果てない空の企画が始まると、
あぁ、もうすぐ東日本大震災の日が近いのだな
と、思う。
私は、当時東京都でも震度5.5強という最高の数字を叩き出した、板橋区でお茶会をしていた。
その日、茨城県から先生を呼んでいたのだが、常磐線がストップして、帰れなくなったのだ。

軒並み水とパンが店頭からなくなり、
大阪の光一友が、お米を20キロ
ガスコンロと
ガスボンベを10本送ってくれた
大阪には、私の実の姉もいるのに、
助けてくれたのは……
友人が神様に見えたあの日

今年はコロナウイルスで、東日本大震災のイベントは中止され、マスクと消毒液とトイレットペーパーが姿を消した。
SHOCK観劇で、帝国劇場に現れた友だちは、バレンタインの友チョコとマスクと携帯消毒液をくれた。


コロナウイルス流行の今年
大阪だって、マスクは無いはずなのに
自分に出来るか?
自問自答する。

ずっと前に夫の転勤で東松島に住んでいた
海沿いの町で、大家さん一家は裏山にかけ上がって逃げたそうだ。
もし、あのまま住んでいたなら鈍足で、健脚でもない私は、命を落としていたに違いない。

あれから、9年が経ち
マンションは、美しくリフォームされ
小池知事が約束してくれた、電柱が地下に入り、歩道は美しく整備された
そして、オリンピックyearの今年
この家の前を聖火ランナーが走る
去年ずっと行きたかった東松島の大家さんに会えた。
お嫁に行ったけど、被災した娘たちが実家に戻り、孫たちまで抱えて、大人数になっていた。
まだ、災害は終わっていない。

以前 お見舞いを送ったとき
ぎっしりと詰まった、私の大好きな笹かまぼこが送られてきた
「もう、宮城は大丈夫だから。色んなところがまた、始まったんだよ。だから、心配しないで。(お返しをしたのは)元気な宮城を見て欲しくてね。」
笹かまぼこは、漁が出来る
工場が動く、店が再開するという
まさに復興の印だった。
そして
やみくもに心配する事が、失礼な事にもなる事を知った

私たちは、2019年の1月27日
もう一度心が被災した
逆境に力強い人もいるけど、
自分を立たせることも難しい人もいる
立ち直る道が見えなくても
それでも、1年……生きてきた。
大袈裟かも知れないが、彼を生き甲斐にして
生きてきた私(たち)には、
本当に本当にあの発表は………辛かった

でも、私たち以上に辛かったのは
紛れもなく命がけだった智さんで

ジャニーズ人生3回目の裏切者呼ばわり

それでも、心ない嵐ファンの攻撃にも負けないで最後まで、立派に嵐としての役割を果たそうとしている。

あと二年ある………が、もう9ヶ月もない。

来年の今日は、どんな自分がいるだろう。
きっと、彼を思いやって
最高の時を思いだし
そうして、生きていると思う。

なぜなら、彼に生きる強さを教えて貰ったから。



彼をガッカリさせるファンではいたくない
何を言われても、
何をされても
誰の悪口も愚痴も言わない彼の
真の強さを見習って
もう少し
成長している自分に出会いたい。