ホモでなくて | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

性のお話。


私の性的趣向は、つまらんくらいに
ノンケです。

中学生で止まってるんじゃないかって
位に無難です。

精神的にも男子中学生みたいなもの
かもですね。

精力は年相応に減衰してはいますけれ
どもね。


とはいえ、ホモ、ゲイ、同性愛などを
バカにしたり、異端と思うことはない
のです。

寄り添ってるとか、多様性を認めると
いうより、基本他人がどうとか知った
こっちゃないのですね。


前もチラッと書いた記憶ですが。

肌の色とか目の色とか出身とか。
宗教とか趣味とか考え方とかの違いは
私にとっては何色のハンカチを持って
いるか、程度の認識なのです。

何色だろうがどうでもいいし、私と
違っても気にしないし、それで私の
行動が変わることはないのです。


それは逆に、思いやったり、配慮する
という事をしていないという意味にも
なるかも知れません。

そもそも、そんなもんも要らんという
のが持論なのです。


誰でも一人の人として配慮してりゃあ
それ以上の優遇なんていらないし。

そのかわり、それ以下に見下すことも
ない、人類皆平等なのです。

それが私にとって、一番の人付き合い
だと思うのです。


私自身、HSPだから鬱だからと、
特別な配慮される方が私は嫌ですし。

だから私はギリギリでも「健常者」側
であるために、日々努力と我慢をして
娑婆の活動を続けているのです。


腫れ物に触れられるような扱いで優遇
されながら、「アイツHSPだから、
どう接していいかわからねえな」的な
目で見続けられながら仕事をするより
なら、と。

前の会社はHSPを打ち明けて、結果
自主退職に至ったのです。

今の仕事もHSPを隠して、ふつうの
ふりをして頑張っているのです。


そのかわり、変わり者で大人しめの
人間性だからと邪険にしたり、ほかの
人に取らないような態度をするなって
思う時もあるのです。

配慮や優遇もない。
そのかわり、差別や侮辱もない。

すべての少数派の方々にも、特別視を
向けないことが一番、というか普通、
あるべき姿だと思っているのです。


少数派を少数派のままでいいじゃない
と考えるべきなのです。

区別、違ってはいるのでしょうけれど
直せとも言わないのです。
治らないままでいいのです。


逆に、マイノリティの中でも一部の
連中なのでしょうけれど。

優遇しろ、あるいはこちら側に付け、
という侵略をしてくるから、そういう
少数派はヤベエ奴という認識や差別が
解消されないのかも知れませんね。

例の車椅子とか、ヴィーガンとか。


閑話休題、ゲイのお話。


ただ、ゲイ業界というものに、ほんの
ちょっとだけ興味はあるのです。

同性愛的にでは絶対にないけど!


以前とある所で書いたのですが、ゲイ
業界の中で、

レベル0:ノンケ(スキルアウト)
レベル1:美少年好きショタ
レベル2:イケメン好き
レベル3:ガチムチ好き
レベル4:オッサン好き
レベル5:女性からもモテないような
     人でもOK(デブハゲ爺など)

だとして、レベル5は世の中にいるの
だろうか、と考えた時があるのです。

くれぐれも。
私はスキルアウトです。


もしレベル5がいたとして。

モテないからとか。

女性が苦手だからとか、過去に虐待が
あったとか、心理的な背景があるわけ
でもなく。

ニッチな業界で自分を売って、小遣い
稼ごう、みたいな金銭的なものでも
なく。

世の中の誰でも選んでいいとなったと
しても、その人を選ぶのか。


だとしたら、そういう方々から見ると
私はどうなのだろうか、なんてね。


軽肥満の警備マン。
アラフォーおじさんです。
水泳、陸上、居合やってました。

ホモの兄ちゃん、いかがかしら?

私には想像すら不可能な未知の感性に
対する興味なのです。


男からみた女性の魅力は、特殊な方も
含めて、数多の作品、性的消費物と
して形になってるし。

逆も女性向けコミックや男性アイドル
みたいなのが当たり前になった今、
わかりやすいものなのですが。

オッサンがオッサンを性的に好意的に
見るのは、どこをどう感じ取っている
のか、想像だにできないのです。

どういうオッサンだとモテるか、とか
モテそうにないオッサンにも欲情する
オッサンがいるとしたら…とか。

未知のエリア!



そういう異文化を聞く飲み会みたいな
のをやりたいなと少し思うのです。

風俗関係者とか。
性に限らず、学校の先生とか、宗教の
人とか、無職とか引きこもりとか。

人生はどんな形でも美しいのです。
傍から見る分にはね。

当事者は大変でも、傍観者からすれば
楽しい娯楽なのです(ゲス顔)。


でも、HSPだからやめとこか。

VR飲み会とかならよいかな。

リアルタイムの応答や声でのコミュニ
ケーションが辛いから、やめとこか。


体験談漫画やエッセイやコラムとか、
Twitterやブログやを見に行くとしま
しょうかね。

クリームパンみたいなゲイの方の日記
的な漫画(Twitter)をちょくちょく
観させてもらっているのです。


望月もちぎ
https://twitter.com/omoti194


この方、どうやら年配の男性とお付き
合いがある(あった?)らしく。

レベル5じゃあないですか。


思えば遠い昔のこと。
初めてネトゲでギルドに入ったとき。

ギルマスが小学生女児だったらしく。

年甲斐もなく当時アラサーおじさん、
初めての事でチャットとか共狩りとか
緊張しちまってよ…


そのギルド仲間の1人が、確か十代の
引きこもりだった気がします。

他愛もない身の上話を聞いてあげてた
ら、感謝されたのです。

キャラ名も忘れちゃったけど、元気に
してるかしら。


リアルの仕事仲間だった人達のその後
なんて微粒子レベルの興味もないけれ
ど。

そんな形で交友した人達の事はたまに
思い出すのです。

そんな形での身の上話も、おもしろい
ネットやネトゲの醍醐味だと思うので
す。


くれぐれも、リアル友人は一切なしだ
から。


またまた昔を思い出すのですが。

小学の頃、サッカー部のリア充T君と
少し仲良くお話できた時、なぜか心が
ドギマギしちゃいまして。

恋と勘違いする心地よいものではなく
結構辛いものだったのです。


今思えば、それもまたHSPだったの
でしょう。

感情豊かな人と触れ合う事自体、私は
「つらい」のです。

恋煩いとかのレベルでなく、マジメに
「つらい」苦痛なのです。

いい人といいコミュニケーションを
取れたとしても、私には刺激が強すぎ
て、よい刺激を通り越すのです。

やっぱり人と会いたくないなあ、と、
人と会えない人生なんだなあ、と。

思い直すのです。


まあ、その分、淡く儚くささやかな、
空気のような感覚の幸せを感じ取れ、
それを一生大事に生きられているよう
な気がしているのです。

昔の何気ない一時とか。
夢の中で観た風景とか。

それを観た感覚を思い出すだけで十分
娯楽になるのです。


多くの人の「一般的な幸せ」を持てず
とも、私の中に幸せはあるのです。

幸せという名の住所は僕らの中にある
のです。

 

 

 


私は「ギリギリアウトのHSP」と、
自身を分析しております。

かなりの我慢、努力で、何とか社会の
底辺で居られる、くらい。


私より軽症のHSPさんの中には。

もしかすると、こんな感じでイケメン
君との交流による刺激を
「男性に対する恋」
とか感じて、ソッチに行く事になった
方とかいるのかも知れませんな。


結論はとくにないです。

雑談回でした。