マコチンの青春記(2/4)
 
---実際に体験した話だが、バンコクに行った時には麻薬を購入した船員がいた。メコン河で貨物船が停泊し「メイズ」という家畜のえさにするためのトウモロコシの実の雑穀を積み込んでいた時、出港間際になって現地の税関職員が数人してある船員の部屋に乗り込んできた。出港準備の慌ただしい時に何の騒ぎかと思っていると男の部屋を強制捜査、天井裏からヘロイン数百グラムが発見された。後で聞くとこの船員は山口組系の暴力団関係者で船員に身を成り潜ませて機会ある都度に日本に麻薬を密輸していた男、いわゆる運び屋であった。
分厚い眼鏡をかけたおとなしい目立たない男で、酒を飲んで多少仲良くなっていたが彼が密輸の常習者と聞いた時には青天の霹靂であった。その時の現地の税関たちは急襲した部屋から誇らしげに現物を押さえると、次に船の食料保管冷蔵庫に向かった。そこにも秘匿品があるのかと鍵をあけについていくと彼らは冷蔵庫の中から日本のリンゴを見つけると何個も勝手に持ち出し、船長の目の前で賄賂として要求した。ヘロインで頭を抱えている船長の弱みに付け込み、ついでにタイの一般の人にとって手に入りづらい高級品の日本のリンゴをせしめようとする魂胆でこの時の彼らは役得に浸り切った幸福な子供の笑顔だった。仕方なくうなずく船長、ズボンのポケットをパンパンに脹らませて子供のようにうれしそうな笑顔で歩く税関、その姿がなんとも対照的であった。
この後、麻薬密輸という事件性から当分出港は延期になると思いきや意外に1時間の足止めだけで船はその日のうちに出港となった。すべての船室が捜索されるだろうと身辺整理をしていた他の船員達は呆気にとられた。なかには慰みの種にしていたポルノ雑誌を、こんなもので自分にも累が及んではたまったものでは無いと丸窓から河に放り投げて処分していたが捜索はその船室以外は無いと知って地団太を踏む者もいた。税関から違反金の要求があったがこの時に船長は「高すぎる」とそれを拒否し、税関も半額で折り合って出港した。それを聞いて不思議な国だと思っていた。罰金に文句を言って値下げできるとは、と。しかし、この麻薬摘発は表沙汰にならない事件、つまり乗り込んできた税関役員だけで闇の中に処理された事件であった。何のことは無い麻薬を売るほうも税関も最初から仕組まれていたもので、そこに運び屋がはまりこんでしまった訳である。密売人、税関、全てがグルだった。
(停泊中、自室の丸窓からの陸の光景 )
 
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船が日本に帰港した時、てっきり岸壁に日本の警察や税関が取り調べに待ち構えていると思いきやいつもの何事もない静けさに驚いたものだった。麻薬を購入した船員は日本が近づくにつれ目に見えて元気がなくなり、これは帰国と同時に逮捕だろうと他の船員たちは日本の島が見えるようになると彼が逃亡のために海に飛び込む可能性があり全員が監視役になっていたのだが、いよいよ接岸し税関が乗船したが、その税関はごくありきたりの検査だけ済ませるとさっさと下船してしまった。呆気にとられたのは船長で、タイから日本の税関に対して麻薬の通報が無かったのだと知ると、法外な罰金、半値に値切って納めてきた罰金が実は彼ら個人の懐に収まったものだったと知り悔しがった。人を引っ掛けてしゃぶりつくす知恵にかけては彼らのほうが一枚も二枚も上手だった。
一方で密輸を企てた船員のその時のほっとした表情が今でも忘れられない。
帰国後の逮捕を予想してたのだろうが数日前から食欲も失くし、じっとうつむいてばかりだったが、タイから犯罪の通報がなかったことを知ると途端に満面の笑みを浮かべ、会社からの解雇通知を受け取ると、弾むような足取りで自室に戻り荷物を運び出した。
親しくなっていた私に彼は別れの挨拶にやって来た。私は職務上「サロンボーイ」であったので皆からは「サロン」と呼ばれていた。彼は『サロンよ』と私に呼びかけるとホッとした笑顔を浮かべ『俺はね、小さく生きるより、どうせ生きるならこれからも大きく生きるんだ』と、私に言っているのか自分に言い聞かせているのか知らないがそう言うと、会社を辞めさせられることが何ほどの事であろう、逮捕されずに済んだ事が何ものにもまして幸せだという表情で去っていった。後姿を見ながらその時、彼はどこかでまた懲りずに同じような事を続ける気なのだろうと予想した。その後の彼の消息は聞かない。
 
