* ファッションを通して *

あなたの魅力を

120%引き出す

専門家、

 

鈴木 ミドリと申します(*^▽^*)

 

 

ー自己紹介を少しさせて頂きますー

私は30年近くの不眠症で、

睡眠薬と元気ややる気を出す薬、

漢方薬を処方して頂いてます。

 

毎日、薬は手放せませんが、

お陰さまで元気です!

心の根底は、根明で力強いです!

好きな言葉は、「 明日は明日の風が吹く 」

です。

母はファッションが大好きで、

父は歌(カラオケ)が大好き。

おもいきり、両親のDNAを受け継いで

おります。

常に新しい物が大好きですが、心は昭和です(笑)

 

ファッションでお悩みの方、一緒におしゃれを楽しみませんか?

[ 40代の主に働く女性に向けて、好きX似合う をマッチング!] を

テーマにご提案させていただいております 音譜ニコニコニコニコニコニコ

 

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前回に引き続き、母についてのお話をしようと思います。

 

前回は、口うるさい母親の話で終わってしまいましたが . . . (^_^;)

 

母の人柄や性格的なことについては、前回述べた通りです。

 

母は長年、販売のパートをしておりました。

 

私が幼い時は、色々な内職をしていて、

度々お手伝いしてました。

( 出来た物の数を数えたり )

 

私が小学校3年生位の時に、

当時住んでた長岡京市内に新しいスーパーがオープンするにあたって、

オープニングスタッフの販売員の募集広告が入りました。

 

母はそれを見て、パートに行くことに決めたようでした。

母の希望は、ベビー•子供服売場でした。

 

学童もありましたが、兄と私は敢えて入らず、

鍵っ子生活が始まりました。

家の外に出たらすぐ植木鉢があったんですが、

いつもその下に、家の鍵が置いてありました。

 

長屋のアパートで、近所付き合いがあったので、

学校から帰っても、お隣や近所の専業主婦のおばちゃんたちが

面倒見てくれたり、近所の年下の子とよく家の前で遊んでいました。

それなりに( ? )楽しかったですし、母は仕事に行っていると

分かってましたし、寂しいと思ったことは無かったです。

 

母は、基本水曜日が休みで、土日は仕事が忙しそうでした( お店なので )

 

仕事に行くのが楽しそうで、売場では制服を着るんですが、

いつもオシャレして仕事に出掛けてました。

3日も休みがあったら早く仕事にいきたい!と

言ってて、仕事するのが好きだったようです。

 

自転車通勤をしてましが、( 後に高槻市に引っ越してからは、バスと電車通勤です )

土日は、父と一緒に車で母の仕事終わりの時間位に毎週迎えに行ってました。

母がいる売場に行って、「 迎えにきたよ〜(^ε^)♪」という感じです。

 

商品整理や母の仕事をしてる姿はとてもイキイキしてました。

私はそんな姿を見るのが好きでした。

 

母の就業時間は、10時〜19時でパートといっても、

フルタイムで正社員なみでした。

 

父の仕事は夜勤もあったので、兄と私が中学生の頃は、

朝、私達のお弁当を作って、父の晩ご飯の用意もしてから

出勤してました。

 

高槻市に引っ越してからは、19時に仕事が終わった後に、

夕食の買い物をして、帰宅するのがいつも20時半位で、

それから晩ご飯を作ってくれてました。

 

私が大きくなってからは、自分でご飯を作るとかしてあげれてたら

よかったんでしょうけど、結婚して20年になる私ですが、家事全般が苦手で、

その頃、母がご飯の用意もするのが当たり前のように思っていて、

( 今日は自分で晩ご飯を作ってみよう。とか全く思ったことがなかったです。

母に頼まれていたら嫌々チャレンジしてたかもしれませんが、

何も言われなかったんですよね )

 

土日に洗濯をする位しか手伝ってあげれてなかったんです。

 

( 10年前の母です:嵐山にて )

 

 

結婚してから母の大変さと、

偉大さ、

毎日よく頑張ってたんだな

という事が

みじみ分かりました。

 

 

もっとお手伝い出来てたらよかったと思っています( 反省です )

 

兄と私は、「 勉強しろ!」とよく怒られていましたが、

仕事から帰ってきた時、いつも母はルンルン♪な感じで。

本当に仕事するのが好きで、充実してたんでしょうね。

 

兄と私を私立高校に通わせ、

私が通ってた短大は西日本一授業料が高いことが有名で

( たぶん授業料というか維持費が高い )、

 

しかも、今は住宅金利は2%以下で低いですが、

当時は8、何%かで金利が高い中、新築の家を2回買い( 買い換えです )、

貯蓄や運用も上手くやりくりしてたと思います。

 

 

そしてそのうち、

新人のパートさんや社員さん( 社員は店舗の異動があるので度々入れ替わります )

を教えるようになり、母はベテランパートさんになっていきました。

 

西日本でベテランパートさんの内、3人が選出される中にも入って、

会議などにも行っていました。

 

本当にパートと言っても、もはや社員さんなみです。

 

母は家事と子育てを両立させ、仕事にも精力的で、

60才の定年まで立派に勤め続けました。

 

勤続25年です!!━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

 

退職する時は、長岡店の店長さん自らが母の送別会を開こうと

言って下さったみたいです。

 

普通はパートさん一人が退職するくらいで、

店長さんがそんな事を言って下さることは無いようなんですが、

母は歴代の店長さんよりも長岡店に長く勤めていましたし、

お店のことを知り尽くしてました。

これまでの労をねぎらって下さったんですね。

 

そんな母はとても立派です!

 

 

定年退職後は、高槻市内にある個人の経営されてる

洋服のリフォーム店に働きに行ってた時期もありましたが、

母より何十年も年下の店主が、お客様からお預かりしてる大事な洋服を

床の上にポイってしたり、畳まずにぐちゃぐちゃにしてたのがスゴく嫌で、

許せなかったみたいです。

 

( 私も仕事はきっちりしたい方ですし、洋服は凄く好きなのでキレイに管理しています )

ましてや、お客様の洋服をそんな祖末に扱うなんて、もってのほかです。

母がイラっとする気持ち、よく分かります。

 

母は、長年勤めてた職場や仕事の愚痴は一つも言いませんでしたが、

帰ってきたらよく不満を言ってました(^▽^;)

 

そんなだらしない?店主に耐えられなかったんだと思いますが、

数ヶ月で辞めたようです。

 

基本仕事に行くのが好きな母なので、

そんな店主じゃなかったら、

ずっと勤めてたと思います。

 

 

 

続きは次回へ

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前回の記事はこちら

https://ameblo.jp/makidai77/entry-12395888712.html