44日目、45810歩 28Km 84番『屋島寺』85番『八栗寺』86番『志度寺』 2/2

 

屋島寺境内では半年ぶりに本堂の前で般若心経を読んだ。『無』『空』『死』というネガティブな文字が260ばかりの字句の中に頻繁に出て来る。否定し否定し、否定しまくり、一切は空で辿りつくところは無で空。---しかしそれは否定しようのない真実。宇宙の誕生から続く、気の遠くなるような歴史の中で我々の「生」はほんの一瞬だろう。これは否定しようがない。---この諦観が躍動的な「生」に変われるのが「悟り」なのだろう。どん底まで落ちた時に上が見えるか。いくら歩いても、修行しても、上が見えない。

   

『般若心経』の中で「この言葉こそ真なる言葉である」とされる「ガーティ、ガーティ、ハーラガーティ」という言葉を唱えていると「ガーティ」とは西洋のGOD「ゴッド」の発音が広く国々に伝わる間に変形して伝わった言葉ではないのかと思われてならなかった。ガーティもゴッドも始まりは『G』の発音だ。神も仏も根っこは同じだったのではなかったのか。テープレコーダーなどなかった時代、語りつがれる言葉は文字にされ次へ伝承していくしかなかった。その中で「ゴッド」は地域により「ガーティ」に長い時間を経て変形して行ったのではないのか。

「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦(ギャーテイ、ギャーテイ、ハラギャーテイ、ハラーソワカ)」と般若心経に書いてある文字も、文字自体に意味は無い。発音のため、当時の日本人のための発音案内文字に過ぎない。最初に言葉あり、だ。半年ぶりの遍路でそんなことを考える。

 

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境内では汗にまみれ、黒く薄汚れた自転車遍路に会い立ち話をした。ほぼ同年代の男で宿には泊まらず橋の下で寝て倹約して四国を走っているという。生活習慣が人を変えるのだろう動物本能が目覚めた野人の感性が表面に出ていた。自動車遍路、観光遍路の人たちとは顔つきが違う。車で運んでもらうのと自分で苦労して走る、歩くでは大違いだ。坂道や獣道に今まで苦労したようで、私も昨年の自転車遍路の限界を思い出して

「自転車だと登れない坂があるけど歩きだと天下無敵ですよ」というと、今まで何度も四国の山で苦しんだのだろう、そうだね、と頷いていた。

境内を通り過ぎた右奥に次の寺への出口があり「八栗寺」への遍路道に連なっている。左へ行くと観光バスの駐車場にもつながっている。駐車場を背に右に歩いていくと展望所があって次の『八栗寺』が見渡せた。あの中腹まで行くのだ。

 

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そこから先の道は下りとなり、傾斜が急な遍路道につながっている。獣道だ。周辺にひとりも歩き遍路を見ない。20分以上かけて麓に近づくと前面に鉄柵が横切っていて山からの獣を遮断している。「柵の扉を開けたら必ず閉じてください」と看板。イノシシがこの辺でも多いようだ。平地に辿りつき久しぶりの下りで足がガクガクしてくる。

 

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目の前には山に挟まれた細長い湾があり、海裾からはすぐに次の山がそびえている。左半分が砕石掘削のため削り取られていて無残な山肌になってしまっているがそれが五剣山だ。ボコボコと山を突き破るように突き出たコブ状の山頂が五剣山の名前のもとになっているようだ。

 

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湾を右手に迂回するルートで遍路道は続いている。ざっと3Km以上は歩くことになるだろう。陽射しが昼近くになり強くなっていた。10月も後半だというのに夏のような日差しだ。

お遍路のルートマップに従い右に左に細い脇道を通って『八栗山ケーブルカー』入口にたどり着いた時は昼になっていた。ここまで意外に時間がかかり昼を食べる時間が惜しい。

 

  

ケーブルカー待合室の前のベンチで少し休憩してから左側にある登山口に杖を突きながら登り出す。ほぼ一直線の登山道だ。ケーブルカーの勾配は最大16度と言う。歩きはじめて間もなく路面を突く杖、鈴の音を聞きつけたのだろうか

『お遍路さん、待って下さーい』

と左側の家並み、一軒の家から年配の男の人の声がした。通り過ぎるのを必死になって止めようとする声で

『お遍路さーん、ちょっと、ちょっと待って下さいなー』

と何度も声を掛ける。女の人の声も混じり『待って下さーい』と一緒に呼び掛けて来る。

この山道を歩いているのは私一人で、見回しても他に人は居ないから呼びかけられているのは私に違いない。お接待で呼んでいるらしい。断っていいのは車に乗る接待だけ、他は受けるべしという言葉が浮かぶのだが、今日は時間が惜しくてこのまま振り切っていきたいところだ。女の人が急いで出てきて顔を見せ

『ぜひ寄って行って下さい』

と言う。

 

