私の親父は元、理科の教師だったからか
なんでも分析して理解する癖があり、
退職後に始めた趣味の陶芸、藍染等も
単純に楽しむ。と言うよりも
釉薬や藍の分量を測り、分析し
結果と照らし合わせてみると言う具合で
思い通りにコントロールする事を楽しんでいる
と言うところがあった。
……に対して母は、そんな父のやり方を尻目に
父同様に付き合いで始めるのだが、
仕組みの理解とかは全く氣にせず、
自由奔放に作品を作り、発表し、楽しんでいた。
そんな親父が何がきっかけだったかはわからないが、
やがて健康に氣を使う様になり、
食事方法やら、散歩やらをキッチリ計画的に
やり始めた。
この辺りに住む爺さま達もその傾向があるが、
一心不乱にただ歩くのだ。
とても楽しんでやっている様には見えず、
ただ歩数ばかりいつも氣にかけている有様であった。
陶芸や藍染と同様に正しくやれば正しい結果が出ると
そう信じていた様だ。とは言え、
決心がストレスになっている様では
自分で自分の身体に毒を作ることになる。
神様は「これは良いけどここはダメ」と言った
恣意的な区別はしてくれない。
わたし達夫婦の生活も良し悪し相まって
いずれは子供達の道標となる事を願って
暮らし続けるべきだと思う。
だから選択に失敗は一つもないのだ。