病気で外出できない私を
ビデオ通話を使って遠隔で外に連れ出してくれる
心優しい北欧人、エヴァ👱🏻♂️🐻❄️
ビデオ通話中に
どうしても私が薬を飲まないといけない時があって
(時間帯的にどうしてもそうなってしまう)
エヴァはそれさえも最初は戸惑っていた。
「あ、ごめん、薬の時間だ💡😲
ちょっと薬飲むわ😗💊🍵
静かになるけど気にしないで😊」
「えーっと… う、うん…👱🏻♂️💦」
「(ゴクゴク💊🍵)
…飲み終わったよ😊👍
なんの話してたっけ?🤔
ああ、あれか💡」
「…う、うん…。大丈夫…?👱🏻♂️💦
調子悪いの?無理してない?👱🏻♂️💦
もう終わりにしようか?👱🏻♂️💦💦」
こんな感じだった。
最近は少し慣れてきたけど、
それでもまだこんな感じの時がある。
生まれた頃から病気病気で
物心ついた時にはお薬を常に飲んでいたから
私にとって薬を飲むというのは
もう日常茶飯事なんだけど、
ずっと健康体のエヴァにとって
それは普通ではないんだよね💦
私が薬を飲む姿を見ている時のエヴァの顔は
なんとも言えないほど悲しそうだった。
薬=病気なわけで、
自分にとっては普通でも
見ている人は悲しい気持ちになることがあるのだと
エヴァの表情を見て知った。
まだ病気が進行する前、
修学旅行とか友達との泊まりとかでは
お薬は目立たないように
ささっと一人で飲んだりとかしてたんだよね💊
突っ込まれると説明が長くて面倒くさいから😅
あとは私と同じように
病気や障害を持っている人との付き合いの場合は
堂々と飲んでても何も聞かれないし💊
でも健康な人の前の前で飲むって
ただ「何の薬?😶」と聞かれるだけじゃなくて
病気のことを知っているからこそ
悲しい顔をすることもあるんだなって…
私がこのことをエヴァに話すと、
「最初は驚いて
僕も大多数と同じ反応を示すかもしれない。
その時はごめん。
でもそれは自然な反応だと思うから…
これから少しずつ慣れていくから、
僕があんな顔していても気にしないでね👱🏻♂️
そのうち慣れるから👱🏻♂️」
って言ってた。
「少しずつ慣れていくから」って表現が
私はとても嬉しかった。
自分と違う状態の人を
異質の見なすのではなく、
ただ拒絶するのではなく、
それがその人にとって自然であるということを
受け入れようとしてくれたことがとても嬉しかった🌼
それが実際にできるかどうかは別として
チャレンジしてみようとしてくれた心が
本当に嬉しかった🌸
多分こういう
些細な言葉遣いとか姿勢とか
『小さな部分』と言われるものが
病気や障害を持っている人にとっては
大きな違いを生んでいると私は思うんだ😇🍀
★その1★はこちら🐿️