さて、今シリーズもこれでラスト。心技体の最後に残った「心」編です。今回は特に長くなると思うので、前置きなしでいきます。


前回「体」編では、首と肩に力が入ると全身が力むので良くない、じゃあどうやって首と肩の力を抜くか、ということを書きました。それに対して今回は「なぜ首と肩に力が入るのか」についての話が主になります。

なぜ首と肩に力が入るのか?と問われれば「緊張しているから」というのが一般的な答えで、それは間違っていません。では、なぜ緊張するのか?

答えは人間の感情にあります。攻撃されたらどうしよう、負けたらどうしよう、格好悪い姿を晒してしまったらどうしよう、という「不安」。自分より強い相手に対する恐怖や怯えもここに含まれます。つまり、自分にとって不都合な未来が起こるという予測全般といえます。

しかし、その逆もまた同じだったりします。勝ちたい、上手くやりたい、格好良いところを見せたい、それで人に良く思われたい。先程の「不安」を負の感情とするなら、これらは一見正の感情として真逆に見えますが、これらは「承認欲求」という「欲」であり、これもまた余計な緊張を生んで首と肩に力が入る原因になります。

「不安」も「欲」も人間の感情が生み出すもの、感情の動きそのものです。不安は「今よりマイナスになるかも」、欲は「今よりプラスにしたい」と、どちらも「今」と「この先」を比較した相対的なものに過ぎません。

しかし、絶対的なのは「今」です。あなたは過去にも未来にも存在するものではなく「今」存在するものです。過去のあなたはただの記憶であり、未来のあなたもただの予測に過ぎません。どちらもあなたの存在そのものではなく、あなたという存在の幻影や投影に過ぎません。

 

感情によって起こる自分自身の幻影。それが首と肩に力を入れ、全身を力ませて「今」のあなたの動きを妨げる原因となっているのです。


おかしな話、理不尽な話だと思いませんか?幻影にすぎないものによって今の自分が妨げられ、力を発揮できなくなるなんて。そうはいっても幻影が感情によって生じるものならどうしようもない。いえ、どうしようもなくはないです。感情に振り回されないようにすればいいのです。

昔の武士は命懸けの斬り合いをしていました。なので斬り合いの最中に体が力んで動きが妨げられることは即「死」を意味します。そのため、どうしたら感情の動きによる体の力みを克服して万全に動けるかを徹底的に考え、行き着いたのが「無念無想」や「明鏡止水」などと表現される「無の境地」でした。技を極めるための極意が技そのものではない、というのがポイントです。

先程述べた承認欲求のような高次の、ある意味贅沢な欲求ではなく、負けて殺されたくない、勝って生き延びたいという純粋な生存欲求。生物の根源的欲求。彼ら武士はこの根源的欲求すらも克服しようとしました。

もちろん、生存欲求をなくしたら勝って生きようとさえ思いません。勝負の「前」はそれを持っています。ただ、勝負の「中」ではそれを捨てるのです。それを持っていると自分の体や感覚を最大限発揮するには邪魔になるので。

感情から生じる幻影(過去/未来)に囚われず、ただひたすら勝負の「今」だけに自分を置く。自分の中から「今・ここ」以外を捨て去って囚われをなくす。執着をなくす。武士や剣術が仏教、特に禅宗と深いかかわりをもつのは、この点にあります。

まぁ、ここで仏教や禅の説明をし始めるとそれだけで1回分、下手すりゃシリーズ1回分になってしまうので今はしませんが(やりたい、書きたいと私の感情が動いていますが、無の心でそれを抑えてます・笑)、要は自分が作り出す幻影とそれに対する執着を捨てるというのが仏教、特に禅だと思ってください。

そのため、剣術を極めようとする武士は座禅を主とした禅修行をやることが多くありました。それは仏に神頼みをして勝利を得たり、極楽往生や幸福な来世を願うためではなく、無の境地に至ることにより己の剣術を極めるため、あくまでその過程や手段としてでした。


私たちが人間という存在である以上、おそらく感情を消すということはできません。ただ、感情の動きが大きくなれば幻影も大きくなる、ならば、感情の動きを小さく抑えられれば幻影もまた小さくなる、ということになります。または感情を画面や鏡の向こうに映っているかのように客観的に捉えて、自分の主観的視点から切り離すか、です。完全な無の境地に至れば、小さくしたり切り離したりということの更に先にまで行けるのかもしれませんが、お釈迦様のレベルにまでならなければそこまでは行けないでしょう。

武士が少しでも心の状態をそれに近づけようとした禅修行、特に座禅には実際そうした効果があります。「ホントかよ?」と思いますよね。私もそう思ったので、ここ数年、自分を実験台に実際に試してみました。もちろん、数年でかつ絶対毎日というわけではないので、今でも私の全然レベル自体は全然低いのですが、それでも年単位で試してみた実体験からお話しできる範囲で話をします。

これまた座禅についてやり方など詳しく話そうとするとそれだけで1回分とかになってしまうので省略しますが、効果としては感覚が敏感になる、感情の上下(動き)に敏感になる、感情や思考の動きを客体化(客観視)できるようになる、ということは言えます。

 

もちろん日常のすべての場面でそれが可能というレベルではなく、まず座禅中にそれが少しずつできるようになり、そこから日常場面に少~しずつ派生・浸透していく、という感じなので、ホント私などは全然偉そうなことは言えないのですが。ただ、それに対し自分が修行が足りない、まだまだ未熟だという、ある種の「無知の知」がわかるようにはなった、という程度で。

