この数年一番仲良くしているママ友C子ちゃん
クズのやらかし後、よりそってくれる
とてもいい人なんだけど…
C子ちゃんはいつも言う
「お金ある人が、幸せよ」
お金ある人は幸せ、ではなく
お金ある人が幸せ
『は』でなく『が』
断定的
彼女ははっきり言う
お金なければ
不幸
だと
「私達は、そこそこ自由になるお金があるから幸せよ!
でもすごい富裕層だったE子さん(C子ちゃんのご近所さん)は破産して転落した、ほんとこれこそ不幸だわ~」
とC子ちゃんは言うけど、私は納得できない
そうは思えないからだ
C子ちゃんの言いたい事はよ~くわかる
たしかにお金なければ生活できない
たしかに生活するのにお金は、絶対必要だ
でも
自分(C子ちゃん)は彼女(E子さん)と
比べて、自由になるお金があるからみじめじゃなくて幸せ
という考えはいかがなものか?
どう聞いてもC子ちゃん個人が、E子さんをみじめだと思っているからそういう発想になるとしか思えない
この話は耳にタコができるくらいよく聞かされるのだが、私はE子さんをみじめだとは全く思わない
そうなってしまったのは残念だけどみじめじゃない
でもC子ちゃんの価値観は、お金がないことこそみじめだと
でも、うち、お金ないんだけどなぁ
私はそう見えないのか?
ないよ全然(笑)
クズが買春パパ活で何千万も散財しちゃったから貯蓄全くないし、タンパク質は毎日の納豆からしか摂取できない食卓、外食なんか全くできない
持ってるLOEWEは、たしかに高級ブランドだけど、50過ぎてからやっと持てた
無駄にこちょこちょ色んな物買わないで、細々貯めたり特別老齢厚生年金部分が支払われるようになって購入した物だ
高級ブランドが好きなのではなく、LOEWEが好きなだけだし、そこでメンテがきくから
(それなりにお金はかかりますが)
それととにかく物を大事に使う方なので、新しく購入したみたいに見えるのかもしれない
また、お金なかった若い頃、物を持たないからみじめだとか、お金ないからみじめだと思ったことはない
こういう考えは親に感謝かもしれない
私は、20歳の頃お金なくてもストレスもなかった
若かったからかもしれないが、そもそも人と比べる人生を歩んでいないし、貧乏なのをみじめと感じた事もない
最低のパイプラインである水もよく止められていた幼少期
9歳でゆいつ自分で開けられるのは水道と知った(笑)
それは、命にかかわるから
ひとりで留守番する夜
真っ暗なのは日常茶飯事だった
お金がないとか貧乏は、みじめではない
でも、違った意味でとても寂しいものではあった
20前後、生きていくためにバイト三昧で、洋服は全く買えなかった
居酒屋でバイトしていたら、手入れされたロングヘアー、元々美人だがより化粧で綺麗、持ち物は、当時の流行り高級ブランドCELINEのバッグを持った中学時代の同級生が彼氏と来た事があったが、その時も何も感じなかった
私は、自分をみじめだなんて思わなかった
実はその彼女、駅のスーパーでレジ打ちのパートを今している
でも私は彼女をみじめだとは思わない
パートで働いている人は、ものすごい金持ちだけど、からだ動かしたいからパートしてる人もいるだろうし、お金がないから働いているとは限らない
あ~C子ちゃんは、うちがローンが払えなくなってアパートに越したり、私が更なる不幸に見舞われたら『自分はましだわ』と思うのだろうか、そんな彼女の様子がフッとあたまをよぎり、さみしくなった
なんかそういう考え方をしている事自体が、とてもさみしい
不幸なのは、お金がないとかではない
私が今感じる不幸は、世にひとりぼっちと感じることかなと…
お金がなくて不幸とかみじめと感じるのは、その人の価値観
でも…
お金がないことをみじめだと感じる心こそみじめだし、自分の心をそんな風にしては絶対いけないと私は思う
玄関前のツツジ、剪定頼んだんだけど…
肥料やらないからか陽も当たらないし…
なんだかスカスカ
でも約20年間頑張ってるし、一気に咲きました