2010年2月5日。
乳がん手術のための事前検査2日目。
今日は2つの検査をすることになっていた。
そしてやっぱり、朝8:00以降は絶食凹
食いしん坊の私にとって、2日連続の絶食はキツイ。(涙)
食いしん坊の私にとって、2日連続の絶食はキツイ。(涙)
12:00、病院へ行く。
受付を済ませると、まずは骨(こつ)シンチグラフィ検査のための注射。
たかが注射なはずなのに、怖い部屋へ案内された。
たかが注射なはずなのに、怖い部屋へ案内された。
怖い部屋というのは、黄色い三角のマークが付いている部屋。
| 『許可なくして立ち入りを禁ず』 |
って書いてある。
物々しいドアをくぐると下駄箱があって、わざわざスリッパに履き替えさせられる。
1つ目の部屋・・・2つ目の部屋・・・と通っていったところで、
パイプ椅子に座るよう、案内された。
1つ目の部屋・・・2つ目の部屋・・・と通っていったところで、
パイプ椅子に座るよう、案内された。
少し待っていると、先生登場。
四角いトレイの上に注射を1本乗せてやって来た。
その注射と言ったら!!!
四角いトレイの上に注射を1本乗せてやって来た。
その注射と言ったら!!!
SF映画に出てきそうな、ゴツイ銀色のカバーみたいなのが付いた大きな注射!!!
私、変なウイルスを注入されるんぢゃなかろうか?!
私、変なウイルスを注入されるんぢゃなかろうか?!
ここ怖ーッ!!!
・・・って、注射自体は何てことなくあっという間に終わった。(笑)
この注射、かなり高価らしい。
お幾ら万円する注射なんだろう???
さて。
ここから14:00までの1時間半以上、時間をつぶさないといけない。
じつは、骨シンチグラフィという検査は、
放射線を出すラジオアイソトープ(RI)を含む薬を注射し、
約3時間ほど待って骨に充分薬が行き届いたころに撮影する、というものらしい。
放射線を出すラジオアイソトープ(RI)を含む薬を注射し、
約3時間ほど待って骨に充分薬が行き届いたころに撮影する、というものらしい。
癌が骨に転移していないかとか、骨の炎症、骨折など骨の病気を調べることができるそうだ。
骨シンチグラフィ検査は15:00からだったけれど、
造影剤を使った頭部のMRI検査を14:00からすることになっていたので、
それまで、近くに住む妹のアパートへ行って時間をつぶさせてもらった。
造影剤を使った頭部のMRI検査を14:00からすることになっていたので、
それまで、近くに住む妹のアパートへ行って時間をつぶさせてもらった。
甥君(生後9ヶ月)の相手をしながら、つかの間、癒される. . 。 . : * ・ ゚ ☆
再び病院へ戻り、頭部MRI検査を受ける。
昨日に引き続き、今日も溝端淳平君、登場。
でも、今日はいいもんね♪ オッパイ見せなくていいから。(笑)
でも、今日はいいもんね♪ オッパイ見せなくていいから。(笑)
どういうわけか?造影剤の注入も気にならず、
昨日に比べるとかなり楽に検査終了。
昨日に比べるとかなり楽に検査終了。
看護師さんが、
「次の骨シンチ検査は食事制限がないので、今のうちに何か食べておいてください。
シンチ検査は1時間近くかかりますから。
それと、検査の前に必ずトイレを済ませておいてください。」
と教えてくれた。
「次の骨シンチ検査は食事制限がないので、今のうちに何か食べておいてください。
シンチ検査は1時間近くかかりますから。
それと、検査の前に必ずトイレを済ませておいてください。」
と教えてくれた。
売店でサンドイッチと野菜ジュースを買って食べる。
後で分かったことだけれど、
骨シンチグラフィ検査に使う薬は尿によく排泄されるので、検査前に膀胱を空っぽにする必要があるらしい。
骨シンチグラフィ検査に使う薬は尿によく排泄されるので、検査前に膀胱を空っぽにする必要があるらしい。
15:00、午前中に高価な注射を打った “ 怖い部屋 ” へ再び入る。
骨シンチの検査機器は、CTやMRIの機器に似テ非ナリ、だった。
CTとMRIは、筒の中に入っている間は自分が寝転がっている台も筒も動かない(位置は変わらない)けど、
骨シンチは筒みたいなのが、ゆ~っくり、回転して動いていく。
CTとMRIは、筒の中に入っている間は自分が寝転がっている台も筒も動かない(位置は変わらない)けど、
骨シンチは筒みたいなのが、ゆ~っくり、回転して動いていく。
うーん、例えて言うなら・・・
私が鉛筆で、鉛筆削りが骨シンチの機器で、
鉛筆の周囲を部品がグルグル回っていく、みたいな状態?かな?
(実際には削られるわけじゃないけど。笑)
私が鉛筆で、鉛筆削りが骨シンチの機器で、
鉛筆の周囲を部品がグルグル回っていく、みたいな状態?かな?
