海に浮かぶ水上ピラミッド近代都市(動画あり)
http://www.gizmodo.jp/2009/08/post_6028.html
空気の壁で外部と遮断、スタイリッシュな喫煙ブース
http://www.gizmodo.jp/2009/07/post_5768.html
オバマ大統領の就任式の間の世界の声(動画)
http://www.gizmodo.jp/2009/06/post_5606.html
ここ数日は通常業務の暇を見てはひたすら事務所の片付け。
思えばこの数年間に行ったプロジェクトをいかにスマートにアーカイブするか?ということでいろいろ試行錯誤しながらいまのやり方に行き着いたが、それらの資料も初期の頃から振り返るとすでに4年ほど経過しているものある。事務所が広ければアーカイブしていてもいいのだがさすがに3、4年まえの資料は処分してもいいだろうということで、ひたすら資料の処分をしていた。ついでにカタログも古い物は捨てて、新しいものに入れ替える等、事務所のコンパクト化の次は事務所の更新作業です。既に同じ場所で5年ほどやっているので、事務所自体も引っ越しのタイミングと言えばタイミングなのですが、その前にもう少し今の事務所の新陳代謝を良くすることで、改善できることもあるだろうということで、まるで引っ越しでもするかのような大規模な整理の毎日。おかげでだいぶ事務所の見通しが良くなり、これなら仮に事務所を引っ越す場合でもとても身軽になって来た。こうすることで実際に動かなくても良くなるかもしれないし単に気持ちの問題だったケースも少なくない。
そのことを常に見極めてくことも日々の仕事のなかで重要なことなのでしょうね。今週はもうしばらく事務所の整理で、それが終わればようやく次の動きを考えられそう。ゴールデンウィーク明けがそのタイミングかな。
久しぶりに更新
昨年からの景気後退で我々の会社ももろにその影響を受けているが、3月の今の段階であらゆる措置をとって、実行した結果なんとか年度末は乗り越えられるようになった。まだまだ課題点は多く残っているが、8月末までの決算まで慎重に業務を進めていく必要がある。昨年から進めて来たコンパクト化はひとまず残り一つの項目を残してほぼ終わったので、今後はここ数年でたまった資料の整理や管理の見直しなど、コンパクト化プラス効率化を考えていく必要がある。そのスタンスでやっていくことで、今度は信用や信頼、付加価値のあるサービスなどを展開できるようになると思う。
バブルが予見する 未来の成長産業
http://special.msn.co.jp/money/shikihou2008/part3.html

次のバブルの発信源は環境、エネルギー、食糧だそうだ。
ようやく今年の仕事も明日で終わりだ。
僕の場合は毎年、年末ギリギリまで仕事に追われて一年なんて振り返る暇すら無く、正月といえば、結局寝正月みたいなパターンになってしまうことが多かったけど、今年は、年初めから一年間全く何もしない。ということを決めて過ごす努力をしてみたけど、これはこれで意外と大変で、何もしないことでの焦りや孤独感など、それまでの生活習慣から考えるとそうしたマイナスの感情が湧き出てきてしまうことはわかってやっていたのだけど、そういう何もしない一年間を振り返ってみて、自分以外の周りの深い部分がよく見えるようになってきたような気がする。そもそもそれまでの僕のやり方は、僕が見えていない世界を見えるようにすることが目的だったのだけど、その見えなかった世界を見えるようにしていくことと引き換えに、それまで僕が見えていた世界が見えなくなる。その境界線を自分なりに見つけ出したかったというのがこの数年のやってきたことだったような気がする。自分もそうだけど人は常に矛盾を抱えていて、一見矛盾のなさそうな話の中にも実は様々な矛盾が隠れていることが多く、他人からわからない矛盾が実は問題の本質だったりして、大人になることによってその矛盾を隠すことがだんだんと上手になっていくもので、その矛盾に蓋をしたり、目を背けたりしながら生きている。だけどそれが次第に大きくなっていくと自分やその周りだけでは抱えきれなくなってきて問題が表面化していく。このパターンはとても些細な日常のなかでも起きるし、金融経済のようなグローバル化したコミュニティの大きなうねりの中からも起きる。実体経済を支えるために金融が生まれ、それだけでは回らなくなり、デリバティブをやり続けた結果クラッシュしていった訳だけど、完全にクラッシュした訳ではなく、実態経済、金融経済、デリバティブの経験のフィードバックによって実体経済とデリバティブの切り離しが起きないような仕組みが必要なのだろうと思う。で、話をもとに戻すと、本来的な立ち位置に今年一年間かけて戻した訳だけど、来年以降はその立ち位置でそれまでに得た経験を活かしながら、短期スパン、中期スパン、長期スパンという三つのスパンの大きな流れに対応しながら、時に気長に、時に気短に仕事をしていく必要があるのだと思う。そのやり方を俯瞰できるようになって初めて僕が目指しているところでのスタートが切れるような気がする。
今年もいよいよ大詰めの時期になって来た。毎年そうだが今年も結局予定通りにはなかなか進まず、この時期になっ ていろいろとバタバタとコトを進めないと行けない状況になっている。先週末と今週前半はいろいろ充実した時間を過ごせてよかったのだけれど、現実とビジョンの両方を同時に進めていくことの難しさが今後の大きなテーマとなってくる予感を感じた終末だった。来年以降どうするか?といろいろ悩んだ一年だったけど、その間にも世の中は大きく変化し予測できない未来に対してどれだけ対応しうるか?を考えさせられる一年だったようにも思う。まだ今年を振り返るにはタイミングが早い気もするけど・・・。年末は実家でゆっくり過ごして来年の予定をしっかり練ろうと思う。そういえば先週末に友人と久しぶりにランチをして、そのときに話していたときからずっと考えてしまっていたんだけど、アート、デザイン、ビジネスっていう対比や括りって今の世の中に通用する言葉なのだろうか?