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家は平屋の上品な建物で、格子戸の奥には椅子が並べてある。いろいろとご接待の用意をする気配なので、宿への到着予定もあってゆっくりしては居られないのですと説明し

『何か飲み物だけ、少し頂ければ、それで十分です』というと冷たいお茶とくず湯を出して頂いた。

『今日はどちらまで?』

と尋ねるので

『87番の「長尾寺」まで行く予定です。5時までに間に合うかどうか微妙なところなので』と言うと、奥の方から、脚が悪くて出てこられないのだろうか年配の男の人の声だけが『うーむ、間に合わんかもしれませんな-、でも長尾寺の民宿に泊まるなら朝にお参りしてからでも明日中には結願出来ますよ』とアドバイスしてくれる。

少し酸っぱい梅味の効いた冷たいくず湯は口いっぱいに新鮮な味覚で広がった。思わず

『---おいしい。---時間が無いので今日は昼ごはん抜きで歩くつもりでした。これだけでも助かります』

と言うと、

『あっ、それならちょっと』と奥さんは、言うが早いか奥に行くとまた小皿を持ってきて、それには甘酒の麹 (こうじ) が煮詰められ、お粥のようになったものが載っていた。

『昔の人は昼にこれを食べていたようです、少しは腹の足しになりますからどうぞ』と勧めてくれる。

 余りに準備がいいのでどうもこの家は単なる民家では無いように思え尋ねると、ここはもともとある人の所有の家で今は誰も住んでいないのだという。遍路道に面しているので日中歩きで通るお遍路さん接待用にと善意の人達が当番で来ている家だという。篤志家による完全なボランティアだ。

 

ケーブルカーを使っていたらこの接待を受けることはなかった、と貴重な接待を味わうのだった。出発しようとすると、ご婦人がこの接待所の名刺を渡してくれた。その名刺には『仁庵』~巡り合い~とあった。上品さと優しさがにじみ出た奥さんだった。85番札所『八栗寺』へケーブルカー入口、そこから150mほど登った歩き遍路道にあるご接待所だった。奥から、声だけで接していた年配の男の方にも礼を言うと陽ざしの中、20度近くはありそうな勾配を再び八栗寺を目指して登り始めた。手作りの料理やお菓子を食べたためだろう、疲れが溜まる時刻なのに以前より元気に登れるのだった。

 

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道路わきのベンチでこの道の勾配が解る。歩き出すとたちまちまた汗が噴き出してきた。

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85番『八栗寺』に着いて納経を済ます頃には1時近くになっていた。屋島寺でもそうなのだが5月の時にお遍路をしていた時には納経所で白と朱色の2つの御印、紙片を記念として頂いたが今回来てみると別途に100円払わないと朱色の紙片は頂けなくなっていた。

朱色の紙片は5月末で発行期間を終えたらしい。納経書の筆入れと御印で300円、白衣への捺印で200円、それに朱色の記念御印に100円、と合計で一つの寺で600円がかかり88か所だと合計で52800円かかることになる。「霊場会」で決められてしまいまして、とある納経所の人は済まなそうな顔をしていた。朱色の札の在庫が無くなり次第発行はしないようだ。

舗装の坂道を次の86番『志度寺』へ向かう頃になってやはり空腹になって来た。電柱のシールを探していると遍路案内地図と地元のシールで食い違っていて地元のシールは近道を指示している。やはり昔の道を通ろうとシールを無視して琴平電鉄の線路を渡り遠回りを承知で遍路道を歩く。たちまち車の通りの激しい舗装道路に合流する事になる。車の通る騒音と排気ガス、それをお遍路さんには避けさせようと地元の人は近道を教えていたのか、と思った。しかし修行なのだ、楽な道を歩く気にはならない。何故歩きお遍路に近道を教えるのかな、と首をかしげた。 

          

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歩いていると「塩谷」と言う駅があり駅前うどんの店があって2時を過ぎていたがその店に入った。昼食時間はとっくに過ぎていて先客は2人だけだ。温泉卵が載っている冷たいかけうどんと海藻のてんぷらを選んで昼食とした。うどんの出来上がる時間は早いしこれで500円もしないのだからふところも助かる。当たり前の事ながら、本場だけにうどんが美味い。香川では駅前店であれ何処でもうどんのはずれが無い。

 

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食事が終わると、休憩も無く再び歩きはじめる。幹線道路の脇に並行して並んでいる細いさびれた昔の道にいつしか導かれる。平賀源内の出生地である志度町、86番『志度寺』に着いたのは午後3時になっていた。

 

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納経を済ませ寺を出る時に次の方向が判らなくなり迷った。県道3号線を探して、標識を確認しいよいよ本日最後の87番『長尾寺』に向かうことになる。この遍路道はほとんどが舗装された道でほぼ迷うところがなさそうだ。

 

