実は先日、ヨシオのお母さんのお誕生日だった。
毎年ヨシオは、お母さんとふたりでちょっとしたお食事に出かけていたのだけれど、私は別段、何かしたことはなかった。まあ、結婚してるわけじゃないしね。
しかし、今年は「婚約者」となった以上(?)、何もしないのもどうかな~とちょっと思っていた。もうしばらくしたら、みーちゃんの結婚式でも顔を合わせるわけだし、その前にちょっとお会いしていろいろおしゃべりしておこうかしら、なんて考えたわけだ。
そうしたら、ヨシオのほうから「今度のおかーちゃんの誕生日のお食事会、マキエも一緒にいかが」と誘ってくれた。
というわけで、実際に、ヨシオのお母さんのお誕生会に、ヨシオと一緒に行くことになったのである。
何度か会っているとはいえ、久しぶりのご対面だ。結婚はしてないが、普通でいえば、お姑さんである。どんな話をしようかしら、なんて、事前にちょっと考えたりした。
私とお母さんをつなぐ最大にして最強の話題といえば、ヨシオ以外にありえない。基本はヨシオの話をしよう。「ヨシオさんは優しい」とか「ヨシオさんは面倒見がいい」とか、褒めるのもよいだろう。でも、褒めてばかりもわざとらしいのではないか。などとあれこれ考えた挙句、私はこの機会に、ヨシオについて思っている「心配なこと」をお母さんに話して、お母さんからヨシオに、何かひとこと言っていただこうかと画策した。
いうなれば、ユーミンの『ルージュの伝言』の歌詞みたいなもんだ。「ママから叱ってもらうわ、マイダーリン」というやつである。
あ、念のため断っておくと、ヨシオは浮気はまったくしてないので、そういう方向の話ではなく、私が一番「叱って」ほしかったのは、「酒の飲み過ぎ」である。
ヨシオは明らかに「酒を飲み過ぎ」ている。若いうちはまあいい。しかし、50を超えたいま、毎日毎日ウイスキーをダブルで5~6杯、ワインなら1本飲むというのは、いかがなものか。確実に頭と健康がやられるに違いないと、私は最近、ひじょーに心配しているのだ。
まー、ヨシオは基本的にがんこですから、私が何か言っても、まず、いうことをきいてくれない。いや、私以外の誰に何を言われても、まあ、基本的には言うことをきかない。でも、唯一、この人に何か言われたら、態度を改めざるを得ないだろうという人がいる。それが、お母さんなのだ。かつ、この話題なら、お母さんも、「あら、マキエさんは、うちのヨシオのからだのこと、こんなに心配してくれてるのね」と、好感を持って受け止めてくれるにちがいない、嫁的立場もアップするだろうなどと、余計なことまで考えていた。
そして私はさらに、予備の話題として、「ヨシオさんはものをまったく捨てないから、部屋がモノであふれてる」とか、「あんまり手を洗ってくれないから、ノロとかインフルとか心配だ」といった話題なども頭の片隅に用意し、いざ、お食事会に臨んだのであった。
しかーし。
私の読みは実に甘かった。お母さんの反応は、私の予想とはまったく異なるものであったのだ。
たとえば……。
マキエ「ところで、お母さん。ヨシオさん、ちょっとお酒飲み過ぎじゃないですかねー。大丈夫でしょうか……」
お母さん「あー、お酒ねー」
マキエ「はいっ!」
お母さん「この人の父親は全然飲めなかったんだけどね、私のね、父親がとても強い人だったのよ~。その血を受け継いだみたい」
マキエ「はぁ……」
お母さん「そうねぇ、うちで飲むのはヨシオだけね。でも、私もね、最近はちょこちょこ飲むの。量はたいして飲めないんだけどね。お酒、楽しいから、好きなのよ。うふふ」
あっさり玉砕。
となりではヨシオが勝ち誇ったような笑顔で私を見ている。
そこで、しばらくして、私はめげずに、もうひとつの話題にもトライしてみた。
マキエ「そういえば、お母さん、ヨシオさんって、何でもモノをとっておく人ですよね~。全然捨てないから、お部屋にモノが一杯で大変で…」
お母さん「やっぱり? 実はね、私もそうなの。押入れの中にいろんなものとってあって、あれがなかなか捨てられないのよね~。あれは人には見せられないわ~」
マキエ「あはは~」
またもや玉砕である。
私とお母さんの話を聞いて、ヨシオはとなりで笑いをこらえていた。
ああ、そうであった。
ヨシオのお母さんは、本当に怒らない人だったのだ。
そういえば昔、ヨシオがお母さんに怒られたのは、お姉さんのテストの点数が悪かったのを馬鹿にしたときぐらいだったって言ってたな~。
ヨシオがどんなに酒を飲もうが、うかつな失敗をしようが、留年しようが、せっかく入った会社を辞めようが、ニート状態で暮らそうが、稼がなかろうが、彼女と長年結婚しなかろうが、まったく怒らなかった人だ。
だからこそ、こういうヨシオという人間が出来上がったわけである。
それを今更、私なんぞが、やれ、「酒の飲み過ぎ」だの、「モノが捨てられない」だの、ちまちましたことを言ったところで、お母さんにしてみれば、実に他愛のない話題に感じるだけなのであろう。
というわけで。
結局この日は、ほかに、いろいろとお母さんの趣味やお友達のお話なんかをして、会は楽しく進行し、終盤を迎えつつあったのだが、最後の最後に、もうひと山あった。
そろそろ店を出ようかと、ヨシオが、「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」といって、席を立ったときのことだ。
そのときばかりは、お母さんとふたりきりになるとあって、私の中で、ぐっと緊張感が増した。
だって、先日、みーちゃんの結婚式の件で、「婚約者」を名乗ったばかりである。何か、おかーさんからひとことあっても不思議ではないだろう。「マキエさん、ヨシオのこと、よろしくお願いしますね」なんて、言われるのではなかろうか。あるいは、「マキエさん、ヨシオがいつまでも結婚しないでごめんなさいね」なんて、言われたりして! などと、思ったわけである。
しかーし。
ヨシオが席を立ち、私が緊張した瞬間、お母さんはこうおっしゃった。
「男の人って、意外とトイレが近いのよね。ね、そう思わない? うちのお父さんもそうだったのよー」
私は思わず、笑顔で「あはは~そうですね~」と笑ってしまった。
きっとお母さんも、気を遣って話題をいろいろ考えてくれたのに違いない。それはそれでありがたいことだったけど、当初わたしが目論んでいた、「ヨシオを叱ってもらう」という計画は、1ミリも遂行されずに終了した。いまとなってみれば、私の考えが甘かった。計画自体が、実に安易であったとしか、言いようがない。
帰り道、ヨシオとふたりきりになったところで、今回の「叱ってもらう」計画をヨシオに改めて説明した上で、思わず私は言った。
マキエ「ま、完全に玉砕したわけですよ。さすが、あなたのおかーさんだわ。それにしても、あれだね、お母さん、あなたのことは、ほんとーに、まったく怒らないよねー」
ヨシオ「そりゃそうさ。だって俺、別に、怒られることなんて、全然してないもん(笑顔)」
いやはや、ほんと、実に無敵な親子なのでありました。