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ある日曜の朝、ランニングに出かけた。ゆっくりとしたジョギングで近くのボーリング場を通りかかる時、さっきからそこの駐車場には一台の車が停まっているのに気付いた。そして四方のドアが開くと男が4人一斉に降りた。何か車内で相談でもしていた風で、二人がボーリング場に入ると残りの二人はニヤニヤしながら建物の裏に歩いていった。ボーリング場に入った男たちは大人の体格で、裏に回ったのは小柄な中高生風だった。不思議に思いながら脇を通りかかるとボーリング場に入ったばかりの二人連れはすぐさま今度は4人連れとなって出てきた。
二人の男に前と後を挟まれて出てきた真ん中の二人は野球帽をかぶった中学生風で、四人は互いに言葉を交わすでもなく無言のまま。野球帽の二人は血の気の引いたおどおどした表情で歩いている。最初から様子を見ていた私には、ピンとくるものがあった。
ボーリング場の後ろに連れて行かれ総勢4人に取り囲まれ金品でも巻き上げられようとしているのか。恐喝か?野球帽の二人の少年には童顔が残っていて頬が硬張っていた。
私は4人ずれの脇を、あたかも通りすがりのランナーとしてゆっくり追い越しながら前後の二人を観察した。先導して歩いているのは車を運転するくらいだから18歳以上だろうが二十歳前後の大柄な体格だった。彼はこわもての顔を野球帽少年たちに見せつけ、不機嫌さを思い切りあらわにした表情で先頭を歩いていた。もう一人は坊主頭で高校生程度に見えた。ニヤニヤしながら少年たちを後ろから監視するようにしんがりを務めていた。4人は黙って建物の後ろに向かうようだった。私はゆっくり追い抜くとジョギングを続け、十字路に差し掛かると左折した。左折した先はそのボーリング場の裏側に当たり変電設備が一角にあってボーリング場と変電設備の間は周囲からは全くの死角の空間になるのを知っていた。
私がその空間にゆっくり走っていくと、前もって待機した二人の少年は案の定そこに待ち構えていた。二人とも明らかに中学生程度の少年だった。私の足音を聞いて、てっきり仲間が少年たちを連れて来たと思ったのだろうニヤリと不敵な笑いをこちらに向けたがそこに現れたのが見知らぬ私、つまり得体のしれないおやじだとわかると二人ともびっくりして目を見開き、
「お前ら、何をここでしようとしている!」私が大声でいきなり怒鳴ると、途端に二人とも一目散に猛スピードで逃げだした。脱兎のごとくと言う表現があるがまさにそれで、追いかけるいとまも無かった。
振り返ると、さっき追い越して来た4人連れがぞろぞろとやって来た。私はこちらから近寄り間合いを詰めると前後にいる男たちには見向きもせず
「君たち」
と野球帽の二人に声をかけた。
「君らは、この二人の知り合いか?」
あごで前後を挟んでいる二人をさし示した。二人とも同時に首を振り「いえ、知りません、…知らない人です」とおどおどしながら答えた。
私は自分の足元を指で差し示し「なぜここにきた?」と続けて聞いた。
二人はお互いに顔を見合わせ「ボーリングしていたら、この人たちがついて来いというんで、連れられて…なっ?」とうなずき合い、左右の二人を見るのだった。読みは当たった。
「わかった、じゃあ、君らはこの二人の知り合いでも何でも無いんだな」うなずくのを見て、私は前後の二人に聞こえるように「だったら戻っていい」と許可するように言った。
素直に「ハイっ」と返事をすると二人は振り返りつつ戻っていった。
こわもての男と高校生風の坊主頭はこの場の主導権を見知らぬおじさんに握られ一言も何も言わない。
二人に近づくと「ちょっとごめんよ」と言いながら上着のポケットを上から軽くたたき
「ナイフでも持ってないか調べる。なあ、お前ら。いま、あの二人を呼び出してここで何をしようとした?」
