うげーッ!ださッ!きもッ!をまじまじと眺める。 | しっくりと生きよう。自分のリアルを整える北海道北広島サロンドクープ主宰者遠山幸子のブログ

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「日常のリアルを整えることが、自分の人生を具体的に作り出していく。」足もみサロンドクープ主宰者・遠山幸子の思い、日々の気付き、母としてなど、「何を大切に生きているか」の証しを綴るブログです


テーマ:

 

自分自身の中高生のときにとか

20代のときとか

 

かっこいいと思ってハマっていたことを

改めて眺めてみると

 

 

”「それがあって今のわたしが居る」のは

大前提(全肯定)ではあるけど”

 

 

 

たまらなくダサい。

 

うげーッ!

 

キモい。

 

 

 

となるものなんだろうなぁー。

(あくまで否定ではない)

(変わらず好きなものは好き、というのもある!)

 

 

過程としてその時点では

それがかっこよかったんだね

いい!と思っていたんだよね。

 

 

その分、今までに成長しているのだ

ということでもあるのだと思います。

 

 

 

普段、色々な

イケてるでしょ?的なものを見ていて

 

うわぁぁあ...とか

そんな感覚を覚えることがよくあって

 

 

 

たいてい昔の自分の

古い価値観が呼び起こされたときなのだと。

 

 

 

 

それ自体も良いも悪いもなんでもなく

ただ

 

「いま、私はこう感じた」

 

を眺めて見るだけ。

 

 

あえて人にも言わず

心のとどめておくだけなんだけど。

(と言って書くけど)

 

 

 


 

今ブログの手直しをして改めて思うのは

 

 

自分がした表現を

(数年前ですら)

 

「おいおい、随分な過剰な表現だね」

(そういう表現をするべき、のような影響を受けたんだね)

 

「何か人を”わたしが!”変えようとしているんだね」

(私がやった!の手柄をゲットしたいのかい)

 

「癒やしを”自分が与える”と思っていないかい?」

(与えるのではなくて、相手側に結果的に起きることよね。)

 

「セラピストって何か特別な存在だって少しばかり酔ってるかもね」

(特別になりたかったのかな)

 

 

そんな風に冷静に大きく眺めている私がここに居ます。

自虐でもなんでもなくね。

 

 

 

↑の「」の部分で自分の中にはどんな感情が動くだろう。

 

 

「目にした人がやっているから

”そういうもの”だと思っていた」

 

って大小なりあると思うのよね。

 

 

そしてこういうことって

問いかけてくれる人って

少ないものよ。

 

 

 

 

いまの私自身をまた数年後に見たら

たまらなく気持ちが悪いのかもしれないし

 

 

きっとどうあっても

そうなるものなんだろうなぁと

静かに眺めてる。

 

そのダサさ、カッコ悪さ、キモさも含めて

軌跡ってことなんだろうなぁ。

愛おしいねぇ。

 

 

 

 

「きみそーいうとこあってウザいよね! 笑」

「え、やっぱり?わかってるじゃん。それが味さ♪」(←わたし)

 

そんな会話が出来ることは信頼のひとつのカタチだし

脱皮し続ける一つのきっかけだったりする。

だから私は感謝しているのよ。

 

 

 

”思っていても言わないものだ”

 

の世界に生きてきて思うこと。

 

 

本音の世界はけっこうあったかい。

 

 

 

 

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