こんばんは☆華田真実です(^^)>

 



今でこそ、「ステキな笑顔ですね」

などと第一印象からおほめいただき、

さらに色や形による魅力アップを

お仕事にさせていただいている

ワタシですが…

 

30代の前半くらいまでは、
それはそれはヒドイものでした。


そこで、新時代にさきがけて

自分の棚卸も兼ねまして、

 

実録☆まみおが「華田真実」に育つまで☆

 

を長編になりますが、お届けして
いこうと思いまーーす(^^)>


これを読まれたあなたが、

 

「なーんや!こんな人でも何とか

なるもんなんや。そんなら私だって

全然いける!!大丈夫やわ♪♪」

 

と元気になってもらえれば、

ワタシもとってもうれしいです(^^)
 

それでは、はじまりはじまり☆彡

 

================

 

1977年雪のちらつく極寒の夜中、

226事件の日に、まみお誕生^^

 

父ノンタダはヤン坊マー坊天気予報♪

うたで有名な某会社サラリーマン、

母キヨコも同じ会社のOLだったが、

社内結婚のために23歳で寿退社。

 

まみおは父27歳、母24歳のとき

はじめて生まれた子どもだった☆

 

2歳まで、専業主婦の母親の

愛情を、一身に受けて育つ。

(のびのびマイペースなようす)

 

母は福岡出身の明るい女性だが、

新婚早々父の転勤についてきて

誰一人知り合いのない埼玉で、

孤独にまみおの育児を行っていた。


父は穏やかだがマイペースな性格で、

残業やパチンコやらで家にほとんど

いなかったので、たまにだっこ

されても、まみお、さっぱりなつかず。


このように、母といつでもべったり

一緒だったまみお。

しかしまみおが3歳になる少し前、

切迫早産の疑いで母が入院!!

 

その2ケ月、親戚にあずけられて

かなり淋しい思いをしたらしい。

(それ以来、口の形がいっつもへの字)
 

 

淋しさのあまり、泣いて出た

鼻水を顔中に塗りたくるという

行動で、激情ぶりを発散する。
 

母が退院して帰ってみると、

天使のような天然パーマで
くるくる大きな瞳の色白な

男の子がいて、ちょっと喜ぶ。

 



=================
このときのワタシの心の色は、黄色と赤。

 

2歳まで母にべったり甘えっ子だった

ワタシは急に母から引き離されワケが

わからず、パニック状態だったのだと

思います。

 

また、親戚の家にも子どもたちがいて、

叔父たちに思いきり甘えることも

できず、やり場のない怒りを鼻水に

すべて込めていたのでしょう。

 

このことは、中学生になっても

預けられた先の叔父が酔っぱらうと

必ず酒の肴に話してきていたので、

イヤでも思い出していたものです。

 

3歳から、父の転勤でまみおたちは

故郷である大分へ戻ることに☆彡

しかしそこでまた、まみおにツライ

試練が待ち受けていたのです…。

 

次回もどうぞ、オタノシミニ~♪♪