例えば、アートって言ったときにも趣味で絵を描いてる人もいれば、ビジネスとして絵を描いている人もいて、アートをビジネスとしているアーティストもいる訳で、一般的に捉えられているアートとはどんなモノなんだろう?と考えてしまった。くだらない疑問と言えば下らないんだけど、一方で、デザインをやっていると言った場合に、デザインとアートの違いってなんだろうとか、そもそもビジネスっていう括りもビジネスマンという何か固定されたイメージによって捉えているだけで、そもそもアート、デザイン、ビジネスに垣根なんてないんではないか?といろいろ考えてしまった。

また別の話で「ジョハリの窓」という自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案されたモデル。というものをその友人から教わった。自己には、「公開された自己 」(open self)、「隠された自己」がある (hidden self) と共に、「自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己 」(blind self) もあるし、「誰からもまだ知られていない自己 」(unknown self) があると考えられる。『ウィキペディア(Wikipedia)』というモノがあり、他人からも自分からも分かっている公開された自己を大きくしていくことが自己の開示が進んでおり、これが一般的にいう大人になるということなのだという話であったように聞こえた。その後さらに話は変わり、昨今の経済危機の話題へと移り、実体経済と金融とデリバティブのピラミットの逆転現象、クラッシュの話になって、そこから、経済コミュニティと他のコミュニティ、6次の次元、スモールワールドなどへと飛び火してしまって我々の会話も少々クラッシュ気味になってしまった。。。と言う訳で、議論を絞って話すことの重要性をそのときにも感じ、何をテーマに議論をするか?が僕の抱えている当面の課題のような気がした。

さらに別の話、パーソナルファブリケーションについて、コンピュータの低価格化やオープンソース などの普及によって、誰でも簡単に個人がソフトウェアを作れるようになったために、ソフトウェア関連の進化が急速に進んでいる。これと同じようなことがハードウェアでも起きようとしている。ということが大枠の話なのだけれど、例えば一般に売られているインクジェットプリンターを例に挙げて考えてみると分かりやすいかもしれない。ひと昔前であればコンピュータで描いたグラフィックを出力することは様々な知識と技術を要し、プロの世界でしか扱うことの出来ない物だった。しかしインクジェットプリンターの普及によって、誰でも簡単に自分でとった写真や画像を出力できるようになって来た。これと同じように例えば身近にある実態のある物も、素材の問題はあるにせよコンピュータ上でつくり出された形状を実際に出力することがパーソナルに可能となる世の中がくるかもしれない。ハードウェア的制約によってソフトウェアが進化していった過程のようにソフトウェア的制約によってハードウェアが進化する過程。

などなど自分の立ち位置をしっかり見定めていないとあっという間に迷子になってしまうような話が続き、例にもれず知恵熱が出そうになってしまった。僕の場合は建築の設計はかじっているが基本はCG制作で絵や映像作りを扱っているという立場で何が可能か?ということをしっかり捉えて今後のビジョンを組み立てていかないと行けないなと、そのときにあらためて感じた。そうこう書いているうちに、ふと、一冊の本を思い出した。