(海上を通過するスコール)
 
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-----インドのマドラス港に入港した時、接岸した港は高い塀によって街と仕切られていた。出入り口にはターバンを頭に巻いた彫の深い顔立ちの兵隊や税関が入場者を監視し、街に出て行く我々船員達はパスポート代わりでもある船員手帳に許可のスタンプを押して貰って初めて塀の外の世界に接するのだった。
初めてのインドだった。船で入港するまで「混沌の国」のイメージ溢れるこのインドはどこを見ても大地は赤茶けた色彩だった。赤い色彩が山肌から大地から平地からすべてを一色で覆っていた。川面も褐色に濁っていて、世界中の国の中で子供が川を描く時、青い色で川を描く国はアジアの国々の中では少数派に違いないと思うようになっていた。赤道に近い国々では赤土に染まった水が一般的な姿で、原色の派手な皮をまとった毒蛇がその流れを泳いでいた。
岸壁には土産物売りがやってきた。サルの木彫りの人形が並べられ、4体揃った木彫りの土産品はその3体までは日本でも馴染みのポーズをとっていた。手で目を隠し、耳を覆い、口を覆うサルだった。見ざる・言わざる・聞かざるだったが更にもう一体があってそれは股間を押さえている。
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「このサルは何をしているんだい?」黒い肌の土産売りは、私の質問にニヤッと笑うと、いとも簡単に
「ノーセックス」
と白い歯を見せて笑った。
他の女に(男に)誘惑の言葉をかけない、耳を貸さない、わき目を振らない、そしてやらないという仕草でそのため股間を押さえつけているという。ところ変れば品変るで、思わずお土産に買ったのはいうまでも無い。
街に出ようとゲートをくぐり開いた鉄の門に行くと、左右に一群の人々が待ち構え、うごめき押し合うように手を差し伸べていた。この人達は何の人達かと思う間もなく彼らの手が顔をめがけてザッと一斉に押し寄せた。驚いて見まわすと、見よ、その蛇のように押し寄せる手は異形の群れだった。数本の指が溶けて固まった手、指の付け根から何も無い手、2本の指が生えそれ以外は掌だけの手、異形の手の群れであり、それはライ病で異形の身体になった乞食の集団であった。哀れみのチップを目当てに港に集る群れで、仕事をもてない彼らの手っ取り早い稼ぎ場所だった。
「マネー! マネー!
彼らは必死にすがりつき迫ってきた。この機会を逃がしてたまるかといった勢いであり、それに対し私は思わず身を硬くし避けるように身体をくねらせた。よく見ると人々の顔は鼻の溶けた顔あり、片目の無い顔ありで健常者は誰もいない。
「やめてくれ! 触るな!
思わず叫ぶと私は振り払うように、本能的に彼らの群れから駆けぬけていた。
「Dont touch me!」
触るな!と叫びながら----
この時、私の中の「ヒューマニズム」とか「愛」とか「人類愛」といった今まで自分が大切そうに唱えていた抽象的な愛が一瞬にして崩れ去った。私の身をよじった反応は、自身に対する裏切りであり衝撃だった。何の予備知識も無い私は身をよじって逃げていたのだ。
「うワーッ、染る!」と。
愛など、語る資格は無い。突然に頭から水を浴びせかけられ、自分の正体を見た思いだった。具体的なこういう異形の人間を愛せないで、何が人類への愛情だろう。「愛」など人前で今後は口にすまい。ひそかに自分を戒め決心した日でもあった。
 
---これもインドのある港に数日接岸している時の話だ。船にいつもやってくる少年がいた。金は要らないから手伝いをさせてくれ、飯を食べさせてもらえばそれでいいという16歳くらいの少年だった。他の日本の船でも同じように手伝いをしているらしく日本語の紹介状も何通か見せて自分が信頼できる人間だと皿洗いの手伝いを申し込んできた。片言の日本語も出来て船員達からも親しまれ便利にされていた。数日して出港前日になると彼は私が一人の時にそっと耳打ちしてきた。周囲に人がいないのを確かめ『コカイン、シガレットケースの大きさを何箱か持っていかないか?』と。『韓国、アメリカ人、彼らは何キロとたくさん買って行くよ。大丈夫、見つからないさ』念のため値段を聞いてみるとタバコの箱の大きさで数千円の金額を提示した。それがおそらく日本に持ち帰りその筋の人間に転売される時には数十倍、数百倍の金額になっているのだろうが、勿論拒否した。「こいつも密売人の一人か」とがっかりした思いだった。