お袋の味 | マレの頭と心の中身

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『自分の運命に責任を持て』がモットー☆『今を生きる!』生きてる証、生きた証を綴るための日常ブログ。


ブラジルの店で働き始めたのは、20歳の頃だった。




学生時代にスペイン語をかじり、スペイン語をもっと勉強したくて、働きながら学べる職場を探していた。

ブラジルはポルトガル語だけど、求人に



英語、スペイン語、ポルトガル語が話せる方、大歓迎!

働きながら語学も学べます!



という文句に釣られ、働き始めた。




店の店員は店長以外、外国人しかいなかったぽかん

たまにバイトで日本人の子もいたけど、どの子も長続きしなかった…

後に店長に言われたのは、店長が長年勤めてきた間で唯一、私だけが長続きしたらしい。

みんな1年も続かないとか💦



なんだかんだで、3年~4年くらい働いた気がする。

火曜日~日曜日。
夕方5時~翌日の平日は2時か3時。
週末は翌朝5時か6時まで。

家には寝に帰るくらいの感覚で、店にいる時間の方が長かったように思う。


ちなみにこの頃から、スナックでも合間を縫って働いていた。
借金背負っていたとはいえ、よく働いてたよね私ああっ


あの頃の私には、スナックよりもブラジルの店の方が居心地がよく、家みたいなものだった。

シェフであるブラジルの母は、誰にとっても『母』のような存在で、彼女がいたから私は長年働けたのだと思う。



あの頃、一人暮らしをしていた私が寂しい思いをせずにいられたのは、ブラジルの店の存在が大きい。

だからこそ、ブラジル人たちに馴染めたのかもしれない。

ブラジルの母が、あの頃の私にとっては母だった。

この頃、実母とは色々あって絶縁状態でした。




そんな母の手料理を毎日食べていた私。

持ち帰りたくなくても、余った食べ物を持ち帰らさせられていた汗

母としては、そりゃ捨てたくないからね…



ブラジル料理に飽きることもあった。

豆腐や納豆が無性に食べたくなることも。

それは当然、19歳までは実母の日本料理を食べて育ってるからね、あくまでも私は日本人だ。



でもスナックにしてもそうだけど、20歳からの生活は、30歳過ぎた今の私にとって、私の人生の中において、とても重要な時期だった。

現にこうやってブラジル料理が食べたくなるのは、私にとって『お袋の味』になってるからだと思う。




元気を付けたい時に食べたくなる。

お袋の味。





そしてネットでブラジル食材を買い込みました財布

自分でも作れる物は作ろうと思います真顔