「メディア論 人間の拡張の諸相 M・マクルーハン著」
この本でメディアとされている項目は26項目となる。

話されることば、書かれたことば、道路と紙のルート、
数、衣服、住宅、
貨幣、時計、印刷、
漫画、印刷されたことば、車輪・自転車・飛行機、
写真、新聞、自動車、
広告、ゲーム、電信、
タイプライター、電話、蓄音機、
映画、ラジオ、テレビ、兵器、
オートメーション

このうちオートメーションの一文「将来は、オートメーション時代における生き方の学習が、人びとの仕事の内容になるであろう。これは、電気による技術全般に見られるパターンである。これによって、芸術と商業、仕事と余暇などの古い二分法は終わることになる。」、なるほど、、こんなことがこの本に書いてあったなんて知らなかった・・・。今年の1月に読んだ本で、ピータードラッカー著の『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』という本にもにたような内容が書いてあったこともふと思い出す。

このメディア論は冒頭でメディアはメッセージだ。と言っているのだけれど、仮にすべての身の回りのモノがメディア化していく場合は全てのモノは人々に生き方を伝えることが大きな役割となってくるという結論に至って行く気がするんだげれど・・・。結局、なんの話かまとまらないうちに今日は既に電池切れです。
先週末は社内仕事に追われて、まともに休みが取れなかった。先々週の日曜日に行った横浜トリエンナーレだが、どうもいろいろ勘違いしていたらしい。藤村龍至さんの展覧会を見に行くつもりで横浜トリエンナーレを見に行ったのだけれど、行ってみたらトリエンナーレではなくartbankのほうで藤村さんの展覧会がやっていた。事務所のパートナーと学生アルバイトの子と三人で右往左往しながらようやく展覧会にたどり着いたのだけれど、すっか り無料だと思い込んで中に入ろうとしたら受付のお兄さんに止められ、入場料900円、フリーペーパー200円で 、結局一人1100円もかかってしまった。事前情報がメールのお知らせと、当日の段取りをパートナーにお任せしてしまったこともあり、いろいろ勘違いが多かった。一緒に誘ったアルバイトの子には申し訳ないことをしてしまったな・・・。バイトの子は建築を学んではいるが、模型を並べているだけの展示に900円の出費は少々キツいものがあったかもしれな い。アートに興味があって、建築にも興味があるということであればそれだけ払う価値があったのかもしれないが。

結局シンポジウムには行かなかったのだけれど、帰る途中に、平田晃久さん が設計したイエノイエがあり、こちらが横浜トリエンナーレだとそのとき知った。平田さんの作品は建築雑誌などでいくつかのプロジェクトを見たことがあったが、実際に平田さんの空間を体験してみて、外観からは分からない内部空間の広がりや、エリアごとの空間の繋がりを実際に無料で体験できて、横浜まできたかいがあったなと、ちょっとほっとした。平田さんの建築は以前から興味があって、つい最近10+1にアップされていた平田さん自身の記事で《イエノイエ》★1と「外形問題」を読んでモダニズムとの関連についての説明を読むといっそうあの形状の意味が理解できた。 単純にモノのして捉えたときの良さ(エンドユーザー的視点)とモダニズム系譜として作られて来た現代建築の文脈的繋がり。商業的な視点と文脈的な視点が戦略的なプロジェクトによって結びついているのが見て取れた。

藤村さんの展覧会は展示自体は僕自身は初めて見たので良かったし、特に設計の進捗状況に合わせて模型を作ることで、様々な人の意見を取り入れながらデザインを進めていくことが可能となる設計理論はデジタル的思考で普段から仕事をしている僕の視点からすると理想的な設計手法だし、デジタル頼りで数値やスキームばかり追っている僕たちも学ばなければいけない要素だと感じた。
疑問点としてはあの手法を既存ビジネスの方法で行う場合(その必要はないのかもしれないけど。)、毎回の模型はどうするのか?ということと、ビジネスシーンの様なスピードとインパクトのみを重視してコミュニケートしようとするクライアントの場合、あの手法で今後、対応可能なのだろうか?と単純に感じた。

