命の選択 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

選択のお話。


ちょっと前のブログで、

「英語を使った仕事を考えたときただ
英会話が出来るだけで、人と人の間に
入って翻訳する事しか出来ないのなら
好きな仕事には就けず、AIや機械や
他の人に取って替わられるよ」

「翻訳するだけじゃなく、自分が何を
したいか出来るか、英語にプラスして
それがないと駄目よ」

「英語が出来る=仕事が出来るという
勘違いをしがちだけど、違うのよ」

といった感じのお話をしました。


ワターシエイゴワッカリマセーン
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12824390804.html


改めて自分の記事を読んだのですが。

これは私が前職にいた時の悩みと同じ
に思えてきたのでした。


「間」「受け身」「言われた事だけ」
「自分は悪くない」「アイツのせい」
「途中」「つなぎ」「他人まかせ」…


自分の今の状態にこういうイメージを
持っていたり。

そういう意識で働いていたり。

もちろん仕事に限らずですが。

そんな後ろ向きな考え方では、ロクな
仕事は出来ないし、他人の目も冷たく
なるし、運も悪くなるし、自分自身も
腐っていくのです。


それはおそらく、自分が気づく以上に
外から見える顔や態度や言動に表れて
しまうのです。

そういう言動が更に心をネガティブに
していくのです。

冗談やフリでも、ネガティブな行動を
していると、本当に心がネガティブに
なっていくのです。


私のお仕事のお話。

今は私は警備員ですが。

以前は、一部上場企業の製品設計職と
一部上場企業(子会社)の調達事務。

有名な会社の勤めを経験したのです。

ネームバリューある会社に勤められて
誉れな筈なのに、そのどちらでも何か
勤めていてもう人生が嫌になる感覚に
なり、メンタルを病んで退職となった
のでした。


仕事が出来なかったり嫌だった訳では
ないのです。

一人出張を任されたり、表彰や特許で
プラスの報酬を貰えたり、与えられた
業務をこなすのはできていたのです。


それで、なぜあんなに辛かったのか。

なぜあんなに不安だったのか。

今の警備業が辛くないのか。


考えたところ、それは
「自分で考えられて、仕事を納得して
やる事を選択した、と言える仕事」
かどうかだと思ったのです。

以前の仕事は、受け身で、間に挟まれ
他人の反応や決断に振り回されていた
のでした。


製品設計時代のお話。

今なお辛い思い出として心に刻まれて
いる仕事があります。

詳細はもちろん言えないのですが。
業務上知り得た知識ですので。

世界的に知られる、ある設備に関わる
仕事が入ったとき。

その時の職場にある設備では、量産化
できるレベルをぶっちぎって不可能な
案件なのでした。

現実的に考えてお断りとなる未来しか
あり得ないのです。

それを上が
「どこまで出来るか考えろ」
と丸投げ無茶振りしてきたのでした。



イメージ図です。



もうひとつ。

製品設計時代に新製品開発をした、と
ときどき言っているのですが。

それは開発中盤あたりでメイン顧客の
不採用が決定していたのでした。

それでも、開発計画を打ち出した以上
製品生産体制を整えなくてはならない
大人の事情があったのでした。


売れないとわかっている製品のために
本来の業務に加えてサービス残業して
開発の業務も行う毎日…

メンタルや仕事の考え方は鍛えられて
結果として良い経験でしたが、それは
それはつらい時期だったのです。


自分で選べず考えられず判断できず、
理解できず納得できず。

それでいて、強制的に辛い方無理な方
無意味な方を押し付けられる…

「どうせできないじゃん」
「断るしかないじゃん」
そう思いながら仕事していたのです。

それが辛かったのです。


調達事務時代のお話。

調達と言いながら、自社製品の出荷も
担当しておりました。

製造部門に言われた出荷日に出荷して
輸送業者に言われた納品日とするしか
ないのに。

悪天候や災害等で遅延となった際に、
「そこをどうにかするのが仕事だろ」
のように責められたのでした。



イメージ図です。



もうひとつ。

原料メーカーの撤退などで、使用する
材料や部材が調達できなくなった際、
ウチの部門は製造に影響ないよう調整
する必要があるのですが。

日本には古来より
「無い袖は振れない」
という名台詞があるのです。

それも
「そこをどうにかするのが仕事だろ」
のように責められたのでした。


やりようがないのに、一方的に何とか
しろどうにかしろ、と責任を問われる
状況が、私には耐えられないストレス
だったのです。

入社1~2年の平社員なのに。

自分で出来る部分は何もないのです。

製造部門と業者に挟まれて責められる
仕事なのでした。

「やりようないじゃん」
「俺悪くないじゃん」
そう思いながら仕事していたのです。

