先日、父の病院に行ってきました。
雲ひとつない、青空の快晴の日でした。
帰り道の公園の新緑は、まぶしいくらい
保育園の子どもたちがたくさんお散歩していて
「普段は私もあっち側なんだけどなー」
なんて思いながら可愛い姿を見ていました。
主治医の先生は、CTスキャンの画像をもとに、とてもわかりやすく説明してくださって
深刻な病状を冷静に、かつ、家族感情に配慮しつつ話すことに慣れているんだろうなーと思いました。
結論から言うと、脳に腫瘍ができていて、それが神経を圧迫しているので、歩行が困難になったり、言葉が遅くなっているとのこと。
この腫瘍の治療を積極的にするかどうか?ご家族で判断してくださいとのことで…
もし何もしなければ、余命はあと数ヶ月
でも、治療したからと言って、高齢のため、体力が落ちるかも知れないし、完治を目指すものではない、とのこと。
とても難しい判断を迫られて、冷静でいるのが精一杯でした。
でも、とりあえずCTよりもっと詳しくMRIの検査ができるとのことなので、その結果待ちになりました。
先生のお話があるまで、父のベッドサイドにいたのだけど、
看護師さんが、父の体温など測りに回ってきて「お名前言えますか?」など、いくつか質問したんです。
そのときに、「ココにいらっしゃる奥さんと娘さんのお名前言えますか?」と聞いたら、「そんなのわかるに決まってるでしょ!」という感じでちょっと笑って
「〇〇まゆみです」って、私の名前を旧姓で言うんです。
25歳で結婚して26年。
旧姓で過ごした期間より、結婚後の姓の方が長いです。
でも父の中では、いつまで経っても娘のまま。
そう思ったら、涙が出てしまって
先生のお話のときに感情的になることはなかったのだけど、父の姿を見るととても心が揺れ動きました。
「握手したらとても力があって、まだ体力はあります。」
と主治医の先生がおっしゃっていたので
私も別れ際、父と握手してみました。
その、ぎゅっと握った手は、予想以上に力強くて
弱々しい老人の手ではなく、私達家族をずっと守ってくれた、強い父の手でした。
まだ、生きてる。
もっと、生きて欲しい。
できれば、どこにも痛みなく、自分で体を動かせて、歩けるくらいになって欲しい。
そんな、今まで当たり前だと思っていた、普通の生活への欲が止まりません。
帰り道、ソラマチを通ると、スカイツリー観光の方がたくさんいます。
その中に、両親くらいの年齢のご夫婦が一緒にいると
「いいな、一緒にお出かけできるって、すごく幸せなことだな」
と思う。
さらに、父くらいの年齢の方が歩いているだけで、
「歩けるんだな、いいな」と、うらやましく思ってしまう。
自分の中にそんな感情があったなんて、知りませんでした。