手術当日。 -手術前- | makichantoshのブログ

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Yahoo!ブログから引っ越してきました。
子宮筋腫闘病記から始めたブログが、今ではただの徒然日記になっています(苦笑)

2010年2月10日(水)。
雨。

眠れないまま朝を迎える。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。

手術当日の朝だというのに、まだ、開き直れない。





今日は朝から絶食。
9時以降は水も飲んじゃいけない。





8:30、最終的な手術範囲(摘出範囲)を見極めるためのマンモグラフィー検査を受ける。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。

主治医先生とマンモ技師が 「あぁでもない。こぅでもない。」 と言いながら撮影していく。
プレート?で乳房を挟まれたままの状態で、油性ペンでマーキングされる。

主治医先生曰く、
「6日前のMRIの結果よりも、思ったより内側に癌があるみたい。
 申し訳ないけど、少し内側(胸の谷間の方)までメスを入れさせてもらうね。」

要するに、こういうことらしい。

イメージ 1

(Excelのドーナツグラフでオッパイを表現してみた。笑)

だから、当初は脇の下を切るだけで傷痕は目立たなくて済む、という予定だったのに、
実際には目立つ位置まで皮膚を切開する、ということらしい・・・凹





10:00、両親が来てくれる。

10:30、「注射をしますから。」 と看護師さんに呼ばれる。

きちんとした説明がなかったから、何のための注射か、わからなかった。

呼ばれた場所は、骨シンチグラフィの検査室。
なぜ骨シンチの検査室で注射?

シンチ機械の検査台の上に寝かされ、しばらく待っていると先生?が登場。
先生 : 「じゃあ、乳輪の横に注射します。痛いですけどがんばってください。」
って・・・。

針を刺した瞬間は、まだ、チクッとするくらいでマシだった。
でも、注射液をチュー・・・っと注入するのが

痛゛ーッ!

ももものすンごく痛いッ!!!

目を開けていられなくて、手をギューっと握り締めた。
注射が終わってもしばらくは放心状態になったまま。
注射液が広がっていると思われる辺りが、ズキンズキンドクンドクンと拍動して痛かった。
昨年末に受けた、穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)と同じくらい痛かった。

また、骨シンチの機械にかけられて(でも、時間は前より短かった。)
技師さんは画面を見ながら私の脇の下にペンで何かのマーキングをした。

後で分かったことだけど、
これはセンチネルリンパ節生検の一環だった。

【センチネルリンパ節生検】

リンパの流れに沿って癌細胞が乳房以外に流れていないかを調べる検査。
乳がんは乳房の周囲のリンパ節、特に脇の下のリンパ節を通って全身に拡がる性質があるため、手術のときに脇の下のリンパ節をゴッソリ切り取ることがあります。
しかし、それによって腕のむくみ、脇の下の痛みなどの後遺症が起こります。
センチネルリンパ節生検は、手術の前に乳がんの近くに、わずかな放射線を発する物質や色素(あの猛烈に痛かった注射液)を注射し、一番初めに染まったリンパ節(センチネルリンパ節)を手術中に摘出し、がんが転移していないかどうかを調べます。
この結果、転移がないと判断されれば、その先にあるリンパ節にも転移がないと判断してそれ以外のリンパ節を取り除くことを省略し、後遺症を最小限にすることができます。





病室に戻り、点滴が始まる。(←絶飲食しているから、ただのブドウ糖溶液で水分補給。)

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。





乳がん看護認定看護師さんが来て
「午前の手術時間が延びているので、開始時間が1時間くらい遅れます。」 とのこと。

主治医先生!
午前中に手術して、しかもそれが時間延長して、その後、私の手術するの?!
疲れてないの?!大丈夫?!

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。





手術室の看護師さんが来て、術前術後の様子について説明をしてくれる。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。





元派遣社員仲間で親友のYさんが心配して来てくれた。

しばらく話に付き合ってもらう。
ほんの少しの間だけど、気が紛れて助かった。





青い手術着に着替える。

「寒いからパジャマのズボンとショーツはそのまま履いといていいです。」 と言われた。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。




















予定時間より40分遅れた
2010年2月10日(水)午後1時40分。

手術室からお迎えが来る。





手術室までは歩いていった。

両親と看護師君が見送ってくれて、母とハイタッチして別れた途端、
もう、涙をこらえられなくなった。

涙を拭き拭き、両親のほうを何度も振り返りながら手術室へ向かう。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。





手術室の手前には2つの予備室?があって、
狭い1つ目の予備室で、自分の名前と患側(手術する側)を言わされる。(←間違い防止のためと思われる。)

涙を拭きながら、鼻水をすすりながら、

バギジャントッシュでしゅ・・・。 い゛だり゛がわでしゅ・・・。

と、やっと答える。(答えになってないけど。)

  ああ、嫌だ。

広い2つ目の予備室からはそれぞれ3つの手術室への入り口があって、
私は「2」と大きく書かれた手術室へ通された。

  やりたくない。

手術台の上に上がっても、まだ、開き直れない。
“ まな板の上の鯉 ” になれない。

  逃げ出したい。

研修医先生がいて、看護師さんや、麻酔医先生が手際よく準備を進めていく。

  いっそ、走って逃げてしまおうか?

私は涙をこらえるどころか、
もはや、嗚咽号泣状態。
看護師さんがティッシュを持たせてくれて、私は涙を拭き続けた。

  でも、今は手術から逃れられても、癌からは逃れられないんだ・・・。

麻酔医先生が 「○○ですよ~。」 とか 「△△ですよ~。」 と、優しく声をかけてくれていたけど、
何を言っているのか頭に入ってこない。

  ああ、嫌だ。
  やりたくない。
  逃げ出したい。
  逃げてしまおうか?
  でも、癌からは逃れられない・・・。

嫌だ!嫌だ!!嫌だ!!!嫌だ!!!!嫌だーーーーー!!!!!






口にマスクを当てられて、
それでも泣き止むことは出来なくて、
麻酔医先生の 「じゃ、これから麻酔をかけますよ~。」 という合図に

「うわぁ~ん!」

と声を上げて泣いたのを最後に、私は気を失った。