全然関係ないようでいて、

繋がっているこの2days.


1年前に父が亡くなり、最期の顔がずーっと私の頭の隅に常にある日々が続いています。


一体いつまで続くのだろうか?


父が亡くなった事自体への気持ちは多分上手く表せないかな。


勿論生前とは違うのです。


あまりにも、痛々しい姿だったので、

まさしく、痛みと数々の苦悩からの解放。


だと思っています。


あの日から、自分は物凄く変わったと思います、


と、いうより加速!が適切な表現かもです。


いつかは人間骨と皮になる。ならば

生きてる人間は楽しまなければいけない。


この肉?


身体や頭を使って、出来る事はなんでもやりたい。


翌日はフレディの誕生日。


あんなに素晴らしい曲を沢山作って、世界中の人々に愛されて、もう今はいないフレディ。


何十年も前に

確かに肉体は無くなったのですがね。



リアタイのファンの方、実際のフレディの周りにいた人と私はまるで違うところからその日を感じていると思います。


で、


私はフレディが亡くなってからのファンですから、

死を悲しむ事は無かったし。

だって、当時を知らないんだから。

生きてたけど、よく知らなかったので。


でも、生きている人間でなくてもお構いなしに

作った曲を聴いて、フレディの美意識に共感したり、強いなーと賛美したりする。


もはや、肉体がこの世にあってもなくてもファンではいられますよね。


父は最期の姿は可哀想で可哀想で、私は自分の娘にじいじのこの姿を見せたくないと思ってしまいました。


それよりも、もっと元気で娘に微笑みかけて冗談くらい言えた


美しい白髪と西洋的な顔のじいじとして、覚えていてもらいたいと思った。


これを見るのは私と姉と母だけで十分だと思った。


悪趣味だけど、、


私はスマホに父の葬儀の時の顔の写真を撮って保存している。

時々みています。


全然好きじゃなかった父。


天国では、思いっきり走って欲しいです。

脚が生まれつき悪くて、一度も思いっきり走れた事はなかった。


リレーの選手だった姉や私が誇らしかったようです。


父の姿は、若い頃の美しい顔もよく覚えている。

とても美しかったのです。


でも、残念ながら

身体が悪くて、いつも不機嫌でした。


だからこそ、たまに笑った時の顔を

脳が無理矢理記憶しているようです。



記憶は都合よいので、実物よりも更に美しかった事になってるかも。


フレディも、若くして亡くなって、更に伝説になった。

そして、沢山の曲達は絶対に色褪せない。


人間、生きてても亡くなっていても、本人以外の遠くの人からはあまり変わらない存在なのかも?

たまたま続いた2daysで思ったりしました。


遠くの人、って意味ですよ。家族とか親しい友人とかではなく。


私は自分の命は自分のものだし、

自分の人生を楽しませたいです。


この一年で何か本当にはじけたと思います。


やりたかった事に蓋をすることをまずやめてみたし、

いい事ばかりじゃなくてもへこたれなくなってきた気もしますし、


元々欲深いけど、

更に貪欲になったと思います。


明日は楽しみな弾きあい会です立ち上がるドキドキ


大好きなお仲間様達と会える喜びよ!


大好きな皆様のピアノが聴ける!


自分も大好きなので歌が歌える!


ピアノだって、弾いちゃうし!


生きてるって素晴らしいですね。


だからやっぱり

Show Must Go Onゲラゲララブラブ


なんだよねー


生きてる間はずっと

Show Must Go On


でもね、生きてる時精一杯やったら、


周りの人がその人の

Showをずっとみてくれるんだよねー


フレディドキドキ 有難う。