土曜日の「ど」は毒吐きの「ど」。 | 仕事と育児ときどき毒吐きのちファッション。◎MAMARURU

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2009年9月生まれの娘を育てるやさぐれアラフォーママの、ファッションネタ、身銭をきったオススメアイテム、腹黒な毒吐き、さらに日常のアレコレや妄想や宣伝です☆


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先週の土曜日にもぶっこきましたが、この愚ブログを始めてから、毎年毎年9月25日(もしくはその周辺)に、娘を産み落とした日のコトをアップしております。

途中までは同じ内容なんですが、一応今年の抱負といいますか、1年間の感想を書き足して、毎年マイナーチェンジしてます。

 

ということで、今年も懲りずにおつきあいいただければ、と思います。

 

 

9年前の9月25日、陣痛で苦しんでいたワタクシ。
実は24日が出産予定日だったので、親からは「まだなの?!」とせっつかれ、妊婦友達からも「どーよ?!」と探りを入れられ。

24日の早朝から来たと思った陣痛は前駆だったことが判明して、病院からあっさり帰され(まあ診察時間外だったですし)、25日の早朝からまた痛み始めたものの、また前駆かも、と思って診察開始時間ギリギリまで我慢して、やっぱり痛いから病院いったらビンゴで、よくここまでガマンしたねと助産師に褒められ。

「アンタが昨日、前駆かどうかちゃんと見極めてから来いっつったじゃねーか!!!」

と痛みと混乱で逆ギレ気味になるワタクシ。

そしてまったく頼りにならん夫は、分娩控え室(陣痛を耐えるための拷問部屋ともいう)で、「まだみたいだから、ちょっとこれから一瞬だけ会社行ってきていい?!」
とかワケわからんこといって出て行っちゃうし。

「まだかどうかがなぜオマエにわかる?!マジで一瞬で帰ってくるんだろうな?!」

とここでまた逆ギレするワタクシ。

和痛分娩なるものを希望してみたはいいものの、まったく効かず、むしろ陣痛が遠のいて促進剤を投与されるハメに。

「和痛分娩代3万円返せよ!!!」

とまたしても逆ギレするワタクシ。

陣痛中、唯一夫が役にたったのは、お茶買ってきてくれたことくらいでしょうか。
ソレ以外は存在すら頭にないくらい痛かったですし、役にも立ちませんでした。

やっとこさっとこ陣痛開始から18時間かかって、あともう一回のイキミで出なかったら帝王切開だから、と医者に脅されて、イキミにイキんで、ぬぉぉぉぉ~~~!!!という雄叫びとともに娘誕生。
夫はその瞬間、怖くて壁のほうを向いて突っ立ってたそうです。マジで使えねぇ。。。

会陰切開の縫合中、
「キツめに縫ってください、って頼む人、いますか?!」
と思わず医者に聞いたら、
「たまにいるよ~。キツくしたいの?無理だけど」
と軽くかわされました。
なんか勘違いされたみたいで、ちょっと恥ずかしかったです(じゃあ聞くなよってハナシですが)。
その間、夫は軽食を買いに院内コンビニに行っていたので、聞かれなくてよかった・・・。

正直あまりにも虚脱していて、カンガルーケア、10秒くらいで返してしまいましたよ・・・娘よ、ごめん。
だってチカラ入らなくて、落としそうだったんですもの~。

夫が買ってきたサンドイッチとおにぎりを分娩台の上でむさぼり食うワタクシ。
絵ヅラ的になかなか壮絶です。

そして産んだ次の日、病室に夫が差し入れてきたのは、忘れもしない「ポテトチップス ダブルコンソメ味」と「ジャンボエクレア」でした。

「いきなり乳腺炎にするつもりか!!!」

と、産み終わっても夫にはキレていた記憶しかありません。
出産時の夫の使えなさと言ったらびっくりするくらいです。
どこの旦那もいっしょなんでしょうけど。

とはいうものの、それもこれも今ではいい思い出。
陣痛や出産時のメリメリいう自分の骨盤の痛みや、会陰縫合の抜糸の痛みや、なんやかんやいう痛みの全ては遠い記憶となり、今では思いだせないくらいです。
だからオンナは何人も子供を産めるんでしょうね。

