学生時代にスペイン語をかじり、スペイン語をもっと勉強したくて、働きながら学べる職場を探していた。
はポルトガル語だけど、求人に
英語、スペイン語、ポルトガル語が話せる方、大歓迎!
働きながら語学も学べます!
という文句に釣られ、働き始めた。
店の店員は店長以外、外国人しかいなかった
たまにバイトで日本人の子もいたけど、どの子も長続きしなかった…
後に店長に言われたのは、店長が長年勤めてきた間で唯一、私だけが長続きしたらしい。
みんな1年も続かないとか💦
なんだかんだで、3年~4年くらい働いた気がする。
火曜日~日曜日。
夕方5時~翌日の平日は2時か3時。
週末は翌朝5時か6時まで。
家には寝に帰るくらいの感覚で、店にいる時間の方が長かったように思う。
ちなみにこの頃から、スナックでも合間を縫って働いていた。
借金背負っていたとはいえ、よく働いてたよね私
あの頃の私には、スナックよりもの店の方が居心地がよく、家みたいなものだった。
シェフであるの母は、誰にとっても『母』のような存在で、彼女がいたから私は長年働けたのだと思う。
あの頃、一人暮らしをしていた私が寂しい思いをせずにいられたのは、の店の存在が大きい。
だからこそ、人たちに馴染めたのかもしれない。
の母が、あの頃の私にとっては母だった。
この頃、実母とは色々あって絶縁状態でした。
そんな母の手料理を毎日食べていた私。
持ち帰りたくなくても、余った食べ物を持ち帰らさせられていた
母としては、そりゃ捨てたくないからね…
料理に飽きることもあった。
豆腐や納豆が無性に食べたくなることも。
それは当然、19歳までは実母の日本料理を食べて育ってるからね、あくまでも私は人だ。
でもスナックにしてもそうだけど、20歳からの生活は、30歳過ぎた今の私にとって、私の人生の中において、とても重要な時期だった。
現にこうやって料理が食べたくなるのは、私にとって『お袋の味』になってるからだと思う。
元気を付けたい時に食べたくなる。
お袋の味。
そしてネットで食材を買い込みました
自分でも作れる物は作ろうと思います