今年の漢字は【別】 | 人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

「名前」で貴方の生涯の運勢がわかります。
「生年月日」で貴方の人生の好転期、暗転期がわかります。

姓名判断、四柱推命、カバラ数秘術、宿曜占星術。
あらゆる占術学問をもちいて「誕生」「人生の道中」「終末」まで貴方の人生を支えます。

運命思想家の檜原有輝です。
 
今年もあと少し。
 
 
個人的なことですが
振り返りをしてみます。
 

いつもと同じく長いのですが

良ければお付き合い願います。

 
 
 

私の今年の漢字は

【別】に決定しました。

 

 

今年の漢字を

<別>に決めた理由は、悪い物ではなく、精神的な別れを体験することが多かったからです。

 

 

①(母はいますが)母代わりだった叔母が亡くなりました。長い闘病が苦しそうだったので寂しさの極みはありますが、正直楽になったのかなぁと思うと叔母の為には良かったのだとホッとしています。最期まで叔母は周りの心配をしていた人徳高い人でした。人というのは、若いうちは体裁を考えて周りの評価を意識して振るまい、行いを気にしたりしますが、老いたり死ぬ前になると、周りよりも自分のことを優先しては傍若無人になったりします。叔母は最期まで誇り高い人でした。総格26画の重みを感じます。

 

 

②嵐ともお別れ。とくに大野くんの休業が堪えます。嵐のファンになった頃、どん底で死を何度も本気で考えながら生きる気力がなかった時に大野くんのソロパフォーマンスを見て血が上るように高揚しました。たかがアイドルとはいえどこんな風に若い人に力をもらったり人を応援することで自分も生きる力をもらえるとも思っても見ませんでした。そこから頑張って来られました。嵐の愛や波長の良さみたいなものがバランスがよく、誰が欠けても上手く行かなさそうな自我の強い個性の5人が引き寄せあったものだぁと感心していました。たくさん夢を与えてもらったのでゆっくりと休んでほしいです。

 

 

③まだ乗り越えられていないのが、三浦春馬さんの別れ。直接に会ったこともない人じゃないか、と思われるかもしれませんが、私にとっては音楽や映画やドラマというのは子どもの頃から現実から逃避するのに丁度良いカウンセリングのような重要な役割をしてきました。人に失望し続けて、現実に打ちひしがれた時には、人ではなく、人が作り上げた虚像の世界に投影して主人公や脇役の一部分と一体化をして超えるべき試練のようなものに身を重ねていました。

 

芸術の世界は、波乱でも残虐でもそれらは必ず美しくメッセージめいたものを伝えられるように映し出します。現実のようにやりっぱなしの底辺部分だけではなく”こうでありたい”理想を心に描く人や未来の夢を見させるものが詰まっています。それらを全身全霊で魂を込めて役を演じる俳優さんからエネルギーをどれだけもらって命を繋いできたことでしょう。たかがテレビの人であっても、人の生命力は伝染するのです。

 

彼の死については多様な説が出ていて真実は不明ですが、もし彼が親御さんのことや、自分を信じられなくなって心痛極まる形で旅立ったのであればとても悲しいのです。私はずっと運命思想をテーマにして、親子という縁が苦境であっても、自分の人生を築けるように親の価値がすべて自分の価値ではないことを推奨してきました。

 

 

自分も含めた経験ですが、たとえ親に愛されなかったとしても、自分は自分。きちんと人を愛することを放棄せず、逃げ出さず、自分と自分に関わる人を愛していける人生を築き上げることを諦めて欲しくない。そんなことも含めて声高に発信してきたのですが…彼の死は、私の固定概念を根底から崩すほど衝撃でした。

 

芦名星さん、竹内結子さん…けして全てを一緒くたに扱ってはいけませんが、後追いに火がつきやすい状態の脆い崖っぷちの心境に立っていた人たちがこれほどまでに多い現実たちが明らかになりました。演じる人も現実の失望感の中に自己投影を全身全霊で行っている場合が多いでしょうから…生と死の狭間がこれほど近い事をあらためて思い知られました。

 

やはり幼少期の頃に親に愛されなかった人が、自分の運命を切り開くことは出来ないものなのか…私がずっと言い続けてきたこと、これからも言い続けて行くことは、ひょっとして無力で無駄なのか、と。彼らに直接に関わったわけではないけれど…勝手に今も心を痛め続けています。それほど彼の舞台も見てきて、努力向上をしていく人柄を応援していたのだと思います。

 

だけど…そんなことを夫に話をすると、乗り越えられない人もいるけど、乗り越えられる人もいる。親に愛されなかった幼少時代を過ごした人のみんなが乗り越えられずに死を選ぶわけではない。と言われ……あぁそうだな。乗り越えられない人もいるけれど乗り越えようとして頑張って生きている人もいっぱいいる。だからこそ、やっぱり私は乗り越えられるように力を尽くしていくべきだ、と思い改めました。私など非力で無力ですけどね。少しでも関わってくれた人たちが同じ道を選ばないよう頑張っていく意味を忘れないように力を尽くして行きたいです。

 

 

◆◇◆◇◆

 

その他にも今年は色んなことがありました。

 

今年の前半は、母との同居。いつかはと願っていたことが叶ったものの本当に大変でした。幼少時代の悪夢が蘇りましたもん。子どもの頃は朝起きたらすぐに早く今日が終わらないかなと願って、夜寝る時にはやっと今日という日が終わってくれたと思う地獄の日々でした。

