23         二日目、成田市から津田沼
 
 
 
ホテルではその晩8時間は寝たようだ。疲れるぐらい活動するのは好きで、理由はそのあとの疲労による熟睡、深い眠りにある。死んだようにぐっすりと寝込み、充実感と共に眠りから覚めるのは実に爽快で健康的だ。眠ることに集中できるというのはなによりの健康の証だ。
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この朝、寝返りを打つ時に足裏に痛みがあって明け方に何度か起きた。時間は朝6時過ぎだった。脚全体の疲労感はあるにはあるがたいしたことはない。問題は足の裏の痛みだった。水泡が破れた後、皮膚に空気が入って表面の皮が白く浮いている。しかし出血している訳ではない。立ち上ると昨日より痛みが増している。数日安静にしておけば新陳代謝によって自然と新しい皮膚が出来るのだろうが今日も歩かねばならない。体重がかかって痛みが湧き上がって来る。振り返ると宿泊したアパホテルが見えた。
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我慢して数分歩いていると痛みに体が慣れて何とか歩ける、この日はホテルから7時半に歩き始める。「まっ、痛いのは仕方ない」
昨夜詰め込むように食べていたのでまだ食欲はそれほどない。歩いているうちにどこか見つかるだろうと51号の成田街道を歩く。ゆったりした直進が延々と続く。道路脇にお地蔵さんが手を合わせて見守ってくれる。
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昔の成田街道の謂れを掘った木の柱が建っていた。
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歩いて気が付くがお店はあるところには集中してあるが、なくなるといっぺんに見かけなくなるものだ。見渡す限りお店が途絶えひたすら歩くだけとなった。今度食堂でも見かけたら必ず寄らないと食べ損なってしまう、と見渡しながら歩く。定期的にガソリンを入れないと人もへばってしまう。歩き始めて1時間近くたつ頃に信号があり、立ち止まってふと右を見ると食堂の看板が見える。
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テナントの一角に暖簾がぶら下がっている。直感で営業している店と思い、信号を渡る。確かに長い暖簾が風にたなびいていて早朝から営業している店のようだ。
そこは野菜や魚、肉といった成田の食品流通センターで広い構内の入り口にある食事処だった。暖簾をくぐり「やっていますか?」と声をかけると老夫婦が「どうぞ、やっていますよ」と返答。時間は8時を過ぎて客の波がひいたところだった。テーブル椅子に座りメニューから「鮭定食」を頼むと優しそうなご主人が「歩いているんですか?」とお茶を入れながら尋ねてくる。潮来から歩いてきた旨を伝えるとカウンターの先で調理している奥さんに向かって
「おおぃ、このお客さん茨城から歩いてきたんだって」と呼びかけ、他に客がいないので会話が始まった。ご主人と話しながら昨日来、誰とも会話をしていないのに気が付いた。壁には新聞記事や雑誌に掲載されたこの店のスクラップ記事が張られている。偶然入ったこの店はどうも有名らしい。ご夫婦ともあまりPR好き、おしゃべりな人ではないが周囲が勝手に記事にして取り上げてしまうようだ。
 