有無も言わさずズボンのポケットも調べた。話しかけられながら不意に近づかれると、相手は間合いも取れずにおどおどするものだ。考える余裕を与えず、敵意も出ないうちに私は二人のすべてのポケットに武器がないのを確かめた。「いったいこいつは何者だ、何でここにいる?」と二人は思っている事だろう。「何だ、こいつは?」と。
するとそこにさっき逃げ出した二人の少年が息を切らせながら舞い戻って来た。友を見捨てるわけにはいかないと思ったのか何やら決意したまなざしだったが二人ともまだほんの中学生のように見えた。
「さっき、なぜ逃げた?お前ら逃げても追いつくぞ。俺はマラソンをやっているから10キロでも20キロでも追いかけるぞ」と畳みかけた。年に一度はフルマラソンをしていたのでその言葉に嘘はなかった。念のため中学生二人にも私はボディチェックをした。誰も武器は持っていなかった。
「お前ら、4人で恐喝でもするつもりじゃなかったのか?えっ、どうなんだ!」こんな時は大きな声で気勢を先に制した方が勝ちだ。練習の気合の入った声がそのまま出た。ブルルと彼らは首を横に振った。私は4人を見比べ腹を決めた。もし向ってきたら一番強そうな車を運転してきた男が先だ。普段、空手の練習では禁じ手だが急所の金的を蹴って身動きできないようにしてやる。高校生は下段回しを一発入れれば歩けなくなる。空手入門者が慣れてきた頃、ツッパリの連中に下段回し蹴りを体験させると彼らはそのまま一歩も動けなくなった。強い奴から倒せば後は引っ込むだろうと順番を決めた。残りの中学生はかかって来てもそのまま捌けるだろう。ビンタくらいは張ってやろう。顔ぶれを見て順番を決めた。
「恐喝するつもりだったのか」という言葉に中学生がむきになって首を横に振り
「違うよ!」と訴えるように私に言った。
「先に俺らボーリングしていたら、あとから来てあいつら俺たちの事を見て笑ったんだ。…あいつら一中の奴らで、俺たち二中の事を馬鹿にしているんだ。笑ったんだ」
怒りが収まらないらしく口をとがらせた。笑顔が馬鹿にされたと思いこみ、兄貴や先輩を呼んで来たらしい。中学生たちは同じ町ながらも地区の学校同士の対立があり何かとつまらないことでいざこざを起こしているらしかった。狭い地域のなかで背伸びしあい競い合っている一種の近親嫌悪という奴だろう。
私は、暴力沙汰はいけない、ともっともらしいことを話すとその四人に家に戻るようにかなり上目線の命令調で言った。私を私服の警察官とでも思ったのか彼らは渋々と車のほうに歩いて行った。争い事は起こらなかった。私は気になっていたので念のためボーリング場に入ってみることにした。あの二人の少年達はどうしているのやら。「暴力沙汰はいけない」か。俺もよく言うよなと、思いながら。
日曜のためボーリング場は3割ほどの人出で賑わっていた。入っていってふと壁際を見るとそこには公衆電話があり何と145人の同じような少年がどっと固まっていた。当時は携帯電話の普及がやっと始まったばかりで中学生が持っているなど考えられない時代だった。その少年たちは全員が野球帽をかぶっていて1台の電話に向かって押し合うように隙間がないほどに密集して固まっていた。一人が自宅に助けの電話をしているようで「早く来て」とか助けを求めて家人を呼んでいるようだった。押し合いへし合いするような固まり方だった。
話は飛ぶが、ある時、台湾に行ったときだが偶然に生きている鴨が市場で解体されるのを見たことがある。10羽ほど檻に入っている鴨が一羽ずつ引きずり出され、解体人の手ですぐに首をひねられ刃物で手際よく解体されるのだが檻の奥の鴨たちはそれを目の前で見せられ、引きずり出されてはこの世の終わりと奥に押し合いへしあい自分の順番が来ないようつぶれるのではないかと言うほど身を寄せあっていた。少年たちを見た時、私はその鴨を思い出さずにはいられなかった。恐怖心から身を寄せあっているのだ。私が近寄っていくと二人の少年が「さっきの人だ」とつぶやくと少年たちの集団の輪は少しほぐれた。
「さっきの奴らはもう帰らせた」
そう言うと気のせいか少年たちに安どの表情が広がった。