 

それらも笑いにして介護日記をブログに綴ってみようかと思いましたが、やはり心が追いつかず、文字に起こすほど冷静に自分を見つめられませんでした。だけど夫と子どものおかげで、介護を通して自分が幼少時代には人様に言えないような親との苦しい出来事も家族の力で笑いに変えることが出来たことで自然と過去の心の傷も癒えて行きました。

 

結果的には願っていた通りに「家族という形」の人生価値観が根底から報われることになりました。親からも逃げずに向き合えました。自分の課題でしたから。だけどそれは自分が作った家族と一緒にだったからこそ出来たこと。家族という形態の力強さを証明できた自分の大きな一歩になりました。

 

コロナ禍の真っただ中、実家の整理の為に、大阪と1週間のうちに何往復もして夫と一緒に片づけをしました。ちょうどゴールデンウイークから、それらが終わったのが11月でしたかね。いやぁ大変でした。夫が休みをほとんど潰してくれたおかげです。私一人では到底対処ができませんでした。

 

今年の後半は、友人の闘病生活が始まったことの苦しさも入ってきました。職業柄、人の病には寄り添ってきた人生ですが、日常を共にしている友人となると感情の揺れがおさまらない不安が襲いました。と同時に、私自身も実は今年は手術をしまして…その前後のストレスで生まれて初めて帯状疱疹になったりして、自分の皮膚が火傷のように腫れ上がったのを見て、やはりストレスというのは恐ろしいものだと改めて思いました。自分では平気、平気と日常と変わらないことを意識していても身体は正直ですね。手術は無事に終わって後遺症もなくてすっかりと今は元気です。現在は仕事を休んでいた分の追い上げを行っている最中。

 

だけど手術中、病院の壁、天井を見つめながら、私は青春時期のほとんどを病院で過ごしていたことを思い出しました。健康運が弱いですからね。無理は禁物ですが、やはり健康に戻ることができた今、朝の散歩から始まり、ふつうに仕事をさせてもらえたり、あらゆることに悩んだり、できることを取捨選択しながら自分を生きて行く喜びに感謝をしました。

 

そして病み上がりの私を追い込んだ最後の出来事は、娘の進路です。受験なのですが、本当に大変で。正直、私しか頑張っていません。あぁ腹立つ(笑)受験生の子どもを持つ親御さんは本当にこれほど大変なのか、と敬服しました。私は自分の人生では子どもをもつイメージが全くなくて、たいていは想定内なのですが、ここだけは想定外(笑)未だにあたふたしています。

 

でもママ友、担任の先生、塾の先生がどれほど助けてくれたか。情報などをしっかりともらえると選択肢を考えていけるので、それらにご尽力いただいた人たちに心から感謝しています。まだもう少し子どものお尻を叩かないといけませんが、叩いても動かない子どもは最強の偏官元命なので大変。

 

今年の私は手術までした自分の立ち位置を色々と考えました。私はまず子どもの懐に入ろうと努力をしていないのだ、と反省をして…子どもの見ている漫画を一緒に観ることにしました。


本当は受験なのでそんなことをしている場合ではなく勉強をして欲しいのですが、なかなか反抗ばかりをして方向性を決めてくれないので腹をくくり、ガミガミ言うのをやめて「鬼滅の刃」から始まり「Re:ゼロから始める異世界生活」「約束のネバーランド」を一生懸命に観て学んでは話を合わせて信頼を築きました。

 

仕事で忙しいながらもこんなに漫画を必死に読んだのは学生以来です(笑)子どもの為に力を尽くせる親になりたいと願った、小さくも大きい私の努力でした。結果的には志望校をしっかりと話し合って決めるところまで持って行くことができたので夫には”ママの作戦勝ち”と言われました。あとは無事に受かってくれたらいいな。ここまで自分を押し殺して子どもに寄り添おうと思えたのは色んな「別れ」を今年は痛感したからこそ得られた行動でした。

 

あとは看護師業も円満に退職することにしました。入院手術を機会に決めました。


来年は母の介護と、子どもの受験入学、新規の生徒様達とも、より濃い仕事の方向性を深めた1年にしていきたくて…「9」の年回りを意識して少しずつ整理実行しては「1」に向けてやりたいことが沢山あるので絞っていくつもり。看護師はいつでもお手伝いが出来る形はとっていますが身体は1つですからね、こちらを広げていく覚悟が出来ました。

 

 

長くなりましたが「別」を体験して今年も少しずつでも成長をさせてもらいました。

 

本当に今年はプライベートなことが多すぎてブログにガッツリと心を据えられる年ではありませんでしたが、それでも皆さまと年を終えられることを心から嬉しく思っています。お付き合いいただきありがとうございました。きっと皆さまも本当に想定外のことばかりの1年だったでしょう。

 

でもいま生きている私たち。

それだけで良しとしましょう。

そして生きて行くこれからも。

 

来年も皆様。檜原有輝とみなさまの貴重なお時間を共にしていただけたなら嬉しく思います。

 

またお会い出来ることを楽しみにしております。最後までお読みいただいて有難うございました。

 

 

どうかよいお年をお迎えくださいませ。

 

2020年 12月31日

檜原有輝