(実際には削られるわけじゃないけど。笑)
あ。
もしかしたら、筒が移動しているんじゃなくて、
私が寝転がっている台が移動していたのかも。
もしかしたら、筒が移動しているんじゃなくて、
私が寝転がっている台が移動していたのかも。
台の上に仰向けに寝転び、
ベルトで軽く固定されて、機械が動き始めた。
音は、MRIやCTと比べると、全然うるさくなかった。
ベルトで軽く固定されて、機械が動き始めた。
音は、MRIやCTと比べると、全然うるさくなかった。
約1時間くらいで検査が終わり、
16:00、両親に病院まで来てもらった。
16:00、両親に病院まで来てもらった。
昨日と今日の検査結果を3人で聞くためだ。
私は1人でも構わなかったが、
父が、どうしても先生の話を聞きたがったからだ。
父が、どうしても先生の話を聞きたがったからだ。
40~45分くらい待って、診察室へ呼ばれた。
まず私が1人で中に入り、
両親も一緒に話を聞きたがっていること、
ボイスレコーダーで先生の説明を録音したがっていることをお願いした。
両親も一緒に話を聞きたがっていること、
ボイスレコーダーで先生の説明を録音したがっていることをお願いした。
先生は気持ちよく了解してくれた。
検査の結果、脳や骨、肺、その他の臓器への転移はなかった。
腋のリンパ節への転移もないらしい。
腋のリンパ節への転移もないらしい。
ホッとする。
“ C領域 ” というのは、時計の針で例えて言うと、12~3時の部分。
(私の場合は左乳房なので12~3時の部分になるけれど、左右の乳房は正反対で示されるので、
右乳房だったら9~12時の部分がC領域になる。)
(私の場合は左乳房なので12~3時の部分になるけれど、左右の乳房は正反対で示されるので、
右乳房だったら9~12時の部分がC領域になる。)
でも、ハッキリクッキリ 「(癌は)ココだ!」 っていう写り方をしていないのだという。
先生は、詳しくいろいろ説明をしてくれた。
現在、どのような状況にあるのか、どのような手術を行うのか、術後はどうなるのか・・・。
現在、どのような状況にあるのか、どのような手術を行うのか、術後はどうなるのか・・・。
私は何度も聞いてきたし、本を読んだりネットで見たりしてきたから
先生の説明は理解できた。
母も、一生懸命勉強してきてくれていたので、理解できたと言っていた。
先生の説明は理解できた。
母も、一生懸命勉強してきてくれていたので、理解できたと言っていた。
でも、父はちょっと違っていた。
私を心配してくれていることには間違いないが、
私や母とは視点が違っていた。
私や母とは視点が違っていた。
父にとっては、「(我が娘の)生きるか、死ぬか。」 が大問題であって、
「オッパイがどうなるのか、女性としての今後の人生がどうなるのか。」 ということは二の次らしい。
「オッパイがどうなるのか、女性としての今後の人生がどうなるのか。」 ということは二の次らしい。
先生への質問内容が、「男目線だな。」 と思った。
男だから仕方がないけれど、少し残念に感じた。
先生は嫌な顔もせず、私達3人に1時間以上も付き合ってくれた。
「この先生に任せよう!」 と、改めて思う。
両親は先に帰っていき、
私は入院のための説明を受けるため、1人残った。
私は入院のための説明を受けるため、1人残った。
最初にアンケート用紙を渡された。
何事かと思ったら、
「初期治療開始における意思決定に関しての理解度の確認表」 というものだった。
「初期治療開始における意思決定に関しての理解度の確認表」 というものだった。
「先生から今後の治療についてどのように聞かれていますか?」 とか、
「なぜ抗がん剤の治療が必要かを知っていますか?」 とか、
そういうことを、選択式ではなく自分の言葉で(文章で)書かせるようなアンケートになっていた。
「なぜ抗がん剤の治療が必要かを知っていますか?」 とか、
そういうことを、選択式ではなく自分の言葉で(文章で)書かせるようなアンケートになっていた。
それから、私が強く希望していた乳房温存手術についてのデメリットがいくつも書いてある用紙を渡され、
それを理解しているかも質問された。
それを理解しているかも質問された。
子宮筋腫の手術の時には、こんなことなかった。
“ がん ” って本当に大変な病気なんだな・・・。
しかも、乳がんで 「オッパイを切る。」 ということは
何かと後になってモメる事が多いからこんなことするんだろうなあ・・・。
しかも、乳がんで 「オッパイを切る。」 ということは
何かと後になってモメる事が多いからこんなことするんだろうなあ・・・。
そう思った。
アンケートを書き終えたら、
病室を選んだり、(←大部屋にするか個室にするか。)
入院するときに提出する書類や準備しなくちゃいけない必要なものの説明を受けたりした。
病室を選んだり、(←大部屋にするか個室にするか。)
入院するときに提出する書類や準備しなくちゃいけない必要なものの説明を受けたりした。
帰宅したのは夜7時くらいだったと思う。
大して体力は使っていないのに、慣れないこと続きで疲れた。
乳がんの手術に向けて、本格的に話が動き始めた。
でも、まだ、受け入れられない。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
どうして、私なんだろう。