愛知県豊明市からこんばんは。
自家焙煎珈琲豆散人アルジです。
今日は令和記念日ですね、アルジの中ではですけど。
3年前の令和の元日、最初にしたことは、喫茶店のモーニングでした。その日は一日乗車券で名古屋に出て、他の古い喫茶店にも行きました。
広津和郎「若き日」のときに、純喫茶から珈琲専門店、カフェという具合にブームというか、モードが移り、今、お祖父さんの時代の純喫茶が見直されている、という話を書きました。
珈琲専門店が流行ったのは、70年代くらいだと思います。
薄暗く、床が板張りで、歩くとミシミシ言って、ランプや古時計があって、埃っぽくて、黒か茶色が基調です。
いかにも本格派っぽく、ブラジル・サントス№2やコロンビア・スプレモ、高いところでブルーマウンテン№1、ハワイコナなどが置いてあります。
「世界のコーヒー」などと書いてありますが、自家焙煎ではないので、UCCとか、そういうところの豆なんですよね。鮮度は良くないし、質も悪い量産品です。
違いを出すために、サイフォンで淹れたり、ネルドリップで点滴抽出したり、そういう感じでした。
アルジが珈琲屋さんへ行くようになった時にも、そういうお店の生き残りはあちこちにありました。
なんとなく雰囲気的に美味しく感じるだけで、全然美味しくなかったです。特に浅煎り系のものは、古くなって酸化した味がするので、「マンデリンが美味しい」などと言う人が通ぶっていました。
そこから、だんだん自家焙煎店が出てきて、良い方向になってきましたが、それも束の間、「珈琲ルネサンス」とでも名付けたい期間は、当店が開業した15年前が、その最後尾だったと思います。
その少し前から、「スペシャルティ珈琲」というものが出てきて、そのこと自体はいいのですが、やけに生産地(農園)至上主義になってきて、焙煎技術が停滞しました。
誰が焙煎するかよりも、どこの農園の豆か、が優先するのです。
さらに、お洒落志向になってきて、ラテアートが流行りました。珈琲雑誌の表紙は、全部ラテにウサギや猫の絵が描かれていました。これはカフェオレだろ、とアルジは思っていました。
業界としては、市場拡大のために、女子を取り込みたかったわけです。
その流れで、今のお洒落なカフェがあります。珈琲よりも、家具調度や雑貨小物が重視されます。SNSとの相性もバッチリです。
自家焙煎店の数は増えました。でも、中身は薄いです。
元々、自家焙煎は美味しい珈琲のための手段に過ぎません。それが目的になるのは本末転倒。
自分で焙煎するよりも、仕入れたほうが美味しければそのほうがいいのです。
でも、「自家焙煎じゃないと本格派に見えない」というわけで、お洒落なカフェをやりたい人が、自家焙煎珈琲を出します。
これも手段には違いないものの、美味しい珈琲のための手段ではありません。
焙煎機もお洒落アイテムになったので、洗練されたフォルムでカラフルなものが好まれます。
自家焙煎珈琲の看板のための自家焙煎ならやめておいたほうがいいです。
このお洒落方向への転換が、珈琲を退化させました。珈琲をお洒落アイテムとして認識している人たちは、本を読むのではなく、他人に見せるために飾る人に似ています。
硬派の店はダサいので絶滅寸前。
珈琲の敵は、商業主義の珈琲業界です。