など、いろいろ収穫の多い先々週の日曜日だったけど、最後は赤レンガにあるカフェchano-maで3人でお茶してあれこれ建築話を交えながら、最後は結局おいしいものを食べて満足して帰った。chano-maと言えば、中目黒だけだと思っていたけど、最近はこんなところにもチェーン展開しているんだと思いながら、そういえばほかにも見たことがあるショップの名前が赤レンガ倉庫にはちらほらあった。やっぱり最近の傾向としては代官山や中目黒でまずは小規模展開し、そこで得たノウハウをプロトタイプとしてパッケージ化してそれを今度は横浜や郊外などへとチェーン展開していくビジネスモデルが確立しているのかもしれない。ちょっと前まではユニクロやスタバなど大きな資本の企業のみが可能と思われていた展開の仕方がカフェやショップレベルでもどんどん起きている 。ラーメン屋は以前からチェーン展開していくお店もあったけど、それだけ、代官山や中目黒でのショップや飲食の展開自体にある一定のブランディングが成立している証拠なんでしょうね。とはいっても、chano-maが中目黒に出来たのはたしか2000年の頃だったと思うので10年くらいはかかってる訳ですからね。単純にブランディング=チェーン展開という訳には行かないのでしょうけど。。

これを建築の場合に置き換えてみて、そのうち住宅だけを取り出して考えてみても、ショップや店舗と違って、子育てや日々の生活を伴う営みの場であるわけだから、商業施設のように感度上げ過ぎてもどうかと思うところは実際のところとして感じるところはある。だた、最近はクリエイターや経営者など比較的若いうちにライフスタイルが確立している夫婦もいるし、そもそも、ライフスタイルを消費対象とてい考えている人も実際に存在している訳で、そういう意味での感度の高い居住空間の需要というのは今後さらに増えていく傾向はあるのかもしれないですね。その場合は購入(ストック)というより賃貸(フロー)として扱うことになると思うので、あくまでもストックとして住宅に住む場合に絞って考えた場合はフローとしての住居とは違ったスピードで感度の上げ方を進めていく必要があるのではないか?と感じる。

それとは別に、最近でこそエンドユーザーを意識した建築雑誌が増えたことや単純に建築に興味がある人が増えて来たことと、様々な領域が相互にリンクして関連付けられてプロジェクトが展開されていることから、知らず知らずのうちに興味や好奇心そのものが誘導されている場合が多いことが挙げれると思うことがある。テレビ番組やCMもそうだけど、映像と消費行動を結びつけるコンテンツというのは実はテレビだけのものではなく、インターネットでも例えばamazonで買ったものと関連している商品が自分のトップページに紹介されていたりして、何となく欲しいものが勝手に検索されている。だから極端な話をしてしまうとすべての行動は実は誘導されている可能性が高いのでは?といったん疑ってみて周囲にあるものを観察してみたり、一見関係のない物事をその仕組みだけを取り出してみて見る目を養ってみると実は同じ仕組みで成り立っていたりする。それがテレビ番組だったり、映画だったり、アートだったり、ゲームだったり、ひょっとしたら建築だったりするかもしれない。先のイエノエも一つのメディアとして機能して徐々に人々の感度を上げるための広告戦略として機能させるためとして捉えてみたらその機能は十分に果たしているのかもしれないですね。自分の行動が何に左右され何によって動かされているのか?今、この自分のアクション(行動)は本当に自分の意志なのか?何を媒体(メディア)に広告的仕組みを適用するか?そんなことを考えさせられるartbankと横浜トリエンナーレそして、赤レンガ倉庫のchano-maでした。

