだけど、
どうにも心が動かず、
良い娘を演じて「すべき」で動いてもね、と、
そのまま、気がつかないふりをしたようにも思います。
「自分よりも他」を思いやる方が大事で、
昔っから、そんな風に、不器用な愛し方しかできない人達で、
本心は内に潜めて、相手を思いやる愛。
そんな簡単な奥の思いも気づかないふりして、
「帰ってこなくて良いって言ってたし」と、表面だけを言い訳にして、
私は私で、
"拗ねること"で、
自分勝手な私も認めて。愛して。そんな私も赦して。。というひねくれた愛され方を、
親に求めていたのかもしれない。
と、そんな"ひねくれ"にようやく気づけたら、
やっぱり会いに行っとかないと、
(今はそれがまだ何かわからないけど)
後で何かしら、後悔するのかもしれない... と、
その場で、主人に電話し、
すぐにチケットを手配してもらったのでした。
そうして、とってもらったチケットの出発が、
二日後。
(続く)
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