この「感情の上下を抑える(コントロールする)」「感情を客観視する」というのは、座禅に限ったことではなく、実は心理療法でも中心になってくることだったりします。心理療法で座禅はしませんが、アプローチの仕方自体は各学派ごとに異なるものの、最終的に目指す効果は大雑把にいえばどれもここに行き着きます。つまり、自分の思考や行動(体)のスムーズさを取り戻すためには心を落ち着けることが必要、ということなわけで。


体というのは本来、自分が思っている以上に敏感に、正確に、素早く、力強く動きます。それが十分に発揮されないのはそうするための修練(練習やトレーニング)が足りないせいもありますが、何より自分の感情が体の動きそのものを妨げている割合は、普段自覚しているより実は遥かに大きいです。

体というのは自分であるように思われがちですが、実は自分とは別物です。言ってみりゃ、体とはガンダムで、自分というのはそのパイロットです。ガンダムの性能はすごくいいけど、下手なパイロットが乗っても性能は十分に発揮されない。たとえアムロが乗ったって、アムロがウジウジ・グダグダしていたら性能は発揮できない。自分の操縦技術を上げ、かつ自分の感情に振り回されないようにならなければ、ガンダムはその性能を十分に発揮してくれないのです。
 

ガンダムの性能を発揮させることができるかどうかは、その中にいる自分次第、というわけです。そういう意味で、体(ガンダム)の動きを妨げているのは自分自身(パイロット)であり、それゆえに最大の敵とは目の前の相手ではなく自分自身、ということになるのです。

 


首と肩に力が入るのは感情の動きが原因です。逆に、前回書いたように首と肩の力を意識的に抜くことで、感情を多少抑えることもできます。ガンダムの性能のおかげでパイロットが落ち着けたり、自信がついたりするようなものです。相互作用なので、どちらかだけを頑張っても片手落ちでは効果は下がります。体から、感情から、両面から力を抜くアプローチが必要なのです。

前々回の「ゆっくり動作&序破急」も実はこうしたアプローチの一つだったりします。ゆっくり動くことで、座禅と同じように感覚の鋭敏化や自己観察(自己の客体化)を行うことで、感情の動きを抑えてより自然体に近い体本来の動きを覚えさせ、浸透させていくのです。雑な早い動きで素振りを1000本やるなら、一本一本を丁寧にゆっくり100本やった方が効果があります。

また、最初に書いた「シャドウ」も、イメージトレーニングによって相手を想像するだけでなく、それによって自己も客体化するという点で繋がってきます。ただ、「ゆっくり&序破急」よりも飽きにくくとっつきやすいので、先に書きました。

つまり、今回のシリーズは理論的な順番としては(4)→(3)→(2)→(1)なのですが、実際に実践的に深めていくには(1)→(2)→(3)→(4)という手順になる、というわけなのです。これでも一応、シリーズもの書くときは思いついた順に書いてるわけじゃなく、順番と構成を考えて書いてるんです(笑)


今回の「心」編では具体的な練習方法というよりも大元の理屈の話になってしまいましたが、
これを知って練習中に自分の感情の動きを意識・観察して行うか、知らずになんとなくやっているかとでは、練習の質が格段に違ってきます。一番いいのはやはり座禅を組むことだと思うのですが、座禅自体が慣れるまでに結構時間かかります。

なので、座禅はひとまず置いといて、一人で練習するときはまず構えたときの自分の感情の動きを「焦りや不安はないか」「上手くやろう格好良くやろうと思ってないか」と観察し、それを落ち着けてから動いてみてください。

そして、動き出したら動き終えるまでの間に首や肩に力が入っていないか、体全体が力んでいないかを観察し、力んでいる部分があればゆっくり&序破急でそれを改善していく。そうやって基本が出来上がってきたら、シャドウで実践的な動きに発展させていく。

座禅同様に、これも自分自身で結構な時間かけて試してみて効果があると思ったことです。実際、キックのスパーリングで自分の感覚や動きの向上効果を実感できています(コロナ騒動以来スパーできなくなってしまいましたが…)。だからこうして紹介しているわけで、聞きかじり・読みかじり程度じゃ紹介はできませんので。

今シリーズを最初から最後まで読んでくださった皆様、その意味と意義を十分に踏まえて、今回の内容をご自分の練習や日常生活に少しでも役立てていただけたら幸いです。



というわけで今シリーズ終了~♪
いや~、新聞パンチや縄跳びの回も含めたら、最近運動の話ばっかしてません?いくら体育教室のブログとはいえ、このブログらしくないですよね~(笑)

はい、実際疲れました。いくら暇してるとはいえ2日に1回の更新頻度守りましたからね。これ、実は偶然じゃなくてちゃんと意識してやってたんです。いくら授業がないからってダラダラしないように、と自分で〆切決めてたんですね。いや~、最後まで〆切守れて良かった♪

というわけで、疲れたので(結構本気で)ここからしばらくは更新頻度適当になります。連日で更新するかもしれないし、1週間くらい空くかもしれません。なんせ次の内容まったく決めてもいないので。雑談もしたいし。一応、教室の経営者としてGW明けの再開についてもいろいろ検討しなきゃいけませんしね。まぁ、GW明け後も休業要請解除されず、5月末くらいまでは休校続きそうな気配ですけどね…。

というわけで次回はいろいろ未定ですが、そんなに極端に間空かないようにはしたいと思ってます。また、子どもたちの近況報告もお待ちしています。以前このこと書いた後、実際にメールが数件寄せられてかなり嬉しかったので。飢えてるんです…会話だろうが文字だろうがコミュニケーションに飢えてるんです!人との会話99.99%カットの独身一人暮らし生活をなめるなぁ!!(涙)
 

お便り、お待ちしてま~す。それでは、また♪