人生でほとんどがんばった記憶がないワタクシが(それもどーよ)、唯一がんばった、と言えるのが出産なんじゃないでしょうか。
まぁたかだか一人産んだくらいでエバレるようなもんでもないんですけど。

今となっては、会陰切開の跡と痔は、ワタクシの勲章です。




・・・というのが、毎年の忘備録です。はぁ、もう二度と経験できねーな。

それこそヂヌシになるきっかけとなった18時間にも及ぶ分娩が、今となっては、とんでもなく痛かった、という感想しか残っていないのが不思議でなりません。

 

ワタクシ、結婚したのは27歳とそこそこ若かったのですが、実は10年間子宝に恵まれませんでした。

そして35歳のとき、もうタイムリミットだと思い、一大決心をして婦人科に行きまして。

結果、子宮筋腫が見つかり、場所が悪いから手術して切除しないと妊娠できない、という事実を知ったわけです。

またもや一大決心をして、手術を受け(全麻だったので記憶ナシ)、なんだかんだで37歳で妊娠→38歳で出産、と相成ったのですが。

 

10年前は今ほど不妊治療がメジャーではなかったですし、バースコントロールはデリケートな問題でアンタッチャブルな雰囲気でしたし、親親族からの無言のプレッシャーや夫の非協力的な態度とか、まあ思い返せばイロイロそれなりにあったような気がしますが、それもこれももう遠い記憶となりました。

 

もともと子供自体がそれほど好きというわけでもなく(どちらかというと苦手)、できないならできないでいいや、とも思っていたんですが、あの市販の妊娠検査薬で陽性反応が出たときの嬉しさは、なんかもう言葉では言い表せません。。。検査スティック持ったままトイレの前で泣きましたもん(それもどーよ)。

そして感極まりながら夫に電話したら、愛想の無い声で「ああ、そう」とだけ言われて激怒した、っていうね。温度差ハンパねーな。

そんな夫も今では娘に激甘な父親になってますから、産んでみないことにはわからないものです。

 

おかげさまで娘はすくすくと育っております。

ヘタレで泣き虫なトコロは赤ちゃんのときと変わりませんが、彼女なりに成長して、少しづつですが、親離れもしています。

淋しい反面、心強かったり、でもやっぱり淋しかったり。

まったくもって勝手な親でゴメン。

とかいう気持ちになれたのも、実はここ最近です。

育児って、こんなに大変だとは思いませんでした。

産みの苦しみなんて、ほんの数時間か半日。

産んでからが本当の苦しみの連続で、なにもかもが初めてで、特に最初の1~2年はまさに出口の見えない迷路を手探りで一歩一歩前進してはつまづいて転んで、起き上がってはまた手探りで一歩進んで半歩下がる、みたいな。

まさに七転び八起きの連続で満身創痍。なのにお金もらえるわけでなし(苦笑)。

 

でもそれほど大変でも、やっぱり我が子の笑顔を見たりすると、とてつもなく愛おしいんですよ。

育児のしんどさより、ほんのちょっぴりだけ愛おしさが勝るんですよ。だからやっていける。

まぁたまにはしんどさが勝っちゃって、思い切りやさぐれたりもするんですけども。

 

先日の学校の保護者面談で、先生からものすごく嬉しい言葉をいただきました。

詳しく書くとウソっぽくなってしまうので割愛しますけど、学校からの帰り道、ちょっと泣いてしまいましたよ。まぁ先生は保護者全員に同じこと言っているのかもしれせんけども。

こんなにザツでいいかげんな育て方をしたにもかかわらず、娘はまっすぐすくすくと育っています。親のワタクシがいうのもなんですが、なかなかイイヤツなんです。ええ親バカなのはわかってます。

 

アナタを産んで本当によかった、アナタのママになれて本当によかった、と心から思います。

たぶんママとパパは先に死んじゃうし、そうなるとママもパパも一人っ子で、アナタも一人っ子だから、天涯孤独になってしまうことでしょう。

でもアナタが今のように素直でまわりのみんなを笑顔にすることができるなら、きっと一人ぼっちじゃない。

どうか、たくさんの友達や仲間と(できたら新しい家族も)いっしょに、楽しい人生をおくってください。

今はそれだけを祈っていますが、もうちょっと欲を言えば、来世もアナタのママになれますように。。。

 

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