「何だか知らないが、一中と二中とかで仲が良くないらしいな。笑っただけで馬鹿にされたと思ったらしい」少年たちは全員が大きく目を見開きながら私の話を聞いた。おびえて、電話をかけ続けている少年も目に入った。
「ここにはほかにも大人の人がいるだろ。知らない人でも助けを求めれば大人ならきっと助けてくれる。それと、子供たちだけでこんなところに来ちゃあ駄目だぞ。誰か一人でもいいから大人の人についてきてもらえ、君達をねらっている悪い奴も居るから気をつけろよ。わかった?」
「はいっ!」少年たちは訓練されたように声をそろえた。そして全員がさっと一斉に帽子をとると背中を向けて出ていく私に向かって「ありがとうございました!」見事にそろった大きな声で深々と頭を下げるのだった。
ボーリング場をあとにしながら思わず苦笑いがこみ上げてきた。…おいおい、俺は野球部のコーチじゃないぞ。
…これには後日談がある。その事があってから半年も過ぎた頃、私は水泳をするため町のプールに出かけた。入り口には中高校生が数人たむろしていた。一人の坊主頭の男が私を見ていかにも親しそうに近寄ってきた。知らない男で、私は誰か他の人に用があるのだろうと後ろや左右を見た。が、私のほかに付近に人は居ない。何か話しかけたい素振りで、打ち解けたにこやかな表情だが私には見覚えが無く、気味の悪い奴だと一瞥すると言葉も交わすことなくそのまま通り過ぎた。男はそれでもニコニコしながら通り過ぎる私に軽く目礼した。まったく知らない奴なのになんだろう?不気味に思えた。ホモじゃないだろな。…その手の癖のある男に20歳代の頃に何度か近づいてこられたことがある。私には男を好きになる気持がこれっぽっちもないのだが若い頃の私はその手の男によくモーションを掛けられたことがあった。
二十歳代前半の頃に私は船員で、あちこちの港から港へと渡り歩いていた。たまたまその時、石川県に来たので金沢の兼六公園を一人で歩いた。すると背広を颯爽と着こなした美男子風の男が私の前をすっと横切ると、立ち止まって振り返りにっこりと私に笑いかけ、手でおいでおいでをしながら前を歩き出す。はて、誰に笑いかけているのかと周りを見ると私以外はアベック同士、それらしき反応を示す人は見当たらない。彼は何度も振り返って片目をつぶり、うふふと白い歯を見せる。私は人違いじゃないかと後ろを振り向き彼の視線の先を見るのだが明らかに私に対してのジェスチャーだ。そして指先であっちあっち、あっちに行こうと私を誘うのだが、はっ?何だ?何をしようというのだ?と思って彼の指さす方向をみるとそこは道はずれにある公衆便所だった。何度も私に笑いかけるその男は表情豊かでさぞかし女にもてそうな色男だったが『色』の趣味が違う。公衆便所を見たとたん、男と個室に入っている姿が想像され思わず背筋がぞっとなった。男に対する気味悪さがこみ上げ、素知らぬ風を装って無視して歩いていったのは言うまでもない。
その頃の私は、若かったせいだろう今よりずっと優男だった。ホモに狙われやすいタイプのようで、横浜港でも話しかけてきたギリシャ人の船員と会話に応じているとだしぬけに顔が寄ってきて頬にチュッと軽くキスされた。さらに唇にキスをされかかり「お前の国と日本人とでは習慣が違う、スキンシップはやめてくれ」あわてて逃げたが、私は処女のように身の危険を感じていた。そんなホモ野郎かと警戒した。笑い事ではない。
泳いだ後、プールを出る時その男はもう居なかった。その時ハッと気がついた。ボーリング場に居た男だ。4人組の中の坊主頭だ。脚に、回し蹴りを入れてやろうと思っていた男だ。もちろん乱闘沙汰にはならなかったがあの時のにやにやしていた奴だ。一瞬でその時のことが甦った。それにしても何故ニコニコと親しげに私を見たのか不気味だった。憎まれるならともかく、別の面で気に入られてしまったのだろうか。
…ちなみに私には男と抱きつく趣味はないし新宿2丁目に行ってみたいとも思わない。…若く美しい女の誘いならいつでも大歓迎なのだが。