今日は昨日までのはっきりしない天候から打って変わっていい天気。
すぐに引っ越してしまうかもしれないからと言ってカーテンすら付けずに一ヶ月ほど住んでいたけど、2週間ほど前にようやくカーテンを付けてからはだいぶ過ごしやすくなった。
29階の部屋で南向きだと日中の日差しが強くて、ここのところの冷え込みなんて全く関係ないような感じで部屋の中はむしろ暑いくらい。夜も今まで一度も暖房を付けて寝たこともないので、あまり冷え込むこともないんだろう。元々高層階ということもあって、窓のサッシなんかはきっと丈夫なものを使っているだろうし、窓を締めてし合えばほとんど外の音も聞こえない。それにしてもここからの眺めは凄まじい。左手にはレインボーブリッジとフジテレビなどのお台場の風景、右手には都心部ビル群とその奥には富士山が見える。正面を見下ろすとモノレールやら新幹線に高速道路、空には羽田を飛び立つ飛行機が行き交い、海には朝方にはフェリーなどの船も行き交う。確かにそれだけでも住む価値はあるのかもしれない。いままでいろんなところに住んだ経験もあり、建築家がデザインしたデザイナーズマンションにも住んだことがあって、僕自身はその建築家のデザインしたコンクリート打放し、住宅なのにカーテンウォールのマンションは気に入っていたのだけれど立地の問題や細かな理由で僕の家族や彼女からなど周囲の評判が悪く、一応それでも2年ほどほ住んだけれど、1年半頃前に引っ越した。思えば僕は引っ越しばかりしている人生で、そろそろ自分が住む場所は決めていかないと行けないのかもしれないけどなかなか家を買うとなるといまいち決断できない。自分のスタイルが決まっていないからというのもあるのかもしれないし、その時々で仕事のスタイルも変わるし、それに合わせてライフスタイルも変える。普通はどこかに住んで定着というか着地して日々の生活を営むのが一般的なのだろうけど、定着する感じがどうも僕は苦手で、定着し、着地し、そこに一定のコミュニティが出来てくるとなんか居心地が悪くなってしまう。着地地点を持ちたくないというのがこれまでの人生だったような気がしている。
けれど、数年前にから現在のスタンスで仕事をするようになって、会社という場所は会社の業績や取引先の関係上、必ずしも場所的に固定されている訳ではないけど自分が作ったコミュニティはやっぱり居心地がいいし、コミュニティが定着してくるまですごく多くの労力を要したし、場所をつくり出すことも大事だけどこうした自作のコミュニティの方が現在の僕は大事だなと感じている。と思った矢先に事務所のパートナーから電話があって、明日急遽、横浜のトリエンナーレに事務所のアルバイトさんと三人でシンポジウムに行くことになった。前回のシンポジウムで興味を持って、その後いろいろブログなどを読ませていただいていたら、現在、横浜のトリエンナーレで展覧会をやっているそうなので、事務所のみんなに伝えてみたら、結局みんなで行くことになったみたいです。都市の共有物というテーマでの展示会ということなのでとても面白そうです。藤村さんのブログに「コミュニティとコモナリティ」という聞き慣れない言葉が書いてあったのでどういうことなのか実際の展示をみて確認してみたい。
また今、電話が来てしまった。土曜日だっていうのにあわただしいなぁ。。。来週から商業施設の仕事も動き出してしまうので実は結構忙しいんだけど。。。来年の予定も立てなきゃ行けないし。最近は週に一度くらいは一人で内省モードというかそういう時間を意識的に作ろうとしていて、最近になってようやくその成果がでてきたような感じです。土曜日くらいは、いったんリセットというか、一人になる時間が必要でこうして一週間の出来事を整理して来週に備えるような一日が必要になってきたようにおもう。35歳になると以前のようにさすがに毎日外に出歩いたり、飲みにいったり、仕事の打ち合わせをしたりとかをやっている体力というか持続力がなくなって来て、僕だけかもしれませんけど。そういう毎日に去年あたりから疲れちゃったから現在のようなライフスタイルに変えたという経緯もあったので、しばらくはこのモードで仕事をしていきたいなとおもう。
あんまり多くの要素を詰め込んで散漫にならないようにして、本当に自分がやりたいことをしっかり絞っていきたい。
それにしても最近またちょっと太って来てしまったような気がする。
この一年は外食は極力さけて以前の体重にようやく戻したんだけれど、今週はいろいろと付き合いもあるけど食べ過ぎたかも。武蔵小山の焼き鳥屋さんで友人の言う通りとてもおいしかったです。心臓とどこかをつなぐ部位を特別に出してくれて、何度も聞いて確かめたがやっぱり忘れてしまった。白レバーもおいしかったし、今年はやたらと色んなところの焼き鳥を食べた気がするけど昨日食べたところは僕が食べた中で一番おいしかったんじゃないかと思った。ただレバ刺しを追加で頼んだもんだから食べ過ぎたのと、相変わらずのビール、ワイン、焼酎のチャンポン酒はそろそろ卒業したい。。。その後バーに移動し、お隣のお客さんを巻き込んでなんだかやたらと盛り上がったなあ。おいしいものを食べるのは好きなのでいいんですが、暴飲暴食は体に悪いので、飲み過ぎ食べ過ぎには注意ですね。