それが辛かったのです。


日本には古来より
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
という名台詞があるのです。

私は、絶対に許せない、納得できない
ものがあると気づいたのです。

それは
「やるべきことをやっていない状態」
「やるべきことがわからない状態」
「やるべきことが決まってない状態」
です。


設計業務の例のお話。

「自社で対応できない程の仕事」や、
「量産化しても売上にならない仕事」
のために苦労をしてもメリットになる
事はないはずなのです。

私の評価にも繋がらないのです。

それなのに。

賽の河原のように、崩れると分かって
いながら業務を続けるのが辛かったの
です。


調達・出荷業務の例のお話。

「業務ミス等自責ではない納期遅延」
「容易に調達が不可の部材の欠品」
のために自分が神経をすり減らしても
何も変わらないのです。

それなのに。

上司からもどうするんだと一方的に
責任を問われるのが耐えられなかった
のです。


求職活動期間のお話。

無職の状態のストレスが辛かったのは
定年のような「無職であるべき無職」
ではなかったからなのです。

お金の不安があり、完全な退職はまだ
早いと思っていながら無職で居続ける
のは途中の状態なのです。

やるべきことをしていない、あるべき
ではない状態なのです。


次の状態、再就職をしないといけない
のに、それが果たされないのは私には
許せないのでした。

無職は再就職の途中なのです。


職業訓練生の状態もストレスでした。
理由は上述と同じです。

学校を経て次の仕事に再就職するのが
目的なのに、それの兆しが見えずに、
ズルズルと学校に通うことはイライラ
だったのです。


学校や、そこの生徒たちとの交流や、
学んだ知識は楽しかったのですが。

限られた期間の間に再就職しなければ
と焦っている状態は落ち着かなかった
のです。

早く再就職したかったのです。

そんな後ろ向きの時代は辛い思い出と
して私の記憶に残っているのです。


日本には古来より
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
という名台詞があるのです。

私は、真剣に取り組めるものがあるの
です。

それは
「当たり前のこと」
「普通のこと」
「原理、理屈、ルール通りのこと」
です。


私自身が「そりゃやって当たり前だ」
と納得した上で行うことなら、相応の
我慢や努力ができるのです。

我慢や努力をしてきたのです。


ま、前述の許せないことの裏返しでも
あるのかも、ですがね。

「やるべきこと」をやっていないのが
許せないことだし。

「やるべきこと」をやるためなら我慢
できる、頑張れるのです。


許せないお話。

私が前職、前々職で死にたくなるまで
メンタルが落ち込んだのは。

「やるべきでないことをやる」
売上にならない仕事をやらされる。

「やるべきことがわからない」
納期遅延や調達不可をどうすれば解消
できるか、答えがない。

「やるべきことをやってくれない」
部門の危機でも、上司がフォローや
アドバイスをくれない。

これが異常な状態ではなく通常業務で
起こっていたのです。


ここが正念場、皆で協力して、ここを
乗り切ればOK…ではなく。

そこにいる以上、永遠に続く苦行だと
気づいてしまったのです。

このストレスは私の命を脅かす…

この環境は絶対に許されざる環境だ…





私のHSPが「現環境から離れろ」と
訴えかけてきたのです。

その手段が自殺だったとしてもね。


頑張れるお話。

当たり前の事なら頑張れるのです。


生命体である以上。
生存本能がある以上。

一時でも長く、この命が世の中に在る
ために頑張るのが本能なのです。





死にたいなんてのは重症の精神異常の
状態なのです。

生きたいと言うためなら、生きるため
なら、いろいろと頑張れるのです。





生きるためには食べ物が要るのです。

狩りをして獲物を捕らえて食べる。

トンボだって、カエルだって、生きて
いるんだから、生きるためならやって
いることなのです。


現代社会で他の生命体を武力をもって
狩るのは現実的ではありませんね。

狩りが仕事に、獲物がお金に替わるの
です。


仕事をする、働くのは、生きるために
当たり前のことなのです。

だから生きたい、生命活動を続けたい
のに仕事をしてない状態は許せないの
です。

当たり前じゃないから。


将来仕事するために、学校に通うのは
当たり前のことなのです。

当たり前だから、私は学校のお勉強を
頑張れたのです。


警備のお話。

今の警備業は「日々やるべきこと」が
かなりキッチリ決まってまして。

それを淡々とこなすのが優秀な警備と
言えるのです。


それを超える何かを求められたり、
逆に評価にならない苦労をしなければ
ならなかったり。

そんな納得のいかない状態での仕事が
少ないのです。
(ないとは言ってない)


