小笠原旅行。 -9日目- | makichantoshのブログ

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子宮筋腫闘病記から始めたブログが、今ではただの徒然日記になっています(苦笑)

2017年6月25日(日)。

小笠原諸島へ来て9日目、父島で過ごす7日目です。

今日は、森トレッキング1日コースに参加します♪





繰り返しになりますが、私、登山は嫌いです。
それなのに、なぜこのツアーに参加する気になったのかといいますと、
「ガイドさんが良い人だったから。」

事前のメールでのやり取りが、本当に丁寧で優しかった☆

今日のツアー客は、「 勤続○周年休暇を貰えたから来た。」 というオジサマと私の2人だけだったこともあり、
プライベートツアーみたいで、なおさらラッキーでした!





まずは、旭山に登ります。
頂上までの森の中を進んでいくと・・・

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この大木、じつは戦前に人の手によって植えられた、マンゴーの木です。
高さが30~40mあるようです。

なぜ、こんな森の中でマンゴーが大木になっちゃったのか?!を知るためにも、
今日のツアーがどういうものなのかをご紹介するためにも、
まず、小笠原の歴史を振り返る必要があります。

この小笠原旅行記の中で何度か書きましたが、
小笠原村観光協会のホームページの文章を拝借しますと、

小笠原諸島での農業は、亜熱帯性気候を生かした果樹や冬野菜の栽培、漁業ではカツオ、マグロ漁のほか、捕鯨やサンゴ漁などが行われ、大正後期には人口7,000人を超え小笠原の最盛期を迎えました。
しかし、太平洋戦争を境に、それまでの平和で美しい島の様子が大きく変わります。
昭和19年(1944年)には、6,886人の島民が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が玉砕し、日米両国を合わせて28,721人の尊い命が奪われました。
戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されませんでした。
全ての島民たちの帰島が許されたのは、それから23年後の昭和43年(1968年)6月26日、小笠原諸島が日本に返還された時です。
内地での生活基盤が出来上がった人たちも多く、小笠原へ戻ることを諦めざるを得なかった人も少なくありません。

そう。
今では森になっていますが、ここはかつて島民が開拓した農地だったそうです。

強制疎開までは美味しい果実を提供してくれていたのであろうマンゴーの木は、
73年も放置されてこんなに大きくなってしまったのね・・・。

今日のツアーは、小笠原の景色と動植物を楽しむツアーであり、
島の歴史を知るツアーであり、
戦跡に触れるツアーでもありました。





横穴式1人防空壕。

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小笠原諸島には戦跡があちこちにあります。

かつてこの父島には、「 父島要塞 」 と呼ばれる日本軍の要塞が築かれました。
太平洋戦争中は父島での地上戦には至らなかったそうですが、
(かといって、アメリカ軍からの空襲は受けたそうで、その砲弾痕がたくさんありました。)

激しい地上戦が繰り広げられた硫黄島は、父島から300kmのところにある小笠原諸島の島です。
(クリント・イーストウッドが監督した映画 『 硫黄島からの手紙 』 の、あの硫黄島です。)

「 アサヒエビネ 」 ラン科。

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父島と兄島の固有種。
絶滅危惧種なので、株を見つけると、目印のために青い棒を刺すのだそうです。





むむ?! 一升瓶に、お皿?!

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これらは太平洋戦争時、兵隊さんが使ったもので73年経った今でもそのまま残っています。

「なぜ片付けないのですか?」
とガイドさんに聞いたら、
島全体が世界自然遺産に登録されているので、こんなガラクタみたいなものでも戦跡。
勝手に捨てるわけにはいかないのだとか。
ありのままの姿での世界遺産だそうです。

これも戦跡。
何かを乗せる台だったのでしょうね。

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「オガサワラグミ」

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サクランボみたいな赤い実をつける、あの茱萸(ぐみ)の木です。
小笠原固有種です。





旭山の山頂に着きました。

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ガイドブックやネットで良く使われている、父島のお約束の景色です。
停泊している おがさわら丸も見えます。

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ここで一旦下山し、商店街の中にあるお弁当屋さんに行きました。
三日月山展望台(通称:ウェザーステーション)へ移動して水平線を眺めながら昼食。

