東京大学卒の東北大学文学部名誉教授で、

古代史研究家として有名な田中英道氏は次のような説を唱えています。

 

なぜ卑弥呼神社がないのか?

 

 

あなたは、こんな歴史の“謎”をご存知だろうか?

卑弥呼の“謎”

「中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された、日本史初の女王・卑弥呼。

「邪馬台国」を支配し、中国皇帝からも認められた「倭国の王」である。

しかし不可解なことに、卑弥呼に関する記録もお墓も日本では全く見つかっていない。


一国を支配するほどの権力者であれば、死後、地域の神社で祀られるのが普通だが、日本各地の神社にも、遺跡にも、卑弥呼が存在した痕跡が一切見当たらないのだ…

(*日本では、聖徳太子や菅原道真、平将門など、国を直接治めていない偉人でさえも、鎮魂の祈りをささげるため、神社がつくられてきた伝統がある)


 

 

⇒ 私はこの記事を見たとき、この著者は以下の話をすっかり忘れていると思った。

 

 中国人の陳寿が『魏志倭人伝』を書く際に、所謂「蔑字」で書いたと思われる「卑弥呼」の名で、日本人が日本の神を祀ったはずがないのである。

 

田中英道氏はこの考えをわざと隠蔽したのか、或いはまったく考慮に入れていないのか、勝手に卑弥呼神社はないと決めつけて、怪しい自説へと誘導しているのだ。

 

 本来、卑弥呼の日本名は日巫女と思われる。

 即ち、太陽の女神であり、後世の歴史書である『古事記』『日本書紀』では、太陽を具現化

 した神、即ち、天照大神と記されたに違いないのである。

 すると、天照大神を祀る神社ならば、伊勢神宮を始め、日本国内に星の数ほどある。

 

 つまり、田中英道氏の掲げた命題

 【なぜ卑弥呼神社がないのか?】は、命題自体が成り立たないのである。

 

 

また、田中英道氏は次のようにも言っている。

 

 “邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”と「魏志倭人伝」には書かれているが、

当時の遺跡や遺物をいくら調べてみても、刺青をしているような痕跡は、

ほとんど確認されていない…

 

しかし、私はこの説が間違いである証拠を幾つも持っている。

実際に、黥面や文身をした人物の絵図が記される土器や埴輪、更には土偶が、

日本全国から見つかっているのである。

「☟下記は壺(土器)の例」

 

 

ちなみに、著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。つまり“フィクション小説”として、この作品を記したようだが、、

 

⇒ とか何とか調子のよいことを云いながら、実際には、ウソ説ばかり撒き散らしているのは、外ならぬ田中英道氏本人なのである。

 

一体、卑弥呼とは何者だったのか? 本当に邪馬台国は存在していたのだろうか?

古代史に残された数々の謎...

それらを解き明かす“鍵”とは・・

これらの謎の答えは、従来の歴史教科書や、文献だけに頼る研究からは決して見つかりません。日本の古代史に残された「謎」の数々。それらを解き明かす鍵とはいったい何なのか?・・

 

「西洋美術史研究の第一人者」と呼ばれ、50年以上、歴史研究の最前線で評価を受ける田中教授は、こう語ります…

“教科書では、縄文から弥生時代まで、日本人は原始的な生活を営んでいた。そこに大陸や朝鮮半島から稲作や文化が伝えられ、日本はようやく発展の糸口をつかみ、日本という国家が形成された。という歴史だけが当たり前のように教えられています。 

 

⇒ 私は弥生時代には既に大陸から文明が入って来ていたと考えています。

 例えば、越国や呉国の敗残兵が滅亡した故郷を捨てて舟に乗り、海を渡って、倭国に逃れてきたのは、BC473やBC334の話であり、徐福が三千人の童男童女や百工を連れて、倭国に亡命してきたのはBC210年の話だからです。

 

しかし、文献だけに頼る従来の研究ではなく、先人たちが残した文化遺産に光を当てると… われわれがこれまで信じさせられてきたのとは全く違う。壮大なストーリーが見えてきます。

 

元来、日本という国は外敵がやってこない島国であり、「信頼」を土台に共同体をつくってきました。よって、絶えず民族が移動し、争いごとの絶えない西洋や大陸とは違い、文字を必要としなかったのです。よって、当時の先人たちの生活ぶりや、思いを読み取るには、神社や文化遺産といった形あるものの解読が必須になってくるのです。

 

多くの学者は、文献だけに頼ることにより、この大切なポイントを見落としてしまいます。さらに残念なことに、美術の知識がないため、いざ実物を目にしても、そこから何を読み取ればいいのか?がわからないのです。

 

「日本には文明がなかった」・・そう言われることがありますが、それはありえません。遺跡を紐解けば、日本最初の国家「ヤマト政権」よりも、卑弥呼がいたとされる時代よりも遥か昔から、日本では高度な文明が栄えていた。その中心は、関東・東北であり、そこには大きな“国”があったのです…”

 

⇒ 以上の如く、田中英道氏は、結局は『史書』をまったく信じておらず、考古学的所見のみを根拠として、古代史を論じようとしているようだが、その考古学を好き放題に改竄しているのが、外ならぬ、田中英道氏自身なのです。

 

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