見ざる、聞かざる、クソ猿

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つい一昨日のこと。

元夫の不注意?のせいで、(いや、もはやわざとかな)
偶然にも新しく生まれた子供の写真を見てしまいました。


すごくすごく小さい写真ですが、

元夫と、息子の赤ちゃんの頃にそっくりな子供が写っていました。


今まで性別すら知らないままいたのに。


見たくなかった。

どうしても見たくなかった。


ダメージが大き過ぎました。


息子の時と同じ、
元夫の実家で、同じ構図で、
お食い初めをする写真。


なんだ。普通に幸せそうじゃん。



昨日は、そんな中で迎えた息子の運動会。



私、ここで沢山の人に励ましてもらったのに、

私は前向き!って散々強がっていたのに、

全然強くなれてなんかいませんでした。





私は、元夫に何を求めていたんでしょう。



離婚したことを後悔して欲しかった?

不幸になって欲しかった?

ただお金が欲しかった?

息子を思っていて欲しかった?



その全部です。

でも、感覚が違う人には、

結局何も通用しないんです。



元夫がクソみたいな再婚をしたことを知った後も、私が元夫と繋がりを絶たなかったのは

もちろんお金のことがあったからだけど、

それ以上に、


元夫から聞く話の中に
元夫の不幸を見つけたかったから。


不倫嫁の不幸を見つけたかったから。


不幸を見つけることで自分の心を保っていた、
なんの覚悟もない、前向きでもなんでもない
情けない私。


正直、毎月の慰謝料養育費なんてどうでもよかった。ただ、あいつらを経済的に追い詰めたいから取りたかっただけ。


私と繋がってることで、
不倫嫁が少しでも、自分がして来たことを思い悩めばいいと思ったから。


私と繋がってることで、
少しでも元夫に息子のことを思い出して欲しかったから。


でも、そんな思いは自分を傷付けるだけでした。



あいつらがどれだけ不幸だろうが、
どれだけ幸せだろうが、

それは、私には推し量れないということ。



感覚が違うから。



どれだけ借金があろうが、
どれだけ慰謝料養育費払っていようが、
どれだけ傷付けた子供がいようが、
どれだけ嘘にまみれた夫だろうが、


それでも、私と違う価値観の人間は
それで幸せなんだということ。


不幸を、不幸だと気付かないんだということ。



住む世界が違うから。



私には可愛い息子がいる。

あちらにも、可愛い子供がいるんです。



私と息子には、どんな時も助けてくれる
愛情いっぱいのじぃじばぁばがいる。

あちらにも、それなりの、祖父母がいるんです。



私の方が今は経済的にも余裕がある。

あの人達は借金とか全然気にしないんです。
払えないものは払えない!放置!
で平気だから、別に関係ないんです。



不倫した両親なんて子供が可哀想。

不倫する程愛し合ってた。
それを貫いたんだからむしろ純愛だ。
長く付き合ってた元カノだから、
むしろ間でちょっと間違っただけ。


傷付けた人がたくさんいる。
それすらも、自分達に酔いしれる材料なんです。


向こうの両親も、そんな息子夫婦
受け入れるはずがない。

自分たちが育てた息子だから、
受け入れちゃうんです。




すっごく幸せな人達なんです。




なんかもう、叶わないや。


私の負けだよ。


何をやっても私が傷付くだけ。


見ざる、聞かざる、言わざる。


それが唯一自分を守る方法。


感覚が違い過ぎる。


住む世界が違いすぎる。



でもこれ、


考えてみたら


ぜーんぶ想定範囲内。


その現実を想定していなかった私が
純粋過ぎた…いや、バカだっただけ。


傷付いたのは全部自業自得。
 

私の覚悟が足りなかった。


だからまたバカみたいに傷付いた。





また、仕切り直し。







この、クソざる一家め‼︎

どのツラ下げて、
息子と同じようにお食い初めしてんだよ‼︎

あのツラ下げて写ってたけどね真顔

鯛1匹買ってる余裕あったら慰謝料養育費払えや‼︎


あー
子供に罪はないんだった…