 
ご夫婦の謙虚な人柄、誠実な生き方が会話の中で伝わってくる。何が有名なのかわからなかったが運ばれてきた朝食を見てなるほどと思った。「鮭定食」の魚のボリュームが半端ではない大きさなのだ。切り身の脂ののり方といいサクッとした身のほぐれ方といい新鮮でちょっとお目にかかれない高級な鮭なのが箸を入れた瞬間にわかる。私は牛丼チェーン店の鮭定食も好きで食べるがその優に34倍のボリュームがある。ご飯も味噌汁も大きな丼に盛られ厳選された素材を丁寧に作っているのがわかる。小皿も2皿付いていて私が旅の途中だと知ると奥さんが「これもよかったらどうぞ」と梅干をほぐして乾燥させたそぼろ風小皿を別途サービスしてくれた。一つ一つが厳選された素材で手間を惜しまず何やら信念に従って料理を作っている感じさえする。
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奥さんは70歳前後だろうか、数年前からテナントに店を出しているが「それまで自宅を改造しデーサービスをやっていたのですよ。だけどあれもいろいろと大変で、とうとう辞めてしまいました」という。老人の我儘、認知症の人の面倒の大変さ、そのストレスだろうと思って話すと、そうではないという。「死んでいく人を見送らないといけない場合があって、---それが」と言葉を詰まらせる。奥さんにすればケアの苦労は始める時から了解事項であったが、人の悲しみに対面し、無力で助けられないもどかしさが辛いということのようだ。 一歩も二歩も次元の違う悲しみを見て来ているようだ。
「一期一会」という言葉がある。この出会いは二度とない。その一瞬を大切にし、心を込めてもてなし、お別れしていく。このご夫婦は「食」で一期一会を実践していると気が付いた。
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「儲けることを考えていないから、やっていられるんですよ」
と奥さんは笑っていた。食後の追加で頼んだコーヒーも時間をかけて淹れていて、インスタントではない。味はチェーン店のコーヒーより旨いくらいなのに本当によくやっていけるなと感心するほどだ。鮭定食780円、追加コーヒー100円。おそらく都会でこの同じものを出す時、料金は軽く倍は超すだろう。ただし同じレベルの鮭が手に入るかが何よりの問題だが。
「水をどうぞたくさん持って行ってください」立ち去る時、親切に途中の飲み物の心配までして頂いた。何だかこの店に偶然寄ったことがうれしかった。車だったら間違いなく通り過ぎていた。いい出会いがあった、ご馳走様でした、良い「食」をありがとうございました。そう思ってまた歩き始めた。
 
今日も好天に恵まれ、晴天が頭上に広がる。歩いていると必ずお地蔵さんに出会う。よく見るとお地蔵さんは片手に杖を持っていて頭に頭巾をかぶり同じような旅支度だ。気を付けて行けと言っているのか。
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いよいよ51号線から分かれて国道296号線に入る。別名、成田街道。旧道らしく道は少し狭くなり51号線方面がひどく渋滞している。午前中の休憩場所を求めていると左側に大きな公園が見えてきた。白銀公園でゆったりとして緑の木々が陰を作っている。
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休憩は車の通りから離れた腰を下ろせる場所に限る。園内では小学生のグループが課外学習なのだろう幾つかのグループに別れて鬼ごっこで盛り上がっている。リュックをおろし靴の紐を緩める。スタミナ維持のためお菓子を食べ水分を補給する。地図を見ると今日の目的地までまだ三分の一ほどしか進んでいない。昨日より遅く出発したのは、昨日より少し短い距離だからだがペースが少し落ちている。この時になって登山靴など履く必要はなかったなと思った。平坦な道ばかり続きウォーキングシューズで充分だったと思ったが今更どうしようもない。靴擦れが出来たのもこの山登り用を履いたせいかと思った。休憩をした後で歩きだす時、足裏の皮の浮いた場所が痛みはじめていた。
昼にショッピングセンターのある地域に差し掛かり靴下を買った。今、履いている厚手の靴下より薄い方がよいかと思い念のためリュックに入れた。この辺は印旛沼の近くらしいが大きな沼が見えない。ちなみに地図を見て分かったのだが印旛沼は南北二つに分かれていて川でつながっている形だ。私はその南側の近くを歩いているようだ。
昼の12時を過ぎた時刻だったが昼食は次の町に行ってから、と歩き始めた。まっすぐ伸びた道路の坂を越えれば店が出てくるだろう、と歩き始めたが坂の上に到着してみるとそこからまた延々とまっすぐの道路が続きコンビニも何もない道路がしばらく続くことになった。
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道路を歩いていて気が付いたが千葉の道路は標識にも路肩にも現在の道路を示す「○号線」という表示がない。分岐側には書いてあっても本線に表示がない。気が付かなかっただけなのか知らないが前方に目標がしばらく表れない時など道を間違ったか確認しようにも表示がない。軽装を心がけ簡易カーナビも持ってこなかったので時々すれ違う人に確認をしたほどだった。
 
