ご飯何する? | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

てやんでい、たかだか数百グラムでガタガタ言ってちゃ、器がちっちゃすぎるってモンだろう、と意味の分からない居直りで、昨夜はタイ料理を無駄に食べ過ぎたみやみ@司法書士でございます。だってさー、考えてみるとさー、毎日の浮き沈みがたかが体重数百グラムに振り回されているかと思うと、それもちっちぇえ話だよなー、数キログラムならまだしも、と思ってしまったわけでして。まあ、その数百グラムも積み重なると数キロクラムになるんですけどね(・∀・)ン?


まあ食の豊かさは心の豊かさにもつながるのは、経験上よくあることで、苦しいフルマラソンの途中ではゴール後何が食べたいかを考えることで頑張れるとか、めんどくさい仕事で外出する時も、ではどこのパン屋に寄ろうだとか、そういうちっちゃい幸せが毎日のモチベーションになったりします。


この前ちょろっと載っていた(FBのシェアだかアメブロのトビックスか)、「はあちゅう」こと伊藤春香さん。わたしは彼女を「わたしはなぜ70日間タダで世界一周できたのか」という本で知り(とても楽しい本でした。彼女のバイタイリティには圧倒されます)、その後有名ブロガーとして活躍する彼女の考え方に、共感することしばしばあるのですが、そう、この前載っていた彼女のこのコラム。


『出世するかどうかは、「ご飯何にする?」と聞いた時の答え方でわかる。』


とても良い視点です。(←エラソー)


はあちゅうさん曰く、端的に言うと、“ご飯がおろそかな人は仕事もおろそか”。なぜならば“人間にとって、食は生きることの基本。”なので、“「食」は一番身近な、好奇心と探究心のバロメーター”となり、“創意工夫のない人間が、ビジネスで創意工夫出来るわけがない”という結論です。


うん、わかる。


わたしも、何を食べたいかという問いに関して、「何でもいい」と答える殿方は若干つまんないなー、と思ってしまいます(あ、いえね、わたしにそうそう思われたからと言って誰もアリンコさんの触角ほども気にしないと思いますが)。別に、有名な美味しいお店を知っててほしいとか、ましてや連れて行って欲しいとか、さらにはご馳走してほしいとか、それこそアリンコさんの触角くらいない欲求なのですが(べ、別に諦めているワケじゃないんだからねッ)、そのいちいちに真剣に向き合うくだらないエネルギーってわたし嫌いじゃないんです。真剣にランチを選ぶ、そのために途中下車してまで行ってしまう。それってすごいバイタリティ。小っちゃいことですけどね、毎日のことじゃないですか、ご飯て。その些細なことにそれが可能である場面で(時間や場所を鑑みてという意味)ちゃんと行動できるっていいなって思います。全然ね、高いお店じゃなくていいんです。オジイチャン的な赤ちょうちんの店でも、それこそ個人的嗜好のお店でも。


ご飯ひとつをおおごとに捉えるその人生への姿勢があらゆることへの執着を産む。

はあちゅうさんの、これ、大いに賛同。


『「ご飯何にする?」と聞いた時、「何でもいいよ」と答える人は仕事も恋愛も平均点で終わるんだろうし、逆に「何にしよっかなー…」と真剣に考える人は、仕事においても恋愛においてもいい結果が出せる人な気がします。』


ん、だよね。何でもいいよ、とかあたしはないよね。今だって行きたいお店、食べたいものだらけで大変だしね。惜しむらくは「何が食べたい?」と聞いてくれる殿方がいないことくらいだよね(・∀・)アレ?


ま、まあ出世欲もありませんし、恋愛だって平均点で上等な人生ですが(笑)、「何が食べたいか」と聞かれて、「何でもよくない」と答えられる人生って、すごく楽しい気がします。


【てことで今一番食べたいのがこれ。「高倉町珈琲」さんのホットケーキ。クリームに埋もれて死ねる笑】