発掘された黒塚古墳の石室

 

 

前回画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡ではないのか?と言ったが、

この説を裏付ける明白な理由が存在する。

その理由とは奈良県天理市柳本町に在る黒塚古墳のことである。

黒塚古墳は全長約130メートルの前方後円墳で、

四世紀初頭から前期にかけて築造された前期古墳に分類されている。

 

この古墳の石室からは三十三枚の三角縁神獣鏡が出土しているのだが、

それとは別に画文帯神獣鏡が一枚だけ出土している。

しかも、画文帯神獣鏡は木棺の中の被葬者の頭の所に置いてあったというのだ。

数多くの三角縁神獣鏡は、木棺の外側の石室との間に雑多に並べられていた。

 

そのうち三角縁神獣鏡は径22~23㎝程あるのに、画文帯神獣鏡は径13.5㎝である。

つまり画文帯神獣鏡は小さいけれども、大きな三角縁神獣鏡よりも尊い鏡だったようだ。

だから画文帯神獣鏡は一枚だけ木棺内のしかも被葬者の頭部の所に置かれたのだろう。

 

基本的に日本の古墳からしか出土しない三角縁神獣鏡に比べ、

画文帯神獣鏡は中国からも出土しており、中国鏡であるとされている。

しかも日本で出土した初期の画文帯神獣鏡はすべて中国鏡だと思われる。

つまり画文帯神獣鏡は、卑弥呼が魏から貰った鏡の可能性は十分あるわけだ。

 

考えてみると、卑弥呼が魏から貰った鏡はたったの百枚に過ぎないのに対し、

三角縁神獣鏡は550枚以上出土しているから、卑弥呼の鏡の可能性はない。

 

因みに古墳の数は何百とあり、そのうち大和朝廷にとって重要な人物の墓だけでも、

何十もあるのだから、貴重な卑弥呼の鏡が大和朝廷に残されていたとしても、

被葬者とともに埋葬されるのはせいぜい一枚に過ぎないのだろう。

 

その他は呉の工人によって大量生産された三角縁神獣鏡が多量に埋葬されたのだろう。

 

比較的古い大和朝廷系の古墳を発掘すると画文帯神獣鏡が一枚発掘されることが多い。

その証拠にホケノ山古墳にも、画文帯神獣鏡が一枚埋葬されていた。

ホケノ山古墳には他にも破砕鏡が何枚か見つかっているが、

割れているので、それが画文帯神獣鏡なのかははっきりしない。

 

しかも日本の古墳から画文帯神獣鏡が60面しか出土していないと云うことは、

卑弥呼が魏から貰った100枚を彷彿とさせるが、残念ながら画文帯神獣鏡には、

仿製鏡も含まれており、卑弥呼が魏から貰った100枚だけでは無さそうである。

 

だから画文帯神獣鏡は江田船山古墳のような狗奴国領域の古墳からも出土しているが、

其の出自は大和朝廷とは考え難く、やはり卑弥呼の鏡を真似した仿製鏡と思われる。

 

 

 

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