【音はどこから?】



最近ひょんなことから、

佐藤慶子先生とご縁が出来て、

広尾のMuCuLに度々伺うようになり、

ピアノを弾くということについて、

即興演奏について、

新しい視点をいただき、

何かが変わってきました。

 

佐藤先生の活動は、

作曲、VisualMusc、映像制作、音彫刻などの創作や演奏活動を国の内外で展開。声の原始的な生命エネルギーに着目したレッスン「声ぢから道場」を主宰し、万葉集をはじめとする万葉弾き語りコンサートに力を注ぐ。など多岐に渡っています。

 

来週の日曜日にコラボする、

舞踏家の三浦一壮さんに出会ったのも、

佐藤先生からの流れです。

 

人は一般的に、

何かをするとき、

既存の選択肢の中から選ぼうとしがちですが、

 

一壮さんや佐藤先生のように

ゼロから表現を立ち上げるパイオニアが、

いるところにはいる。

 

その圧巻の存在感たるや。

 

一壮さんの踊りからは、

命の始まりに深く根ざした場所から湧き上がってくる、

存在としての覚悟が、

くっきりと立ち上がってきます。

 

初めて佐藤先生のパフォーマンスを拝見した時には、

命からダイレクトに生じる「声の力」に、

「言葉」というより「言霊」を感じました。

 

先日、

佐藤先生に『鷹の井戸』のレッスンをしていただきました。

 

わたしのこれまでの即興は

その時その空間に漂うものを、

音にして空間に返す。

以上、マル、でした。

 

我や個じゃないところで弾く。

通路でいいと思っていました。

 

ですが、

何か足りないと思っていたのも事実。

 

何が足りないのか?

 

その問の答えを頂いたように思いました。

 

感覚的な話なので、

言葉にするのは不可能かと思いますが、

あえて言うなら、

「中心からの音」

でしょうか。

 

命の中心

身体の中心

存在の中心

世界の中心

宇宙の中心

 

正解は、

外側にはない。

 

なにをもって、

自分だと思っているか?

 

薄っぺらい外見や、

プロフィールを突き抜けた先の、

存在としての自分を、

さらけ出す覚悟があるかどうか。

 

個を超えた命からの表現が出来るかどうか。

 

表現者の哲学が、

どこまで深く自分と世界を捉えているかは、

その表現に見事に反映されてしまう。

 

そんなことを、

感じました。

 

ずっと、

こういう話が聞きたかった。

 

誰かに合わせて、

心地の良い、

表面を撫でるような、

うわべの音でいくのか。

 

自分の命のど真ん中に根ざして、

責任をもって、

自分の音を出すのか。

 

つねに、

目の前には、

分かれ道がある。

 

これは、

即興だけに関する話じゃないですね。

 

佐藤先生とは、

もう一つ、ご縁がありました。

 

高校大学が桐朋学園の大先輩なのは、

知っていたのですが、

なんと小学校中学校が同じだったという。

 

それも、

わたしに数回会っただけで、

立教女学院っぽいと感じる佐藤先生、

恐るべし。

 

どういうこと?

 

話がそれましたが、

5月26日のコラボまで一週間。

 

一壮さんの胸をお借りして、

命の中心からぞみたいと思います。

 

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画家の坂井真理子さんの

幻想童話とエッセイをまとめた書籍の出版に伴った個展

「赤、そして黒」(5/24〜5/30)会場にて、

イエーツの能「鷹の井戸」の世界観で、

舞踏家の三浦一壮さんの舞踏と即興コラボをします。

 

5月26日(日)17時 三浦一壮舞踏公演「鷹の井戸2」

音楽:瀬尾真喜子(ピアノ)

会費:2500円

会場:アトリエ第Q藝術(成城学園駅)

 

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