マンモスちゃんねる第8回、勉強回その4(シリーズ最終回)をアップしました。

第8回 勉強回その4「勉強の仕方、考え方」

以下はネタバレを含みますので、動画を見てから読むことをお勧めします。


まず恒例の冒頭ネタ。勉強回の最後=背広姿の最後なので、やはり背広着用だからできるネタをと、今回はニュースキャスターに扮してみました。逮捕されたのは数年前に年賀状用としてやったコスプレ「ダースモンマー」さん(笑) あ、でも本当に逮捕されたりはしてませんよ?あくまでネタですよ?

また、その次に述べたように、メッセージもいろいろいただきました。「見ました」とか「面白かったです」と言ってもらえるのも嬉しかったですが、何より在籍中の子にしろ卒業生にしろ、しばらく会えていない中で今どうしているのかという近況報告をいただいたことが、安心できて一番嬉しいですね。

動画内でも述べているように、メッセージや質問に関しては第10回をそれ専用の回にしようと思っています。メッセージや質問のある方は、ぜひお送りください。

さて、本題なんですが…すみません、動画、40分って長すぎますね(苦笑)
どうしても「原理」と「具体的やり方」の2部構成になってしまい、本来ならそれぞれで20分1回の2本に分けたかったところなのですが、一気にやらないとその繋がりがわかりにくくなると思ってぶっ通しの40分1本勝負でやりました。収録している私も実は結構疲れました…。

記憶のイメージ&全体マップという「原理」がまず大前提となり、その原理を具体化したのが「1回全部を読んで大雑把に全体を把握する」「2周目からはわかるところを飛ばす=わからないところに集中する」になります。

まぁ、これ自体は勉強がわかる/できる人にとっちゃ当たり前のことしか言ってないのですが、勉強が苦手な子、学校の勉強を真面目に取り組んでいるのにイマイチ成績が上がらない子って結構この落とし穴にはまってる子いるんですよ、実際。

特に学校の勉強というのは「先生→生徒」「1ページ目→2ページ目」というように基本的に『一方通行』なので、戻ったり飛ばしたり、行ったり来たりという、良く言えば『自由で柔軟』、悪く言えば『気ままな動き方』ができません。むしろ、そういう動きややり方をすると、回答自体は合ってて、テストの点も取れているのに、先生ウケが悪くて評価されないということがよくあります。

学校の先生に喧嘩売るワケじゃないんですが…。いいかい、子どもたちよ。学校の先生の評価なんて「気にするな」(笑) 君たちは学校の先生のために勉強しているわけじゃない。自分のためにやってるんだ。できたか、できなかったかは先生の評価よりも自分自身の方がよりわかるはずだ。

人として間違ったことして先生に怒られるのは当然だけど、そういうときは君たち自身が「なぜ怒られたのか」が大体わかっているだろう。そのときは、しっかり先生の言っていることに耳を傾けなさい。そして同じ間違いを繰り返さないようにしなさい。

でも、勉強で答えは合ってるのに「このやり方はダメ」とか「先生が教えたやり方と違う」と注意されるときは「え?答えは合ってるのに、間違っているわけじゃないのに、なぜダメなの?」と思うだろう。そういうときは、先生の言っていることは「適当に聞き流せ」。

どんなことでもやり方なんて一つじゃない。いろんなやり方、いろんな道筋がある。先生が教えるやり方は「王道」とか「オーソドックス」と呼ばれるやり方、多くの人にはそれが一番わかりやすいとか、近道になるというやり方だけど、それだけが唯一絶対のやり方ではない。今回コーチが動画内で言ったこともやり方の一つに過ぎない。絶対の、ただ一つのやり方なんてない。やり方は無数にある。

問題は、これも動画内で言ったように「相性がある」ということ。先生のやり方が合う人もいれば、合わない人もいる。コーチのやり方が合う人もいれば、合わない人もいる。合うと思ったらそれを素直に取り入れる。合わないと思ったら別のやり方を自分で試してみる。そうやって自分に合ったやり方を探していく。それが「動く」ということ、「自分の冒険をする」ということだから。

ということを子どもたちには考えてみてほしいなぁ…なんて。
勉強にしろ運動にしろ、学校で上手くいかない子というのは大抵「いい子になれない子」「いい子になろうとしてもそれが上手くできない子」です。でも、「いい子」でないからといって勉強や運動の能力が必ずしも低いわけじゃない。