 
午後になって或る五差路に着いた時、地図があまりに大雑把で現在地が掴みづらい。困り果ててちょうど通りすがりの老人がいたので「ここは、この地図のどこに当たりますか」と差し出すと、たまたま地元で散歩中だったこの人は何度もメガネをかけなおしては「あっ、ここ、この交差点の処だ」と教えてくれて、ああ間違いないコースを歩んできた、と安心したものだった。地図では十字路だが、よく見ると細い五本目の道路が接していた。太い道をまっすぐ行けば迷うことはないと思っていたがもっと細かい地図を用意しておけばよかったと後悔が増すのだった。
その老人は帰り道の方向が私の行く方向と同じだから、と数百メートルを一緒に歩いた。
「退職してからは、やることがなくなってね、毎日こうして歩いているんだよ」自宅にこもりがちになるため、歩くのを自分の日課にしているらしい。
目的地を話すと津田沼への近道を教えてくれた。このまままっすぐ行くと線路手前に街道と並行した道がある。通称「水道道路」でそこを左折した方がよいという。
「この地図通り線路を超えて行くとずいぶん遠回りだ、手前で曲がったの方が早い」とアドバイスしてくれる。左折の目印に「○○紳士服」が角にあると教えてくれた。老人と別れそれらしき交差点に着くが「○○紳士服」は無く、代わりに「洋服の××」がある。ガソリンスタンドに立ち寄り「水道道路」はここでいいのでしょうかと尋ねるとそうだという。老人の記憶の中で紳士服店が取り違えられている。「○○紳士服」を探し続けていたらいつまでもまっすぐ歩いていただろう。この旅の途中、何人かの人に道を尋ねたが人によっては昔の記憶で説明し、実際は昔と違っているケースがある。
「水道道路」を進むと午後の2時を指していた。目についたお蕎麦屋さんに入り冷やしたぬきそばを注文する。
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疲れからか食欲はない。足裏が痛くなっている。そばを食べ地図をにらみ、靴を脱いだままあとどれ位かかるか見通しを立てる。本日の行程約40Km の半分以上は来たがまだ1718Kmありそうだ。この後休まず歩いても45時間はかかりそうだ。歩き始めに足裏の痛みが増すようになった。「6時には着きたい」きれいに整備された水道道路を一直線に歩く。
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京成線を挟み、その向こう側が成田街道で手前がこの水道道路。共に線路に並行していて地図で見ても「わずかに近道」となっている。しかしこの「わずかな地図上の近道」が実際はかなり大きな差になる。途中に東邦大佐倉病院がありそこから出てくる年配女性の脚についていけない。杖を突いている人と同じスピードで情けなくなる。夕暮れの近い頃、成田街道に合流。狭くなった歩道を習志野の自衛隊演習場を見ながら歩いた。広大な広さだ。
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小学生の遠足で来たことを思い出した。ここが見えればあと1時間とがんばったが次の目標である京成電鉄の高架線が前方に見えてこない。
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道路上を横切る線路だから遠くからでも見えるはず。しばらく歩くと薄暗くなった道のはるか先にうっすらと黄色く道路上を横切るものがある。「あった!」大喜びで近づくとそれは歩道橋。今度こそ「あれだ」と前方に横たわるグレーの構造体に近づくと今度はマンションだ。錯覚を何度も繰り返すことになった。5度、6度とその「あれか?」の錯覚が続くとげんなりとなってしまい、ついには見えてくるそれらしきものが信じられなくなる。「おおかみ少年」の心境だ。地図自体の信憑性も疑うようになる。
この頃になると辛くて、自分を元気づけるため付近に人がいないと歌を歌って歩いた。「歩こう、歩こう、僕らは元気」「ヤーレン、ソーレン、ソーレン」とがなり立て自分を鼓舞するのだった。
結局、津田沼駅近くの東横インに着いたのは夜720分になっていた。すっかり地図に対し不信になっていた。今日も12時間歩いたことになる。
東横インホテルに着き靴を脱ぐと足裏はマメが潰れ白い皮膚が重なりバンドエイドで覆いきれない状態になっていた。室内バスに入って身体と足の傷をきれいに洗い流すと救急袋の中の包帯を両足に巻く。ホテルの裏側の居酒屋で昨日と同じような飲み物と食べ物を摂るが昨日ほどの食欲がない。
その晩「どうしても俺に戻ってきてほしいこと、何かないの ?」電話をすると妻は言下に「別に」
---旅は続ける事になった。