■プロフィール | パニック障害・うつに悩むあなたに送る『人生の主役を生きるためのココロの整理術』

パニック障害・うつに悩むあなたに送る『人生の主役を生きるためのココロの整理術』

パニック障害歴13年・うつ歴5年の私だからこそお伝えできる
ラクに生きるヒントをお伝えしています。


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心理カウンセラー小園麻貴(こぞの まき)です。

 
 

 

 

 

 

 

 
生い立ち
 
《幼少期》
生まれた時に両親は既に離婚しており、母方に引き取られましたので、父親の記憶はありません
そのため、物心付いた時には、6畳二間の住まいに、祖父母と母と私の4人で暮らしておりました。(祖父は祖母の再婚相手でした)
幼少期の私は、母が働いていたので、保育園生活を送っていました。とても活発で、男の子に年中間違えられていたのを覚えています。そして、とても家族や周囲の方に愛されておりました。
ただ、母と祖父母の折り合いが悪く、喧嘩が絶えず、大人達が怒鳴り合う声の中、隅に敷かれた布団の中で寝たフリをしていた記憶が鮮明にあります。
 
 
《小学校時代》
明るく、活発で、リーダーシップのあるタイプの女の子に成長しました。反面、いつも大人に囲まれ過ごしていましたので、同年代の子どもの輪に入る事が何故か難しく感じておりました
 
小学5年生の時、母は働いていた会社の社長と再婚しました。
家も6畳二間の家から庭やシャンデリアのある家に変わり、学校も名前も生活も一変しました。
周囲から羨ましがられておりましたが、私は、祖父母と離れるのが辛くてたまりませんでした。でも、「ママが幸せになるため!」と周囲の大人達に言われ、私は私にそう強く言い聞かせ、賢い娘になるべく努めました。
 
 
《中学校時代》
一年生の時にが生まれました。とても可愛く、部活にも行かず学校から戻っては、ベビーカーを押して散歩に連れて周りました。
そして、英語、ピアノを習い、夏休みにはサマースクールで一ヶ月程度アメリカに語学留学。その他、週末は別荘に行き、年に一度は家族で海外旅行へ行っていました。
その頃から海外へ関心を持ち、中学校卒業後は、アメリカの高校~大学へ進学するものと、疑いませんでした
 
 
《高校時代 ~アメリカ~》
アメリカのメリーランド州にある私立・全寮制の高校へ進学しました。言葉の壁はあったものの、私にとっては夢に見た世界でした。
しかし、その年の冬休みに一時帰国すると、もう、アメリカには戻れなくなってしまいました
当時のバブル崩壊。
義父の会社が倒産していたのです。
荷物もアメリカに置いたまま、友人にも先生にもお別れできないままの突然の退学。
自分の無力さを感じ、絶望しました。
 
 
《高校時代 ~日本・前半~》
母が私と弟を連れて出て行くことを恐れた義父は、お酒に溺れ、息子(弟)を取られまいと南京錠をかけて部屋に監禁し、母に暴力を振るうようになっていました
警察も出動しました。
そして、そんな中、当時アメリカの高校受験の勉強しかしなかった私は、一から公立の高校を受験し直しました。必然的に、1年留年となりました。
合格発表の頃、家と家財道具一式が競売にかけられました。家は買い手がつかずしばらく住めたようでしたが、家財道具はみごとに何から何まで持って行かれました。今でも忘れられないのが、唯一の楽しみであったピアノを持って行かれた日のことです。
そして、大きな家に取り残され、食べる物も無くなった頃、母と私は義父に追い出されました。
 
 
《高校時代~日本・後半~》
また6畳二間の4人家族に戻りました。
ほんの一年だけ。
更に、祖父母と母の関係が悪化したためです。
そのため、小さなアパートで母と二人暮らしを始めました。
私にとっては、生まれて初めて本当の親子だけの生活でしたので、お金は無かったけれど(高校の学費は3年間アルバイトで賄いました)幸せを感じていました
でも、数ヶ月すると、新しい男性がアパートを出入りするようになりました。
幻滅し、反発した私は、家出を繰り返すようになりました。
 
