愛知県豊明市からこんばんは。
自家焙煎珈琲豆散人アルジです。
随分久しぶりに林芙美子「放浪記」を読み返しました。
芙美子の母親は桜島の温泉旅館の娘で、伊予の行商人と一緒になりますが、よそ者と結婚したというので故郷を追われ、下関に行きます。芙美子はそこで生まれました。
そこで商売に成功したものの、父親が芸者を家に入れるようになったため、母は当時8歳の芙美子を連れて家を出ます。その後再婚しますが、義父が山っ気のある人で、安定した暮らしができません。芙美子は(たぶん数え年)12歳で小学校をやめて、行商を手伝います。
両親想いで、女中奉公に出たり、単身東京に出てカフェの女給もやって、両親に仕送りします。
随所に自作の詩が出ていて、何月○日という日記形式で書かれています。芙美子は、もともとこれを「うた日記」と呼んでいました。何の説明もなく前章と違う場所にいたりするので、そういう点は読みにくかったです。
しかし、さすがに文章は面白く読めます。
芙美子が一人で直江津へ目的の無い旅に出る場面があります。今の上越市、震災では港にも被害のあった所です。アルジは、全国を旅した時も、ここへは寄っていなくて、直江津と糸魚川が、日本海側で行ってみたい町です。ともに3文字ですね。
芙美子も地図を開いて、なんとなく直江津が気に入ったみたいでした。そういう地名です。しかし、風光明媚な港町を思い描いていた芙美子の思いは、すぐに裏切られます。ここにも厳しい生活に追われる人々の姿がありました。
旅館では、小学生の修学旅行の団体と一緒で、男の子が、
「俺ァ鰯をもういっぺん食べてえなア」
と言っています。
長野あたりから来たのでしょうか。昔は、山国に新鮮な魚はありませんでしたから、よほど美味しかったのでしょう。
帰りに駅のそばで団子を買います。
「この団子の名前は何と言うんですか?」
「へエ継続だんごです。」
「継続だんご・・団子が続いているからですか?」
芙美子の感想は「海辺の人が、何て厭な名前をつけるんでしょう。継続だんごだなんて・・」というものでしたが、アルジもそう思います。
もしやと思って調べてみたら、継続だんご・・まだありました。
「100年以上愛されている直江津銘菓、林芙美子『放浪記』にも登場する・・」
やっぱりそうなりますよね。
それでも直江津にはいつか行ってみたいものです。