むしろ、学校的な教え方というのは「受け身の教わり方」なので、自分から動く方が得意な子には合わないことも多く、「運動が得意な子→自分から動く方が得意な子→受け身の教わり方が苦手な子→勉強が苦手な子」となってしまいやすい面があります。だから今回紹介したような「自分で勉強する(独学をする)ときのやり方」を知っているか否かが、そういう子には重要になってきます。

別に先生のやり方に逆らえ、無視しろというわけではありません。本当に先生や学校の教え方に喧嘩を売っているつもりではないんです。でも学校では「教わり方」は教えてくれても「独学の仕方」は教えてくれません。そして、学校的な教え方、教わり方が合わない子も実際にいるわけで、じゃあそういう子はどうすればいいか?そのやり方の一つだったり、ヒントだったりになれば、というのが今回の内容なのです。

学校のやり方で合う子、特に問題ない子はそのままでいいんです。ただ、「誰かが教えてくれるのは学生の間だけ」なのもまた事実で、いずれは「誰も教えてくれない、自分で学ばなければならない」ときが来ます。そのときに、また今回紹介した内容が何かのヒントになればいいですし、それまでに自分に合った、自分なりのやり方を自分で作り上げられれば更に良しです。

どういうやり方やルートであれ、いつかは人生という「冒険」を自らの足で歩んでいく。最後の方で言ってますが、そうやってどんどん自分の冒険や旅を選び、進んでいってほしい。それが今回の勉強回シリーズ、更には私がうちの教室を通して掴んでもらいたいと願っていることです。

まぁ、今回動画で紹介できたのは時間的な問題、不特定多数に対する動画という制約によって、「モンマ流の根本」ではあってもかなり要約、省略したものであるのも事実なので、もしもっと具体的に、細かく知りたいという方がいたら、ご相談ください。

ここまで読んでくださった方は、勉強回全4回の動画を全部見て、このブログの方も読んでくださっているということだと思うので、本当にありがとうございます。貴重なお時間の中で動画を見、ブログを読んでいただいたことに感謝するとともに、少しでも何かお役に立ちそうなことや、自分の考えを整理するキッカケなどがあったら嬉しく思います。

それでは勉強回シリーズをご清聴、ご拝聴いただき、ありがとうございました。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は蛇足かなと思う部分なので、見つけた人だけ読んでください。

実は今回のシリーズ、私にとってはある意味「遺書」です。別に病気なわけでも、人生に絶望したわけでも、教室がヤバいわけでもありません。ただ、遺書と呼んでも自分には違和感のない「集大成」だという意味で。

私が本質的に大事だと思っていることの根本的なもの、その大半は実は今シリーズの動画の中に入れてあります。たぶん、パッと見ではわかりません。言葉で直接表している部分も多少ありますがサラッと流してたり、大半はその言葉の奥にあります。でも、辿っていけば必ず辿り着けるものです。

別に言葉遊びをしたわけでなく、特殊な技法(ギミック)を使ったというわけでもありません。ただ、こういうものは「その人がそれを心底求めたときに存在に気づく」もので、同時に「それが完全に見える/わかるようになったときには、その人はすでにそれを得ている」という厄介で面倒な性質を持っているというだけのことで。

だから、必要としていない人には見えないし、大して伝わらない。でもそれでいいんです。必要としている人にはボンヤリとでも何かが見えるでしょう。私にとっての「何か」にしろ、その人が探し求めている「何か」にしろ、求める人にとっては今回の動画がそれに近づくためのヒントや手がかりになるでしょう。

少なくとも、私が今までの人生で到達した地点までの根本部分は入れました。私もまだまだここから更に先へと進むつもりですが、そういう意味で今回の勉強回シリーズは「現時点までの私の遺書」と言っていい集大成です。どのみち物質的な意味で財産と呼べるほどのものを持っていない私には、こうした「無形のもの」しか子どもたちに残せるものなんてありませんし。

もし仮に私に万が一のことがあったとしても、動画はその後も残るでしょうから、子どもたちが何かに悩んだり行き詰ったりした際には、今回の動画を見て、自分の道を進むための手がかりやキッカケを見つけてもらえたら、そしていずれは私より遥か先にまで行ってもらえたら、と思います。

 

以上、蛇足の本音でした。