 
《20歳前後》
ギリギリでしたが、高校も卒業できる事が決まった頃、お世話になった高校の先生から法律事務所での就職の話を頂きました。
 
社会人になり、一人暮らしを始め、やっと自分の稼ぎで生活が安定しました。
その矢先、離婚した義父から連絡がありました。
「弟に会わせる」
と。
3歳だった弟は小学生になっていました。嬉しくて、弟に会っては好きな物を食べさせ、いつもサイズの小さな服を着ていたので、洋服を買ってあげました。
でも、弟との面会と引き換えにするかのように、義父から私のへのお金の無尽が始まりました。それは、どんどんエスカレートし、職場にも何度も連絡しきて、終いには保証人を頼まれました。
弟が路頭に迷わないために、弟の生活費を援助していると思ってやってきましたが、保証人だけは断わりました。義父は激昂し、それを機に、また弟と生き別れとなってしまいました。
 
 
《20代前半》
仕事に励みました。自己流で法律を学びました。理由は、法曹界関係者に高卒がほとんど居なかったことが私の劣等感だったのです。
そして、これまでの鬱憤を晴らすかのように、たくさん遊びました。
BARやクラブが一番心地良かった。
海外旅行も行くようになりました。
そして、主人と出逢いました
主人含め、仲間で遊ぶ時が一番楽しかった。
しばらくして、同棲。
そんな楽しい日々をやっと手に入れたと思った矢先、通勤電車でアノ発作に襲われました。
パニック障害の始まりでした。25才でした。
 
 
《20代後半》
当時の主人が、私の職場への送り迎えをしてくれました。
そして、お互いにこれ程長く続くとは思わなかったこともありましたが、主人も私の病気を受け入れてくれ、結婚することになりました。
そんな新しい生活が始まった頃、今度は弟から数年ぶりに職場に連絡が入りました。弟は高校生になり、全寮制の学校に通っていました。
そして、弟の口から信じられない言葉を聞かされました。
「お父さん(義父)が失踪した。学校の休みに寮から戻ると、家だったマンションの一室が空き家になっていた。」
と。
帰る場所も唯一の肉親も一瞬にして消え、私の連絡先も分からず、しばらく学校の先生方に生活をみてもらって生活していました。
そのため、直ぐに私は親権を母に移す手続きを裁判所にし、母と弟は15年振りに再会することとなりました。
 
 
《30代前半》
パニック障害の薬の心配や発作の心配が絶えませんでしたが、妊娠し、子供を出産しました。可愛い女の子でした。
でも、娘が一歳になる頃、突然ブレーカーが落ちたかのように、私はになりました。
精神科に通院し、自宅療養していたのですが、苦しさ、不安、消えてしまいたいとの思いが強くなる一方でした。そして、大量の安定剤を服用し、精神科の閉鎖病棟に緊急入院することになりました。
窓は10センチしか開かない、トイレの鍵もない、病棟は外から施錠され、自分の意志では外に出ることも出来ない環境。1日2回、許可が下りた時だけ、看護師の付き添いのもと、病院の外に30分だけ外気浴ができる。そんな環境の中、週末になると主人が幼い娘を抱えて面会に来る。
情けなくて、悲しくて、どうして自分だけこうなるのかと…消えて無くなりたかった。毎日泣いて、泣いて暮らしていました。
その後退院したものの、症状はまったく改善されませんでした。幼い娘がいるのに、食事も買い物もままならない。子どもの面倒をみるどころか、顔を洗う、ご飯を食べるなど自分のことすらできない。保健センターの勧めで、娘は保育園に通うことになり、自分の存在意味の無さを痛感。
その苦しみを痛みで消すかのように、左腕には傷つけるところが無くなるくらい、切り刻んだ痕が残りました。
そして、自宅で自殺未遂をしました。傍らには幼い娘が居り、そんな状況の中、主人に助けられました。
 
 
《30代半ば》
そんな私を、娘を、主人は必死に守ろうとしてくれました。ただ、余りにも大量にパニック障害と鬱の薬を飲んでしまっていたので、その頃のことは断片的にしか記憶がありません。後に主人から話を聞いたところ、毎日会社から帰るたびに「今日も生きてた」と安堵する日々を数年送っていたと言っておりました。
 