契約で、手順で、ルールで、指示で。

やり方も目的も決まっている業務を
粛々と執り行うのです。

私の性質にあっているのです。


業務内容も
「従業員やお客様の安全を守護る」
「怪我や盗難など被害を生まない」
と、紛うことなき正義の道なのです。

人を騙したり裏でサボったりではなく
警察や消防や救急とも関わりのある、
社会のための仕事なのです。


そのためなら、24時間拘束や薄給や
土日祝日盆暮れGWなしでも出来るの
です。


出来る

出来るのだ





で。

こう思える一番の理由が、タイトルの
通りなのです。

「自分で自分の運命を決めたか」
「自分で考えて、良かれと思う選択が
出来たか、してきたか」

ここが要な気がするのです。


退職のお話。

例えば、以前のお仕事をもっと早く、
少し辛い程度で辞めていたとしたら。

「あの上司に辞めさせられたんだ」
「アイツのせいで自分の人生は…」

と、いつまでも他人のせいだと考えて
未だウジウジしていたと思うのです。

自分で決めた退職ではないから。


「環境や他人に負けてなるものか!」
「本気で頑張ったらぁ!」
「何のこれしきの」





と精一杯、限界まで頑張って。

実績も評価も上げるまで身を入れて。

それでも事態が変わらず、自身も辛く
感じていたなら。

それでダメなら諦めもつくのです。

自分で納得が出来るまで頑張ったなら
それで十分なのです。


成果や評価の「いい部分」は思い出と
して、人生の誇りになるのです。

退職や諦めの「悪い部分」は頑張った
自信、人生の下地になるのです。


ちよっと余談。

先日こんなポストを見かけました。


 これは無敵メンタル
https://twitter.com/nikokosan/status/1716786619095863402





私の言いたいことと同じなのです。

だから辞める選択をした事に後悔など
あろうはずがないのです。





良い会社を辞めるのも、後悔しないと
思える選択が出来たのです。

自分で納得して選択したから。


再就職のお話。

今の警備業も見方によっては「間」で
「他人まかせ」なのです。

上司、隊長、施設所有者、施設の客。
ソイツらに振り回される仕事。

自分で勉強したり工夫したり、成果を
上げて付加価値を生むような働き方が
出来ない、他人まかせの仕事。

そういう見方もできるのです。


どうせ数年しかやらないし…みたいな
認識で働く者もいるかも知れません。

年金までの「つなぎ」とか。

とりあえず失業保険の対象になるまで
居座ろうかな、みたいな「受け身」の
姿勢とか。

そういう輩もいるのです。


そんな姿勢で働いて、やりがいがある
はずがありません。

私はそういう見方をせず、やれる限り
前向きにやってやるというマインドで
仕事をしているので腐らずにいられる
のです。


良くない(失礼)業種に勤めていても
後悔はないのです

自分で納得して選択したから。
他人まかせの仕事をしていないから。


結局のところ、どんな環境も、当人の
やる気やメンタルや、どう感じたか、
どう意識するかで結果は変わるように
思うのです。

前向きか、後ろ向きか、ですかね。


英語のお話。

同じ通訳でも、英語を使って人の役に
立ちたい、なんて思って勤めるなら。

そういう意欲的な姿勢が見えたなら。

お客も「いい通訳」「話しやすい奴」
と思ってくれたりするのかもですね。

それは只の通訳以上の価値を生むかも
知れないのです。

そういう意識で英語を使う仕事を探す
のは良い事かも知れませんね。


「かも」ばっかで何も知らないな、と
お思いの方も居るかも知れません。

私、英語を仕事にする業界なんて何も
知りません。

