こんばんは~☆

女神カラーコンサルタント、
華田真実です(^^)>

 

 

 

さて☆☆


今でこそ、「ステキな笑顔ですね」

などと第一印象をおほめいただき

さらに色や形による魅力アップを

お仕事にさせていただいている

ワタシですが…、

 

30代前半までは、それはそれは

ヒドイもので、ズタボロのビリビリ

でした(><)

そこで、新時代を迎えるにあたって

自分の棚卸も兼ねまして…

 

「まみおが華田真実に育つまで☆」

 

を、長編になりますが、お届けして
おります(^^)>

これを読んだあなたが

 

「なーんや!こんな人でも

何とかなるもんなんや。
そんなら私だって全然いける♪♪」

 

と元気になってもらえれば、

とってもうれしいです(^^)

 

☆22歳、恋愛色々時代編までのバックナンバーはコチラ☆

 

それでは、どーぞー☆彡

(文体は小説調になってます♪)

 

===============

23歳夏。まみおは22歳から始めた

 椎名林檎のコピーバンドで出会った

 3つ年下のドラマーから、

 

 「オリジナルで本気バンドやって

  プロめざすから、ボーカル

 やってくれ!

 まみおとならできる気がする!!」 

 

とスカウトを受ける。 

 

 

まみおも音楽でやっていけたら
最高に決まっとる!と思ったので

 

即、OK☆

 

ここから、まみおはコピーバンドを

やめ、本気バンド1本にしぼって

活動をスタートさせる。

 

スタジオ練習がある日は何が何でも

定時で帰るために、担当の仕事は

ムダ口を一切たたかず片づけて、

5時半が来るとともに猛ダッシュ!!

 

曲は作れなかったのでメンバーが

作ってくれた曲をもらって詞をつけ、

オリジナル曲が5曲に増えてから

ライブ活動を開始(^^)

 

また24歳春、まさかの出していた

希望が通り、 区役所から市役所の

文化イベント部門にめでたく異動☆
 

念願の文化や芸術に触れる仕事で

仕事自体もすごく面白かったし、 

そういう部署だったため、幸い

バンド活動への理解もあった☆

 

 また、このころはよく仕事の関連で
バンド練習がない日の夜は小劇団の

 舞台演劇をたびたび観に行っていた。
 

ちいさな空間で、すぐそこに役者の

熱気を感じられる舞台演劇というのも

歌とは違う面白さがあるな!と感じた♪

 

 

まみおはライブのため仕事を休み、

作詞やレコーディングのためなら 

朝の5時まで寝られなかったり

固い床の上でゴロ寝だってまったく

苦にならず、 毎日ものすごーーく

充実していて、楽しかった♪♪

 

 バンド名は「くれら」で、まみおの

ボーカルネームは「マー」。




 

マーとは、英語ではmarと綴り、

  「臆病者」という意味をもつ。

 

そして この頃のあだ名は

 

「マー姐(ねえ)さん」

 

 なぜか1つ年上のベースがそう

 呼びはじめ、「姐さん」呼びが

 いつのまにか定着!!

 

 

ちなみにベースは新メンバーだっ

たが、練習に行ってたスタジオの

息子で最年長なので態度がでかく、

まみおは「キング」と命名した。

そして、その呼び名も定着した。

 

 

 この3年間はバンドがまみおの

 中心だった。

 

 ボーカルとして華やかなイメージ

演出のため、必ずステージでは

 真っ赤や真っ青の原色の衣装

 (主にチャイナドレス)を着て

バッチメイクでステージに出た。 

 

本来まみおは、すごい緊張しい

だったが、原色パワーがあると

不思議に堂々と、人前でも歌う

ことができた(^^)

(だが、MCは苦手だった…★)

 

あくまでも 

「女子だけど媚びずカッコイイ」 

という路線を大切にやっていた。

 

 観客が多くても少なくても関係なく、
そのとき発揮できるものを全力で

表現した。 

 

 

活動は主に大阪で、ときには神戸や

 京都のライブハウスに出たり、

 路上ライブイベントに参加したり、

 超ローカルなラジオ番組だったが

 生歌を歌わせてもらったりした。
 

「そのうち、東京進出なるんちゃう?」

 

などと、未来に思いを馳せ楽しんでいた。 

 

 

そんな感じで3年間ライブハウス回りを 

したがファンは思うように増えず、

とうとうリーダーのドラマーがある日、

こう言った。

 

 「売れるためにカワイイ路線に変えよう。

  マーだって、今の路線にこだわって

  30過ぎる…とか、ありえへんやろ?」

 

 

 それを聞いたまみおは瞬間的に、 

 

「それなら自分がボーカルではダメだ。

     重低音で太ーい声のワタシより、

 もっと一般受けするカワイイ系の

 ボーカルを見つけたほうがいい」

 

 と感じた。

 

そしてまた同時にこのタイミングで、

 わずか2年で文化イベント部署から

超忙しいらしい庶務に異動が決まる。

 

 いよいよこれが潮時かと、まみおは
 

「急な人事異動で、仕事が各段に

 忙しくなるから、もうこれ以上

 ワタシはバンドを続けられない。

 他のボーカルを探してほしい。」

 

 と告げ、断腸の思いでくれらを脱退。

 

 26歳夏、盛大な脱退ライブを最後に

 まみおの本気バンド活動は、終焉。

 

 しかしやはり、バンドも仕事も

 好きなものを一気に失い、 まみおの

心はマジで果てしなく空虚になった。

 

今はただ大量の仕事を淡々とこなし、

何も考えないようにしよう…。

 

 と、まみおは思ったのだった。

 

がらんどう期間は実に、半年近く

続いたのだった。

 ================= 

この頃のワタシの3年間の心の色は

「朱赤=スカーレット」

燃えさかる炎のように活動的でした。

 

「ワタシが今一番やりたいのは歌や、

 どこの誰にもジャマはさせへん!!」

 

と、超ギラギラしておりましたねえ。

 

今思えばその時にかもしだしていた

迫力によって、「姐さん」と自然に

呼ばれていったのかもしれません。

 

そして3年間燃え続けた後遺症で、

バンド脱退後の半年は、ホンマに

ぬけがら状態でした…(^^;)

 

この半年間は、砂を噛むように

心になんにも感じなかったので

「グレー」

 

新しい仕事仲間はいい人達で

恵まれていましたが、内容が

超苦手な給与関係が主だった

ので何の楽しみも見いだせず、

無味乾燥な日々が続きました。

 

 

しかしですね…

 


冬のあとには、必ず春が来るもの♪

 

26歳冬から、あの夢が再始動?!
~26~28歳:女優に再挑戦!!~に
続きます☆どうぞオタノシミニ~♪