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問題は時間だ。86番から87番までは7Kmの距離があり2時間近くかかりそうだ。すでに3時半近くなっていて5時の納経時間までに境内入るのには休みなく早足で歩かねばならない。焦るとよいことは何もない。明日の朝に参拝すればいいか、と気持ちを入れ替えることにした。途中の他の寺にも立ち寄り、夕暮れの景色を味わいながら歩こう。『八栗寺』への坂道の途中で接待を受けた時の親父さんの声を思い出した。

『間に合わんかもしれませんな-、でも長尾寺の民宿に泊まるなら朝にお参りしてからでも明日中には結願出来ますよ』

 

 緩やかな坂道を長尾寺に向かっていると、ちょうど下校時間なのだろう3人の小学生が前を歩いている。戯れながら帰る小学生の脇を通り過ぎようとすると一人が私の杖を突くリズムに興味を持ったのか、杖を突く真似をして脇を一緒に歩きはじめる。何にでも好奇心を抱く年齢だなと

『どうだい、いいリズムだろう?』と言うと『うん』と頷き一緒に歩調を合わせて付いて来る。「オレンジタウン」と言う住宅街が左側の山裾に広がっていて山を切り開いた一大住宅街になっている。この子達はその一角に住んでいるのだろう。やがて再び一人になった。

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 小さな寺が通り沿いにあり、立ち寄ったが『玉泉寺』というこじんまりした寺で、狭い境内を藤棚が覆うようにしていた。手だけ合わせ、ここまで無事に歩けたことを感謝した。通りすがりに寺院があるとそれがたとえ88か所の寺ではなくとも無視するのは出来なくなっていた。せめて挨拶だけでもしておかなければ、となるからお遍路をやっていると少しは人間も変わるのだろうか。

 

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夕方5時を過ぎて長尾寺の街に入った。さすがに薄暗くなり始めていて納経所も閉った時刻だ、と寺には寄らず予約していた民宿『長尾路』に入る。民宿は寺の真ん前にあり隣接している。

 部屋に通され建物の説明を受ける。部屋は5畳ほどの洋間でベッドなのでホッとした。

 和室だと畳に座らねばならず、長距離を歩いて来た遍路にとって荷物の整理の都度に立ったり座ったりは辛いものだ。ベッドがあると腰も掛けられ、何より寛ぎになる。道の向かい側が食堂や洗濯室のある建物で、ひとまずは風呂に入っている間に洗濯を済ませてしまおうとリュクから荷物を広げる。

  

---ここで大失敗をしてしまった。この日着ていたものをまとめて洗濯機に放り込んだのだがうっかりして歩数計  (正確な歩数を期して、このお遍路のために新しく買ったばかりの歩数計を) ズボンの後ろポケットに入れたまま放り込んでしまった。風呂に入ろうとしていてハッとそれに気が付き、あわてて洗濯機を停めに行ったのだが、ズボンはすでに数分間水に揉まれていた。電気系統が断末魔の状態らしく、画面に数字の点滅を繰り返し「45810」の数字がかすれながら点滅していたがやがて消えてしまった。今日の歩数は45810歩だったようだ。タオルで水けをふき取りドライヤーの熱風をかけ乾燥に努めたが、電池を取り付けると「キーン」という今まで聞いたことのない異音がとどろき、結局は二度と表示をしなくなった。あとの二日間は、今までの経験と勘から歩数を決めるしかない。ここまで正確に歩数を機械で数えて来ただけに、最後になって失敗をしてしまったと愕然とするのだった。

                                                                                                                 

  夕食は6時から始まった。全員で9名の宿泊者で皆さんお遍路のようだった。若者も一人いたが定年後の男女がほとんどだ。  4人テーブルの一つが私の席だったが向かいに座った67~68歳の女の人はバスや電車をフルに利用し、いかに効率よく無駄なく遍路を廻れるか実践している人だった。2日間、電車やバス乗り放題の切符があるのよ、とルートも何もこだわりが無い結果重視の人だった。他の男、向かい合っている二人はこの数日行動が一緒らしく毎日30Km 平均歩いて来たという健脚同志だ。二人とも70歳前後で車や電車には見向きもしない。私もその一人だが男はどうもこだわる人が多い。今日は高松市内から歩いて来たと言い、ほぼ同じコースで来たようだ。明日、最後の大窪寺を打ち終えた後は高野山に行く人が多いようで、私のように最初の寺に戻って四国一周を計画する人は少なかった。

 

夕食にビール1本と熱燗を飲み、部屋に戻ると枕元に500CCのお茶を置き、地図を眺めながら一日を振り返ってみた。

今日の歩いた距離は特に迷い道も無かったので全部で28Kmというところだろう。これくらいがちょうどいい距離だ。これ以上だと疲れが抜けなくなるしこれ以下だと時間を持て余した気になる。久しぶりの長距離歩きに汗を出し絞り、朝方には枕元のお茶は全部飲み干していた。