ガイドさんから、小笠原あるあるネタを教えてもらいました。





1時間ほど休んだら、東平アカガシラカラスバトサンクチュアリへ行きました。

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『 東平アカガシラカラスバトサンクチュアリ 』

「何語?!」 「どこで区切って読むの?!」 って思いますよね。(笑)

 “ 東平(ひがしだいら) ” という地域にある、
“ アカガシラカラスバト(赤頭烏鳩) ” という鳩の仲間の、
“ サンクチュアリ ” =自然保護区です。

全長約5kmにわたって侵入防止柵が張り巡らされています。

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「 マルハチ 」 という名前の、木生シダ。
小笠原諸島の固有種です。

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マルハチの木の枝です。

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この枝が取れた痕が丸の中に漢字の八が逆さになって見えるので、この名が付いたそうです。

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「ムニンノボタン」 ノボタン科。

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父島の固有種。 絶滅危惧種です。

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電信柱の跡。 本当に、人が生活していたのですね・・・。

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「オガサワラビロウ」 ヤシ科。 小笠原諸島固有種。

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昔、葉は屋根に利用し、柄は魚を突く銛(もり)に使用したそうです。

戦時中、コンクリートにしようと思って持ってきた土嚢が放置されて
土嚢袋の形のままコンクリ化してしまったもの。↓

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ガジュマルの木です。

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なんと、ここには民家があったのだとか。
防風林として植えたのであろうガジュマルが、72年でこんなに大きくなりました。

体格の良い男性ガイドさんがぶら下がっても、へっちゃら!

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森トレッキング1日コースは、これで終了。
宿へ戻ってシャワーを浴び、夕食を摂りました。
そして・・・

今夜はウミガメナイトツアーです!!!





小笠原諸島は日本で最大のアオウミガメの繁殖地なのだとか。
産卵期の5~8月にはあちこちの砂浜でウミガメの産卵を見ることができます。
そう。
今がベストシーズンなのです!

昼間の森トレッキングのガイドさんは、小笠原海洋センター(ウミガメセンター)の賛助会員で、
ウミガメナイトツアーを開催している稀少な人でもあったので、お願いしました。

ツアー参加者は私ともう一人、30代と思われる男性だけでした。
またしても、ほぼプライベートツアー☆

ツアーでは、まず、注意事項の説明から始まります。

ウミガメは光に対してとても敏感で警戒心が強く、産卵を途中止めして海へ戻ることが少なくないそうです。
そこで、

  1.むやみに海岸を歩き回らない。
  2.海岸で懐中電灯や携帯電話のライトを使用しない。
    (液晶ディスプレイの光でさえ眩しいそうです。)
  3.フラッシュやストロボ撮影をしない。
  4.大きな声を出したり、大きな音を立てない。
  5.ウミガメには近づかない。
  6.禁煙。
    (ライターやマッチの炎も光源になるからです。)
  7.ゴミを捨てない。

等の説明のあと、いよいよ出発です。





私達ツアー客は、ガイドさんの指示に従って動きました。

静かにヒタヒタ歩き、
喋る時はヒソヒソ声で、
ガイドさんが止まると私達もピタッと止まる。
ガイドさんが動き出すと私達もそれに従う・・・という、まるで、忍者ごっこをしているようでした。(笑)

ウミガメが前肢で砂をバッサバッサ掘る様子、
涙を流している様子、(※正しくは、泣いているのではなく体内の塩分調整をしているそうです。)
やはり重労働なのか?時々、
「ブシュー・・・。」
っとため息を吐く様子、
そして・・・





ウミガメの産卵の瞬間を見せてもらえました!!!

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この写真はウミガメセンターの職員さんが産卵調査をしている最中に、
「今なら撮ってもいいですよ。」
と許可をしてくださったので撮れた、貴重な写真です。

ちなみに、敏感で警戒心が強いというウミガメですが、
いざ卵を産み始めてしまえば夢中になって途中止めしないそうです。

後でみんなに、
「どうして動画撮影しなかったの?」
と言われましたが、
感動のあまりそんなこと思いつきもしなかったし、静止画を2枚撮るのがやっとでした。





カメ母さん、お邪魔しました!

貴重なものを見せていただいて、ありがとうねーッ!!!