入院3か月を経て、ようやく
一時退院をさせてもらえたとき。

ずっと、願ってた自宅での生活。
待ちに待った家族3人での生活。

でも、そこには、たくさんの不安と緊張の連続が待っていました。

こどもと二人きりの生活は、怖くて怖くて・・・

不測の事態にいつ陥るかわからない不安。
毎時、毎晩、気が気でありませんでした。

ある時、

突然、嘔吐を繰り返し、病院に電話したことがありました。

すべての状況を報告しなければなりません。

「目を離していたから詳細がわからない。
気づいたら、嘔吐していました」

と答えたことがありました。

事実、言葉のとおりでした。
だけど、その言葉なんて、看護師さんには伝わりません。

「嘔吐の量は?」

と聞かれても、よくわからない。。。

このとき、

親がすべてなんだと。
私の判断がすべてなんだと。

それを痛感し、反省をした出来事でした。

そのことが、今でも心に刻まれています。

すべて、私なんだ。と

それが命を守ることなんだと。


毎日、心に思うこと。

それは、何もない 
平和な毎日。

体調に変化がないこと
それだけでした。

通院日が待ち遠しい・・・
指折り数えてました。

あと、何日のしんぼうって。

病院にいれば、少しおかしてくても、
先生がいてくれる。看護師さんがいてくれる。

病院は、私の安定剤のような場所でした。


毎日、2人きりで過ごしていると、
申し訳なさでいっぱいになります。

子供を抱いて、何度泣いたことか・・・

いざ、2人になると、今の不安、この先の不安
不安しかないのです。

鼻にチューブを通した姿をみれば、
悲しくて、悲しくて・・・


子供を連れての外出は
買い物すら正直躊躇していました。

外に連れて行きたいと思う一方、
鼻にチューブした子供を見せることにためらい。。


でも、あるとき、
外の景色をキョロキョロと楽しそうに
見ている姿をみて、


あー気にしてるのは、私だ。


ということ。

この子は、鼻に何がついていようと、全く気にしてない。

世間体を気にしている私がまた出てきた。

そう思いました。


この子が気にしていないことを、私が気にしてどうする??

この子が嫌で泣いたり、気にしてるんだったら、

私もその時、一緒に気にすればいいし、外出しなければいい。


でも、この子は、全く気にしてない。


そう思えたとき、

私の中で、ようやく何かが吹っ切れました。


この頃から、おおかた、この考え方をするようになりました。
すると、とっても、楽になったのです。


「この子が気にしたら・・・」
「この子が嫌っていうなら・・・」

それまでは、気にする必要なんかない。
気にした時に一緒にそのとき考えればいいって。

そう考えられるようになった時、一歩前進できました。

親として、ようやく引き受ける覚悟ができたように思います。


その後の、手術入院も、術後看護も
この時の、この気持ちが支えになりました。

病気を持って生まれたこと、
こうして治療をして頑張ってる我が子
それがあって、私の子供だということ。

そう思うように、なれたのは、
生まれて半年以上経ってからことでした。


それだけ、長くかかるものなんですよね・・・

一歩ずつ、親になる勉強をさせてもらいました。

感謝です。