想像です。


ちょっと余談。

こんなお話をみかけました。


 英語は重要だが、母国語能力が十分
 である事が大前提。
 日経新聞を理解できない日本人が
 Wall Street Journalを理解できる
 訳はないと当たり前に思っている。

 インター(ナショナルスクール)出身
 と言うだけで、頭がカラッポでも、
 早慶とかそれなりの大学に推薦で
 入学し卒業出来てしまう事。

 そう言う人が、自分はエリートと
 誤解して、世の中を舐めきった結果
 として転落する例をたくさん見て
 きた。

 そう言う人は、英語でも日本語でも
 込み入った文書を書いたり読んだり
 出来ないし、精神年齢もキャッキャ
 系高校生位で止まっている。

 結果として、日本社会でも米国社会
 でもサバイブできない。

https://twitter.com/naive_prince/status/1716344715518583199


ですって!

英語が出来るから自分をエリートだと
勘違いしたり、英語ができるだけで
いい条件の仕事につけると思ったり、
英語以外の所の能力向上を怠るような
傲慢が、目も意識も人生も曇らせるの
ですね。

低い意識では低い仕事で低い評価なの
です。


私も「いい会社に勤めている」ための
傲慢や怠慢があったのかも知れないの
です。

たまたまでいい会社に入れただけで、
私自身にはそこに居続けられる相応の
能力はなかったのです。


警備のお話。

「俺が守護らねば」と意識して業務に
当たれば、気概は上司やオーナー達に
伝わるかも知れないのです。





いや、きっと伝わっているのです。

その意識で巡回すれば、悪党どもに

「ここで悪さしたらコイツ来るんか」
「今日なんかやるのは止めとこ…」

と思わせられるかも知れないのです。

ひとつの防犯活動となるのです。


どうせ警備だし薄給だし繋ぎだし…

そんな意識で働いて、何が守護れると
言うものか、なのです。

そんな意識はその者の目も顔も人生も
濁らせるのです。


まだ わからんか…

心じゃよッ!





心が変わらない限り。
心が決まらない限り。

考えも言動も人生も、変わらないの
です。


こんなお話も見つけました。


 自信があるフリをしているといつの
 間にか本物になる。

 それはホルモンの影響であるという
 興味深い実験結果のお話。

 これって恋愛でもそうで自信満々な
 人は実力に関わらず何故かモテるよ
 ね

https://twitter.com/batsu1teacher/status/1716397690924528020


合わせてもうひとつ。

日本には古来より
「狂人の真似とて大路を走らば、
即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、
悪人なり。」
という名台詞があるのです。


徒然草で「狂人の真似とて~」の
一節だけバズってるが、その後に続く
文章も学ぶ勇気貰えてよかった
https://togetter.com/li/2076032


やろうと意識して、実際にやれたなら
その意識は人を変えるのです。


もひとつおまけ。

日本には古来より
「本気になれば自分が変わる
本気になれば全てが変わる」
という名台詞があるのです。





締めのことば。


私はようやく、受け身ではなく仕事が
できる環境を手に入れられたのです。

誰かのせいにしない前向きな生き方が
出来ているのです。


皆様方におかれましても、そのような
勤め方、考え方、人生を得られん事を
陰ながら勝手に祈っているのです。


問題は、どうやって本気になれる程の
環境や仕事と出会えるか、ですが…


それが分かれば苦労はしねェ!!!