座敷わらしに会いに行ってきた(1) | マキオカのネイチャーな日々

マキオカのネイチャーな日々

山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

昔、このテレビ番組を観て、行ってみたかった岩手の緑風荘(りょくふうそう)。

(3分20秒頃から)



座敷わらし伝説で有名な宿「緑風荘「」は、岩手県二戸市の金田一温泉にある。

『およそ670年くらい前の南北朝時代。
当家の先祖である藤原朝臣藤房(万里小路藤房)は、南朝の後醍醐天皇に仕えていました。
しかし、南北朝戦争において南朝は敗北し、北朝の足利軍に追われ現在の東京都あきる野市に身を隠しました。
その後、さらに北上を続け、現在の岩手県二戸市にたどり着きました。 道中、二人連れていた子供の内、当時6歳だった兄の亀麿が病で倒れ幼き生涯を閉じました。 その際『末代まで家を守り続ける』と言って息を引き取ったそうです。
その後、守り神<座敷わらし>として奥座敷の槐(えんじゅ)の間に 現れるようになったと言い伝えられています。
その姿を見たり、不思議な体験をした人は大変な幸運(男=出世 女=玉の輿)に恵まれると伝えられ、実際座敷わらしに出会った人には必ず良い事があったそうです。
また、ひとたび座敷わらしに気に入られると、どこであろうと座敷わらしが会いに来てくれるそうです。
座敷わらしとして現れる「亀麿」は昔から多くの著名人も目撃し、 また、現在も多くの宿泊者に不思議な現象を起こし沢山の体験談で語り継がれております』   (緑風荘HPより)

数えで6歳というと、今の4~5歳。
死に際に『末代まで家を守り続ける』と言うとは、天晴れ!
さぞかし賢く凛々しいお子だったのだろう。

本田宗一郎や金田一京助、遠藤周作、水木しげる、そして東北旅行の際に宿泊し、その後総理大臣に就任した原敬等、座敷童に遭遇してから出世している人は枚挙に暇がないらしい。

かつて母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」に座敷わらしの目撃例が多く、文化人・著名人がこぞって宿泊し、3年先の予約まで埋まっているとされていたが、2009年10月に不慮の火災により全焼してしまい、先ほどの動画のつのだじろうの絵も燃えてしまった。
「座敷童がいるのに火事になるなんて。もうどこかにいってしまったのでは?」と、心無い人達に囁かれたりしたが、かなりの火勢だったにもかかわらず、中庭にある亀麿神社は焼け残った。

それから2011年に3・11があったりと困難を極めた再建が2016年5月にかない、6年半ぶりに営業を再開した。
部屋数は10室あり、人氣の「槐(えんじゅ)の間」はオープンスペースになって、宿泊客はいつでもそこで過ごすことができるようになった。

現在も予約は取りにくい様子だけれど、「オモシロ道」(なんだ、それ?)黒帯のわたしは、なんとしても一度行かねばならぬ、と思っていたの。

先週、娘一家がムスコの実家の青森に行くというので、ちょうどそのタイミングに合わせて緑風荘にキャンセル待ちを入れておきました。

「こういうのって、お呼びがなきゃ行けないんだよね」などと思っていると。
来ましたよ、一週間前にキャンセルが出たというお電話が。
「お呼び、キター!」と、鼻の穴を膨らませるわたし。

バタバタとスケジュールを合わせ、ふんどし息子と娘、6歳と4歳の孫と、あの緑風荘に急遽行くことになったのでした。

つづく