海老原よしえさん逝く | マキオカのネイチャーな日々

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山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。


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こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

海老原よしえさんが逝った。

2月6日の朝、FBを眺めていたら、よしえさんのウォールに「立春に光となってしまった友よ」という文章が載っていたので、仰天した。
あまりに突然の訃報だった。

よしえさんと初めて出会ったのは、2015年12月の皇居の勤労奉仕団でのことだった。
ご一緒させて頂いたメンバーはトンデモな方で溢れていて、その中に海老原よしえさん、日本舞踊家でアマミ舞創始者、花柳鶴寿賀さんご夫妻がいらっしゃった。
その出会いがきっかけになり、翌年2016年1月に、ふんどし息子と共に奄美大島に伺わせて頂くことになった。

初めて行った奄美は115年ぶりに雪が降るわ、ダブルレインボーも含め、虹があちらこちらに出るわ、ふんどし息子は初めて海での禊を経験するわで、今思い出してもスゴイ旅だった。

全くのノープランなわたし達親子だったが、加計呂麻島の高千穂神社で行われたご神事にも参加させて頂き、その時、鶴先生の舞に合わせて歌ったのが、海老原よしえさんだった。

よしえさんは長野に移り住んでから、自然と曲が「降りてくる」ようになり、40歳になるまでギターはおろか、まったく人前で歌を歌ったことなどなかったのに、その聴こえた曲を再現したりしているうちに、ギター一本を手に、全国にライブやコンサートをするようになった、と聞かされた。
「その歌声は、まさに天に届くほどの透明感と力強さに溢れている」と、わたしはブログで書いている。

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(4)
※さっき氣がついたんだけど、これを書いたのは2月4日、よしえさんの命日になるちょうど3年前だ。

古仁屋港から龍郷町まで、よしえさん達の車に同乗させて頂き、ずっとおしゃべりをした。
その日の夜、鶴先生のお宅でサプライズで58才の誕生日のお祝いをして頂いた。
ロウソクの灯ったケーキと可愛らしいお花と、海老原よしえさんからサイン入りのCDまで戴き、天にも昇る氣持ちになった。

南の国の誕生日。115年ぶりの雪、そして虹。(5)

それからスケジュールが合うと、たまによしえさんのコンサートを聴きに行かせて頂くようになった。

長野のご自宅の前に畑を作るワークショップの後に息子さんとの合同演奏をされたり

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大和市の「なないろ食堂」でライブをすると聞けば、聴きに行ったりした。

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とはいえ、多くの方と濃密なお付き合いをされているよしえさんの友人知人に比べれば、取り立てて言葉を交わしに伺うでもなく、目が合えば「あ、来たのね」「はい、来ました」と、心で挨拶する程度の仲。

よしえさんの名前でネットで検索すると「トヨタマヒメ富士日記」というブログに、以下の文章がある。

『よしえさんは10年まえに台所でお皿を洗っているときに、いきなり「歌がおりてきた」そうです。
それは歌詞と、メロディと、映像がいっしょに来たそうです。
その一曲目は、後に「旅の途中」とタイトルでCD化されるのですが、なにしろそのとき初めてのことだったので、スケジュール帳のうしろのアドレスのところに書き留めておいたそうです。
そのときよしえさんはギターが弾けなかったそうです。
もちろん楽譜もかけなかったそうで、いまでも楽譜をかくことはしないらしい。
そのうち二曲、三曲と歌がおりてくるようになったのですが、人に話すとおかしな宗教みたいと思われるのがいやで、ごくごく親しいひとだけに「また、歌がきたよ!」などと言っていたそうです。
そのうち天河大弁財天社に歌の奉納に言ったとき(天河は音楽の神様なので)、「30曲になったら、ひとの前で歌いなさい」と
いわれたような気がしたといっています。
ところが、なのですが、29曲までおりてきてそれから一向におりてこない!
そこからブランクが訪れたのいうのか、ぱったりと降りてこなくなった。
しびれを切らして、自分で曲を書いてみたら・・・・これが全ぜんダメ!
「わたしは受け取るだけ」ということに気がついたといいます。
現在は、130曲くらいの歌がおりていて、CDを4枚だしていますが、それでも人の前で歌うということに躊躇する時期がずっとあって、6年位前に、まわりの尊敬するミュージシャンたちに「よしえちゃん。それは自分の歌と思っているから歌えないんだ。たくさんのひとたちのためにおりてきているのだから、たくさんのひとたちのために歌わないと・・・」と、何人ものかたに同じことをいわれたとか。
そこからふっきれたそうなのですが、たしかに彼女の歌は、聞いていて「あ、これ私の歌!」と聞いている人が涙を流してしまうほど感応してしまうのをなんども見ています。
わたしも10曲中、3曲は私の歌だ!と思って、恥ずかしながら泣いてしまいます』

そして、ご家族からメッセージも出されている。

『よしえにつながる皆さまへ
海老原 美恵をいつも応援していただきありがとうございます。
妻 海老原 美恵は乳癌を患い、本人の強い意志により 自然療法と食事療法で昨年より療養中でしたが、 2月4日57歳の生涯を閉じました。
本来なら早速お知らせすべきところでございましたが、 ご通知が遅れました事を深くお詫び申し上げます。
葬儀は親族のみにて行います。
なお、お別れの会を後日開催しますので改めて 場所、日時をお知らせします。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます。』



祈りのうた/海老原よしえ

私がいまここから 

旅立ちいなくなっても

どうか泣かないで 

幸せ抱えていくから

「じゃあね」も言わないで 

手も握らずに行くのは

最後はさりげないその時でありたいから

思い出、笑顔は心の中に 

いつかはまた会えると約束

祈りと共に今 

祈りと共に今

よしえさん、ホントにこの歌詞通りのお別れだったね。
わたしがよしえさんの訃報を聞いた後、胸にしっかり刻まれたのは「今、やりたいことをやり切ろう」という思いだったよ。
たくさんの種まきをやり切ったよしえさん。
わたしも自分の種まきを、最期の最期までやり切るよ。
そして「幸せ抱えて」逝きたいと思う。

つづく

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