見つけてしまった、自分の中の究極の執着… | 愛される法則

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昨日から東京NLPに参加させて頂いているわたくしですが、

いや~、

やっぱすごいです、東京NLP。

何がすごいって、

懇親会が……(爆)



冗談はさておいて、

わたくし、昨日の懇親会の席で、

自分の中の究極の執着に

気が付いてしまいました…。




私の中の究極の執着とは…

それは、



『子供』




これは憶測でしかないのですが、

物質的な意味合いの『物と言われる』のが

ある日突然すべてなくなってしまったとしても、

かなり落ち込んだり

怒ったりするとは思うのですが、

再び立ち上がって

生きようとすると思うのです。



でも、

その無くなるものが子供達だったら、

恐らく私は

その後、生きることに価値を見出だせないと思います。




『あんた、何バカなこと言ってんの?

人の親だったら、そう感じるのは当たり前のことでしょ?』



そうおっしゃりたくなるあなたの気持ち、

痛いほどよくわかります。

だって、

私も人の親ですから。

(自分で書いてて、めっちゃ意味わかんねー)



でもですね。

昨日の、

しかも懇親会の席で、

それですら、執着であることに

気が付いてしまったのですよ。




懇親会でですね。

福島の原発の話になったんです。



その時、

隣にいたお誕生日の竜二さんが言った言葉。
(↓確か、こんなニュアンス)



『(もし)原発が爆発したら、それはまあ、ある意味しょうがないよね。

(人類的には)大きな学びにはなると思うよ。

自分も死んじゃうかもしれないけど。』



……( ̄□ ̄;)!!




竜二さん。

多分、私ひとりっきりで生きてたら、

恐らく私も竜二さんと同じように感じたと思う。



でもね、竜二さん。




私、竜二さんのその言葉を聞いて、

胸がとても苦しくなってしまいました。




どんなことになっても

たとえ自分が死ぬことになっても

『子供にだけは生きてて欲しい!』

そう思うのが、人の親として

普通の感情だと思うのです。




でも、

でも、でもぉ~~!

来てしまいました。

究極のメッセージが。



『それは執着である。』



『人はそこですら乗り越えなければいけない。』って……。






分かるけど、

分かるけどぉー!



なんだか認めたくないよ、そのメッセージ…
( TДT)





でもだからって、

『子供がいなくなってもいい。』

とか、

『子供は大切じゃない。』

とかいうことじゃないよ。



そういう意味では、

子を持つ親と言うのは、

究極の学びの機会を与えられてるというか、

チャンスを選択してきているんですね。

気付いているかいないかは別として。




特に今回の震災を経験した私たちは、

もう一度、

『今、生きている意味』

『今、子供達といる意味』

これらを考えるチャンスなのだとおもいます。



でもこれはね~

私にとっては想像を絶する難題ですよ~( TДT)






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