大石権内の墓~大阪市北区兎我野町 | 大根役者

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先日、大阪に行った時に、兎我野町を訪ねた。当時は、関西テレビもあり、ホテル街もあり、猥雑な大阪を象徴するような場所だった。この場所に、高石事務所があった。その後、URCレコードの拠点となった。友也さんのマネージャーで、後に、第二期フォークブームをけん引する秦さんと会ったのも高石事務所だった。

 

この町は、変化はしてはいないのだが、やはり、半世紀前からは、様子は変わっている。激安ビジネスホテルとして、有名だったホテル関西が健在なのがうれしかった。

 

この一角に圓通寺墓地がある。当時は、気にも留めなかったが、大石内蔵助良雄(よしたか)の父、大石権内良昭(げんない よしあき)の墓だ。

大石内蔵助の父のことは、意識していなかったが、赤穂事件が、家族に及ぼした影響も大きかった。

大石家の遠祖は平将門を討ち取った藤原秀郷であると伝えられ、内蔵助の曽祖父良勝の代に、笠間藩浅野長重に仕え、大坂の陣の功で家老職1500石取の身分となった。

祖父良欽(よしたか)は、良勝の跡を受けて、笠間から赤穂に転封された 浅野長直、長友、長矩の三代にわたって家老職を勤めた。

その跡を権内良昭が継ぐ筈であったが、家督相続前に34歳で大坂で病没したので、良雄が祖父良欽の養子となって大石家を相続した。

 この墓地には、大石瀬左衛門の父、八郎兵衛信澄の墓もある。内蔵助と瀬左衛門は親戚関係にあり、内蔵助の曽祖父良勝の 弟信云(のぶこれ)から分かれている。
映画などで、義士達をサポートする、無人・三平親子というのが登場するが、 この無人が、瀬左衛門の伯父に当たる人物である。
左側が大石権内良昭の墓。右側が大石八郎兵衛信澄の墓だとされている。
赤穂事件がなければ、どこにでもある古い墓なのだが、赤穂事件は、一族の死後にまで、スポットライトが照らされるような江戸時代最大の事件だったのだ。【HIS】旅行プログラム

 

 

 

 

 

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