宮崎県西都原古墳群に在る女狭穂塚

景行天皇時代より遅れ、五世紀前半の建造とされる。

仁徳天皇時代の髪長姫辺りの墓だろう。対する男狭穂塚は父親の諸県の牛(主)の墓かと思われる。


 

即位十三年夏五月。
ことごとく、(熊)襲国を平定した。

高屋宮(タカヤノミヤ)に住まわれてから既に六年です。

その国に佳人(美人)がいました。御刀媛(ミハカシ)といいます。


即ち、呼び寄せて妃と為した。
豊国別皇子(トヨクニワケノミコ)が生まれる。
この皇子は日向国造の始祖なり。

 

景行天皇は高屋宮に居るうちに、

熊襲梟帥の姉妹姫である市乾鹿文と市鹿文と結婚し、

姉姫の市乾鹿文には父親の熊襲梟帥を殺させたうえで、

父を殺すのは人の道に反すると非難する割に、自分こそ妻を惨殺したのちに、

妹姫の市鹿文を姉の代わりに寵愛し、火国造を与えているのである。

このストーリーはあんまりじゃないのか?

 

すると今度は同じ高屋宮で、新たに現地美人の御刀媛と結婚し、

交配して産ませた子供に日向国造を与えているのだから、

景行天皇とはいったいどれ程、精力絶倫なのか理解できない。

それにしても、結びつく女性が、そろって美人だから、実に羨ましい。

天皇(当時は大王)なら、いくら残虐でももてて、しかもやりたか放題なのか?

この処にも、世の無常を感じる日々であります。

 

即位十七年の春三月十二日。
子湯県(コユノアガタ)=現在の宮崎県児湯郡に向かい、

丹裳小野(ニモノオノ)=西都市三宅(西都原古墳群辺り)で遊びました。

 

そのときに東を向かい、左右の付き人に言いました。
「この国は真っ直ぐに日の出る方に向いている」
それでその国を日向(ヒムカ)といいます。

この辺りはなにか、瓊瓊杵尊が天孫降臨後に言った言葉に似ているな。

 

とりあえずこの国は昔から日向国と呼ばれていたと思われます。

 


この日野中の大石に登って京都を偲んで、歌を歌いました。

 

愛しきよし 我家の方ゆ 雲居立来も
倭は 国のまほらま 畳づく 青垣
山籠れる 倭し麗し
命の全けむ人は 畳薦(タタミコモ) 平群の山の
白樫が枝を 髻華(ウズ)に挿せ この子

 

歌の訳、
愛しい我が家から、雲が立ちのぼってくるよ。
じつに倭(ヤマト)の国は、(まほろば)である。
畳のように重なる山に、青垣の如く囲まれている。

まるで山に籠っているようだ。大和は実に美しく麗しい、
命を全うしている人は、畳み込む平群の山の、

白樫の枝をかんざしにして頭に挿してみなさい、この子は、

 

因みにこの歌は、日本武尊が東国で歌った歌によく似ている。

 

即位十八年春三月、天皇は京に向かおうとして、筑紫諸国を巡行しました。

最初に夷守(現在の宮崎県小林市)に到着しました。

因みに現在の夷守とは霧島岑神社周辺の狭い地域のことだが、

古代には小林地方全体を夷守と言ったという。

 

ところで、ヒナモリ(夷守)とは、

三世紀から四世紀頃の日本に有った倭国の卑弥呼王権、

或いはヤマト王権時代の国境を警護する軍事的長官の名称なのだが、 

後になると地名、駅名、神社名等として残っている。 

また夷守(ヒナモリ)の「守」は姓としても使われたようだ。

 

『魏志倭人伝』に記される卑奴母離は、對馬国、壱岐国、奴国、不濔国の副官で、

これ等の国が当時の倭国=女王国連合の辺境にあった国であることを示す。

つまり、卑奴母離が奴国と不濔国にあると云うことは、

その北にある宗像国は倭国には含まれない、敵対国であったことを示しているのだ。

 

それでは小林が夷守であるのはどういうことなのか?

当時は、小林が大和朝廷勢力の最南端であり、その南にある、薩摩、大隅は

当時はまだ大和朝廷の勢力圏ではない、隼人国だったことを示している。

 

即ち、日向隼人と、薩摩(阿多)隼人、大隅隼人とは別の勢力なのであろう。

因みにこれ等の隼人は全て、瓊瓊杵尊や彦穂穂出見命の天孫降臨時に大和朝廷の味方になったはずだが、辺境ゆえに時代が進むと再び反抗していたかもしれない。

 

この時石瀬河(岩瀬川=大淀川上流部)の畔に人が集まっていました。

 

その様子を遠くから見ていた天皇は、左右の者に言いました。
「あそこに集まってる者たちは何者だ?もしかして賊(アタ)か?」
そこで兄夷守と弟夷守の二人を視察に行かせました。

すぐに弟夷守が帰ってきて報告しました。
「諸縣君の泉媛が天皇に御馳走を奉ろうと、一族が集まっているようです」

 

今度は夷守が人名で出てきている。

つまり、兄と弟の夷守とは、小林地方に住む現地人なのである。
 

 

 

 

この記事を読んで納得された方は下記バナーをクリックして応援の程よろしくお願い致します。

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ
にほんブログ村