ほんの少しずつですが、快方に向かい始めました。
私自身も少しでも早く治したくて、認知行動療法や催眠療法、ヒーリングに通いました。そして最終的に環境を変えたく、主人に無理を言って引っ越すことにしました。
ローンを組み、家を建てる契約をした矢先、3.11がありました。そして、その一ヶ月後、それまでの長年の私の介護で残業もできず早退も多いこと等を理由に、主人がリストラされました。
復興が最優先のため、一般住宅には資材が足らずに建築されていない家のローンだけがある中、無職となってしまったのです。
 
 
《心屋塾との出逢い》
玄関から出られない時期も長かったのですが、パニック障害や鬱といった症状も、比較的落ち着いている時期もあります。
そんな時期には、自分の存在価値が消えないように、そして、育児だけに没頭することが合わなかったため、ローン返済のため…理由はその時々で変化していましたが、仕事をしていました。
でも、1年もすれば、体が悲鳴を感じ、ブレーカーが落ちる。そして、退職。
その繰り返しをしておりました。
そして、一番最近、2人目妊娠とともにブレーカーが落ちていた2013年、テレビや書籍で心屋仁之助 さんを知りました

 
その後、個人カウンセリング、初級セミナーを経て、三浪の末アッコさんこと志緒村亜希子 さんが講師を務めるマスターコース17期へ行くこととなりました。
 
私にとっては、この出逢いが人生を変えました。

様々な事を学び、体験し、
「シアワセ」になるための「覚悟」ができました。
 
そして、今、こうして生きています!
 
 

 
 
これからも、どうぞよろしくお願いします。

 
 
 
学歴
 
○アメリカメリーランド州・私立高校中退
 
○東京都立高校卒業
 
○法政大学法学部法律学科卒業
 
 
主な職歴
 
○法律事務所勤務10年
 
《詳細》
仕事内容は、裁判・調停資料作成、法人・不動産登記などです。
資料作成や証拠収集をし、裁判所、法務局、税務署、時々警察署を毎日巡っておりました。
そして、離婚、相続、破産(多重債務)など、沢山の方々の人生に関わらせて頂きました。
 
 
○一般企業 法務部1年半(契約社員)
 
《詳細》
仕事内容は、企業内・企業間の契約全般です。
特に、企業間の契約は多岐に亘るので、日々勉強!
そんな思い出があります。
 
 
 
 
現在
 
○心屋リセットカウンセリングマスター(心理カウンセラー)
パニック障害・うつをメインに、心のお悩みを日々ご相談受けています。
その他、人間関係、夫婦問題、嫁姑問題、ママ友問題などのご相談も多く賜っております。
 
 
▼これまでの活動

■個人カウンセリング(対面、電話、スカイプ)

・2014年12月〜2017年12月まで、ほぼ個人カウンセリングのみで活動

・述べ1000人以上のクライアント様(パニック、うつ、不安障害等)とお会いする



 


■オンラインサロン・倶楽部MAKI

・「そのまんまの自分で持つ他人との関わりの場」を、

オンラインサロンや各種イベントで体験して頂いてます

・2017年7月より、0期、1期、2期と主催運営(毎月シェア会)


写真はシェア会企画の一つで、JAZZ BARを貸し切りして

パニックさんのクリスマスパーティーを実施しました!

 



■極楽鳥花「わたし」を生きるカウンセラー養成講座

・2018年4月〜8月  0期カウンセラー養成講座

・2018年9月〜12月 1期カウンセラー養成講座

 




■ポッドキャスト「パニックさんのココロのお守り」

・2018年6月より毎週水曜日、

無料で聴けるネットラジオ・ポッドキャスト

「パニックさんのココロのお守り」を配信

・2019年2月末時点で25万ダウンロード!!


 



■セミナー、トークショー関連

・2018年7月 「わたし」を生きるワンデーセミナーin東京開催

・2018年8月 「わたし」を生きるワンデーセミナーin福岡開催

・2018年10月 「わたし」を生きるトークショーin大阪開催

・2018年12月 ポッドキャスト公開収録





■クラウドファンディング




2019年7月に行われるJapan Expo in Parisへ

パニックさん二人とともに

素人モデルファッションショーに出演予定!


詳しくはこちらのサイトからご覧ください。

https://camp-fire.jp/projects/view/120847





もっと小園のことを詳しく知りたい方は

自伝ブログクリックただ前へ・・・
こちらをご覧くださいませ。
 
 
 
【2019.3.30改定】
 

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