映画『再会の夏』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『再会の夏』

『再会の夏』

(上映終了~:J-MAXシアターとやま)

公式サイト/http://saikai-natsu.com/

 

フランスの作家ジャン=クリストフ・リュファンのベストセラー歴史小説を、

ジャン・ベッケル監督、フランソワ・クリュゼ主演で映画化したものです。

富山の劇場では昨日(2/13)で上映終了しました。

1週間前に鑑賞していたのに、こんなことになって面目ない次第で・・・。

 

1919年、第一次世界大戦が終わり、平和が訪れたフランスの片田舎。

「のどか」という表現が当てはまる村ですが、戦争は確実にありました。

その戦争で英雄となり勲章を授与されたジャック・モルラックは、

終戦記念イベントで自分の勲章を忠犬に与えて国家侮辱罪に問われ、

ひと気のない留置所で頑なに黙秘を続けていました。

 

そこにパリからやって来たのは、軍判事のランティエ少佐。

彼の職務はモルラックを軍法会議にかけるか否かを決めることでした。

留置所に着くと、その外で1匹の犬が休むことなく吠え続けています。

少佐が調査を続ける中で、モルラックと犬との関係、さらには、

モルラックの恋人で農婦のヴァランティーヌの存在が浮かび上がってきます。

 

犬は重要なキャストですが、予告編で感じたほどメインではなかったです。

しかし、国家が戦争になった時、自分の意思を失って人を殺す兵士たち、

それを映し出す鏡としては大きな存在だったかもしれません。

戦場の兵士たちが戦いを止め、平和的解決を望んでも、

敵兵を殺すことを仕込まれた軍犬は戦闘を続けてしまいました。

そして、平和が訪れても、犬は主人を慕い、吠え続けている切なさ・・・。

 

国民は、一般市民は誰も戦争なんかしたくない。(多分ね・・・)

しかし、いざとなった時に反戦を訴えることはできるのでしょうか。

国家侮辱罪って何なんでしょうか。本当に必要な罪なんでしょうか。

愛国心は自己犠牲で国家を守ることでも、国家に従うことでもない。

国を愛すればこそ、時の政権を批判することだって許されていいはずです。

ロシアの兵士たちが、実は敵国との戦争どころではなく、

自国の革命の方が大事であると考えているところは興味深かったです。

 

ランティエ少佐は自分が思うところの愛国心を持ち、

軍人らしく(?)「国家への侮辱は許せない」とモルラックに言うものの、

これが判事として最後の務めであることもですが、それに加えて、

軍人でありながら、この戦争は間違いだったと思うようにもなっていて、

なんとかモルラックへの処分を穏やかに終わらせたいと考えています。

看守が杓子定規に二言目には「ルール」を口にするのに対し、

少佐は自分の良心と正義感でモルラックに対峙していました。

 

といった考えさせられるテーマはあったのですが・・・。

モルラックが黙秘を続け、自分への処刑すら望んでいたのは、

もちろん、反戦や戦争を進める政権への批判という思いもあったでしょうが、

それよりも、ヴァランティーヌが自分を裏切ったと勘違いしていたから。

え?結局は痴情のもつれなの?いや~ん、とっても人らしい理由やん!

 

かくして、モルラックとヴァランティーヌは誤解を解くだけでなく、

再会した瞬間に愛を確かめて、再び二人と子供と犬と暮すことに・・・。

というところで物語は終わって、それはそれで良いのですが、

そのすぐ22年後に再び大戦が始まることを私たちは知っています。

そこがなんとも、単純に「良かったですね」とはならないところなのです。