3月。
春、旅立ちと出発の季節ですね 花









40年前の 
1979年( 昭和54年 ) 3月、沖縄県 某市。




両親と私と弟は 沖縄から旅立ちました。

とても悲しい旅立ちでした。





両親が 都内で結婚してから 4年の間、
東京 ↔ 沖縄 を2往復する生活をしてました。


*運動会。
雨だったので、併設の小学校 体育館で。



なので 40年前の急な引っ越し
一時的なもので、私はまた沖縄に戻れると
思っていました。


*1歳と3歳の時に通った保育園。
2歳の時は東京・豊島区に住んでおり、
その頃 弟が生まれました。



急な引っ越しで
保育園の先生が 急いで作ってくれた
私のための " 思い出のアルバム "。


『保育園でみんなで進級を喜んだのに、遠い所へ行ってしまうなんて、さびしいです…。』

と いう内容のメッセージがありました。


*遠足。恐らく「東南植物楽園」。



祖母の家から 那覇空港へ向かう時、
園の担当だった 二人の先生が
お見送り、お別れの挨拶に来てくれました。



*12月生まれの子の誕生日会とクリスマス会。




先生は泣いてました。

私は 何で泣いているのか わからなく、


もしかしたら……

" もう 沖縄に戻ることはないかもしれない "

と 不安になりました。






その不安は 的中し、
私たち親子は その日を最後に

今 実家のある 
関東地方の 某下町へ住むことになりました。




40年前の 悲しい旅立ち、出発。


沖縄の空は青かった、何もかもが輝いていた。


引っ越してきた街は どんよりしている。
景色は灰色で、空気が悪かった。
ドブ臭かった。
人もなんとなく冷たい。
※ 東京・豊島区ではありませんよ。



急に両親が厳しくなり、
「沖縄訛りのしゃべり方を直すように。」
と 悲しいことを言いました。







月日は流れ…

沖縄の思い出をほとんど忘れてしまいました。


時々 テレビで映る沖縄の街も
すっかり観光地となってしまい、

少し寂しい気持ちになります。






40年前、
アメリカ統治下時代から 解放され
まだ間もなかった頃、

どこかアメリカっぽく、
どこか台湾っぽかった 
私たちが住んでいた あの街。

今はすっかり 変わってしまいました。


2013年に 祖母はあの街で亡くなり、
祖母の家だった所は、今は駐車場です。